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【読むラジオ】#027 野外での経験が子どもたちにあたえるもの

自信を失う経験から、子どもたちの意外な関係が始まる

今井 長年、野外教育に携わってこられて、がってんさんが子どもたちをファシリテートするときに、大切にされているエッセンスはどこにあるんでしょうか。

がってん 一番ですか・・・。僕は子どもたちにプログラムを伝えるのですが、時間が経つにつれ、そのプログラムが自分が思い描いていたプログラムと違うとか、思い通りではないことに気がついてきた時に、自信だけは失わないでいてほしいんですね。なので、ちょっとそうなったときには支えるように気をつけていますね。違いのギャップでへこんじゃって、自分がダメみたいに思っちゃうのはちょっと寂しいですから、この点だけは気をつけています。

村上 そういう時、子どもによって全然対処法が違うと思うんですけど、どう寄り添うんでしょう。

がってん 長いプログラムの場合のことだけ話しますが、実はこれをやると必ず自信を失うというプログラムがあります。それは「マッチ10本で自分で自分のご飯を炊いて食べます」というプログラムです。「炊けないとご飯が食べられない」という現実が目の前に来るんですよ。
今年もそうだったんですけど、13人中3人がご飯を炊けました。残りの10人は、10本のマッチを早い子は3分で使い果たしてしまう。遅い子は失敗したらどうしようって、1本もすれずに、まったくご飯に火をつけることができない。
そうなった時、炊けた子はやったぜ感があるけども、ふと隣に目をやると炊けてない子が涙を流して「俺はもう今日ご飯が食べれない」って落ち込んでるんですね。その時に炊けた子が7本残ってるマッチを炊けてない子にわけてあげたいと、なぜか人間って動くんですね。そこをすごく僕は大事にしているところです。
炊けた子は自慢したいんだけど、炊けてない子がいる時には自慢もできない。彼ら彼女らの気持ちを一生懸命考えようとする。今まで考えたことなかったようなことを考え始めるんです。たとえばいつもお調子者でクラスではすごくひょうきんで楽しくて中心にいたような子が炊けてないときに、いつもは一人で黙々とやってるような子が残りのマッチを分けてあげたりする。そういったことが自動的に行われるので、僕はあまり介入する必要がないんです。すごいですよね、食べる食べれないって切実な話の世界観ですから。

村上 例えばこれが普通の親だったら横にいると10本のマッチがそろそろなくなりそうとなると、口も出したり手を出したりしたいと思うんですよね。がってんさんやスタッフの皆さんはそういう時に見ているというか、待ってるということですがどういうふうに待つのでしょうか。

がってん 子どもたち一人ひとり違って、なくなったらもらえるのが当然と思ってくる子もいるし、手伝ってよとすがってくる子もいる。もしくは、本当は別にご飯炊いて後でもらえるんでしょ?みたいな子もいる。一緒にその現場にいると、その子のそれを弱さととっていいか分からないですけど、今まで10歳であれば10年間の習慣を、そこで向き合わせるんです。だからそれをちょっと逆手に取る意地悪を良くするんです。「なくなったってもらえるんでしょ?」とくる子には「あげないよ」と、パンって突っぱねる。「じつはご飯ってまた別に用意されてるんでしょ?」っていう言葉をくる子にはもっと厳しく言ってしまいます。「炊けなかったからないよ」って。その意味が、その時はカチンってなるけど、何か色々自分なりに子どもたちは考え始めます。


子どもの変化に、親が気付かされること


今井  本当に色々な子がいるなと思いますが、子どもたちってそれまでの経験も違えば、家庭環境も違うと思うんですけれど、その辺りはどうですか。

がってん そうですね。本当に家庭環境であったり経験もまったく違いますよね。テントで寝たことない子もいっぱいいるし、初めて親元から離れたっていう子もいっぱいいます。一つのプログラムをやるとき、重要にしていることが、いろんな境遇の中で生きている子どもたちをミックスしよう、参加枠の中で何となくバランスよく入ってくれるようにと色んなタイプの子が入れるようにしています。世の中はいろんな人がいるんだっていうことを前提にしているんです。

