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【読むラジオ】#006 人間が長く重ねてきた時間の中に生きるということ

この瞬間を共に生きている喜び

今井)カンボジアで旅行会社ナプラワークスを運営されている吉川舞さんにお付き合いいただいてきましたが、今回で最終回ですね。

村上)ちょっと足りないんじゃないですか(笑)

今井)吉川さんには前回、カンボジアの社会にどう入り込んできたかという話を頂いたと思うんですが、村上さんどうでしたか?

村上)僕は吉川さん自身のことにすごく興味を持ちました。カンボジアの人に憧れて、でもカンボジア人にもなりきれない、でもそうなりたい。異邦人でありながら地元の人にもなりかけてる。そういう中でどういう風にバランス取ってきたのかなとか、そんな話が聞けたらいいなと思ってます。
吉川さん、やっぱり、いろいろありましたか?

吉川)ずっとAかつ B の間のところ、 A でも B でもないっていう領域にいるんです。カンボジアと日本の間でもそうだし、遺跡で仕事するというとほとんどが研究者か、完全な旅行会社。でも遺跡だけでなくその地域にも誘うには地域にいないとできないので、仕事面でも自分自身のメンタル面でも、どっちなの?という収まりどころがない期間が長くて。

村上)そういう時間、好きですか?

吉川)私はカンボジア人ではないし、日本人だけでもない。それはすごく自分の人生の面白さです。さらに、いろんな人とその都度ごとに触れ合うので、いろいろ葛藤してるはいるのですが、この人たちがいるこの場所に一緒にいさせてもらえて良かったなーっていう瞬間がすごくたくさんあるんです。
だいたい葛藤とか、うにゃうにゃ言ってる時ほど、地域の人たちと一緒にいる時間の中で「この瞬間を共に生きている喜び」みたいなのを感じる機会が多いんです。

村上)気にもするけど、それよりも生かされている体験が多すぎて、それでずっと来たというような感じですか?

吉川)そうですね。生かされていて、幸せなんです。ここにこういう喜びがもらえているなら、きっと何か役割があるはずだ。じゃあ、その役割って何なんだろう?って考えるように、ある時からすごく切り替わりました。

村上)その過程の中で、遺跡っていうのはどんな存在だったんですか?

吉川)遺跡は行くだけでワクワクする存在です。なぜワクワクするのかと考えた時に、遺跡はかつてもそこにちゃんと人間がいたことを教えてくれる存在だなと気づいて。例えばサンボ―プレイクックだと1000年とか時代が飛ぶんですけど、その時代的な長さかな・・・その時間の長さを思い出させてくれるのは、やっぱり遺跡にしかできないことだなと思っています。
最近私の中でもどんどん変わってきたのは、遺跡というよりは、かつて人間が重ねてきた時間という意味での古代が好きなんだと思うんです。
「いろんなことがあったよ、この数万年」みたいな。人間がいろんなことをしながら生きてきたその厚みを、生きている一瞬の中で感じられることに、きっと意味があるはず。それは何かを教えてくれるはずなんです。

村上)たぶん、吉川さんがカンボジアに来ているということも、カンボジアの「いろんなこと」の一部だと思うのですが、その時間の中に入り込めている感じはしますか?

吉川)やっぱり日々の暮らしの中でそれを忘れてしまう時もあるんです。それを忘れてる時って、あまり心地よくないんです。逆に、そういうことを感じられている時は、たとえ世間が色々揺れていたり、自分の経済が影響を受けていたりしても、あまりそれに振り回されずに「あー、今この瞬間も、何か大きな流れの中の一つなんだな」と思える。そういう機会がこっちで暮らす中でたくさん出てくるようになったと思います。

コロナ禍でも揺らがないカンボジアの暮らし

今井)今コロナで大変な時期ですけれど、その話はすごく参考になると感じました。コロナの影響は世界中で出ていますが、カンボジアは今どんな様子なんでしょうか。

吉川)カンボジアは比較的、国内での感染者数を抑え込めています。日常的に出かけたりすることに制限もあまりないですし。ただマスクとか手の消毒ってのはもちろんありますし、経済にはもちろん影響あるんですが。

今井)旅行に来る人は少なくなっているんですよね。

吉川)ほとんどいないですね。まず観光ビザも発給されないですし、飛行機で来てから2週間隔離しなきゃいけないので、なかなかそれを超えてまで旅行に来られるって言う方は少ないと思います。

今井)カンボジアの人たちの暮らしで変化を感じることはありますか?