村上 プログラムを終えた後に、子ども以上にそれぞれの親御さんの反応は全く異なると思うんです。子どもたちを通じて、もしかして親の方がなんか別の世界に触れるってこともあるのかなって思うんですけど、そんな反応ってありますか。

がってん プログラムを終了して各家庭に帰って、第一印象はたくさん日焼けして元気に帰ってきましたっていう部分です。それ以上に、1か月ぐらい経ってから、この子こんなことができるようになっていましたとか、何か自信ができたとか、良い所でいえばそういうことがあります。
またすごく綺麗好きなお父さんお母さんが、1週間1回も着を替えないで着ていた服を見て、最初は何で着替えなかったのって問い詰めるみたいなんですけど、その洋服に向き合った時に、子供の本当の匂いと言うか、もしかしたら「スマホのファインダーでしか子どもたちのことを見ていなかったということに気が付いた」と言ってくださる親御さんもいます。「もうちょっと自分たちが」というふうなことを言ってくれた時もうれしかったですね。

村上 昨今すごくアウトドアギアが優秀になって、キャンプ場みたいな所もすごく安全になってると思うんです。さらにインターネットを通していろんな情報も沢山あるので、そんなに知らない人でもある程度のことができる。これはいいことなのかなと思いつつも、なんかちょっとアウトドアではあるんですが、都合良く広い場所で子どもたちも親たちもちょっとリフレッシュし、安全に野放しできる場所みたいになってる感じもするんです。自分達としてはすごく野外に触れているという実感があるから、本当の野外に出た時に、このギャップに恐れおののくというか、むしろ危険になるってる可能性もあるんじゃないかと思います。各家庭でアウトドアに触れる時、がってんさんのアドバイスはありますか?

がってん そうですね、キャンプ場は安全管理のもとに、フィールドをお借りしてる・お貸ししている場だと僕は認識していています。なので我々みたいな活動で子どもたちと一緒に出かけるフィールドは、安全に管理している場ではなくて、山を切り開いて持ってみるとか、できるだけ自分たちで用意しようと思っています。我々のスタンスはそうなんですけども、みんな等しくそういうキャンプ場じゃないところに出かけられるかというと、そうでもないですね。キャンプ場に行った時に親御さんたちが気をつけるとか、子供がいい経験ができるっていうのは、どうかなあ・・・ちょっと正直、僕そのあまりキャンプ場って利用したことがないので、何とも言いようがないんですけども。
管理している場所って、どうしても誰かに責任を押し付けやすい場なので、それに安心感を得ようとするようなところでは、なかなか難しいんじゃないかなと思いますね。キャンプ場で経験できるのは、マンションの決められた空間から出てみたら、広い空間で太陽と空と地面があったというぐらいでいいのかなと思ってしまう時もあります。

村上 大きな庭みたいなもんですかね

がってん まずそこから入ってみる。で、もう一歩その先に興味を持った時に、もう一歩先の覚悟というか、それをマネジメントではないですけど、そういうふうにしてくのが私たちみたいな役割なのかなとかも思ったりします。

村上 大事な視点だなと思いました。ともすると、いろんなアウトドアの写真とか雑誌とかを見るとキャンプ場であっても野外に没入してるかのように勘違いしちゃうと思います。でもそこは、自分たちが住んでいるマンションのように管理されてる場所と変わりなく、ちょっと広くて、空があって、風があることの違いでしかなくて、本質的な人間の野性みたいなところでは、実はむしろマンションにいた方が野性と切り離されてるという認識があってそこにいるだけむしろ等身な気もします。キャンプ場を否定するわけではないし、そういうきっかけもすごく大事だと思うんですが、やっぱり別物なんだという認識は大人達がどこかに持っていて、子どもたちを連れて行くならば認識した上で、何がこの場なら出来るかを考える必要があるのかなと思いました。

(文・ネイティブ編集長今井尚、写真提供・がってん)

次回のおしらせ

FC今治の夢スポーツで、野外学校を企画する木名瀬裕(通称がってん)さんに引き続きお話を聞きます。お楽しみに!
The best is yet to be!

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