吉川)カンボジアの中でも、都市と農村で本当にグラデーションが全然違うんですけど、私がすごくリスペクトしている人たちの暮らしって実は全然揺らがないんです。ほとんど変化がないと言ってもいいかもしれない 。

村上)その中で吉川さんも揺らいでないですか?

吉川)経済的には打撃も大きいですし、旅って何なんだろうみたいなことを突き詰めて考えさせられました。「不要不急」と言われちゃうと、あーそうか・・・と思って。でも絶対、旅って人生に必要だよなぁという問いがあったり。でも、みんなが揺るぎなくいてくれるおかげで、こちらも揺れなくてよい瞬間みたいなのはいっぱいありました。
私たちはこの状況の中で、どういう風に感じていくか、いつでも選べるんです。「違う選び方が存在するんだ」という、自分とは違うあり方を村のお父さん、お母さんたちが明示してくれるんです。揺れるという選択もできるし、揺れないという選択もできる。じゃあ自分はどちらでいたいのかみたいにものの見方がだいぶ変わってきたと思います 。

揺らぎで気づく多様な「根」

今井)根を張ることがどんなことにも対応する暮らしの根っこになる。旅をきっかけに現地で暮らし、その土地を作る一部となっていくことってどういうことなのか、最後に伺いたいと思います。

吉川)ネイティブってなんだろうなってこのゲストの話をいただいてからずっと考えてるんですけど、私の中では目の前にいる尊敬する村の人たちのすごいところは、一本の太い根っこがあるんじゃなくて、すごく多様な根っこが張り巡らされていて、一見それって全然弱そうに見えたり、無駄そうに見えたりもするんですけど、これは無駄であるとか断じないで張っておくことで、何かが突然起きた時とかに「意外にこれが役に立った」というようなことがあると教えてもらったんです。
それを知るのって、絶対テキストからでは無理なんですよ。私のケースで振り返ってみても、やっぱり原体験がすごく強いです。
旅って、そういう揺らぎを起こしてくれるものです。当たり前が多い環境にいると、揺らぎにくいですよね。だけど、当たり前が当たり前じゃないところで出会った時に、それが自分にとってどれだけ大事だったとか、自分はどう感じていたとかを感じます。
人生の中に揺らぎを持つことは辛いことです。でも旅というある種の異世界の中であれば、全然知らない人に声かけるとか、いつもだったら全然やらないようなことをやってみようとする状況を旅は与えてくれます。だから旅はどんどん自分の根を深く、豊かに、多様にしてくれるのかなと、重ねてきた時間のなかで思ったりします。

村上)僕は揺れちゃうほうなんですけど、揺れちゃうからこそ、すぐそばに揺れないでいてくれる存在がいるって大きいんだなと改めて思いました。日本にも遺跡のようなどっしりしたものがたくさんあるし、それは田舎でもいい。揺れる時代だからこそ、小さなものでもいいので、一つでもどっしりしたものがあるといいなと思いました。

前回カンボジアに行ったのはいつだったかと思うほど久しく訪れていないカンボジアの話を聞いて、改めて旅をしたい、旅っていいなと思いました。はやくこの状況が収束し、旅できる日が来ることを願います。

(文・ネイティブ編集長 今井尚)
(写真 Kimura Ayako)

ナプラワークスについてもっと知りたい方は
ナプラワークス https://www.facebook.com/napuraworks/

次回のおしらせ

ラジオネイティブ #7 「カンボジア語はかわいい?」
次回から新たなゲストをお迎えします。吉川さんと同じく、カンボジアを中心に、デザインの力で社会の問題を解決する貝塚乃梨子さんに言葉を中心にカンボジアの人たちの暮らしについてお話を伺います。

The best is yet to be, お楽しみに!


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