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ここで積み重ねてきた時間そのものが作品

物事をつくるプロセスを知る

今井 北海道で文化芸術プロジェクトづくりに関わる木野哲也さんにお話を伺っています。前回は北海道白老町の飛生にある芸術家のための共同アトリエの横で、森づくりをされているお話を伺ったんですけれども、木野さん自身はこの森に関わるようになって何か変化って感じていますか。

木野 そうですね。僕自身、これが変わったかなって思うのは、一つあげるとしたら飛生に出会うまでも、いわゆる文化芸術に関わったり立ち上げたり、仕掛けたりすることを札幌市内とか北海道でやってきたんですけど、それって、お仕事で受けるものとは違って、自分で0から1でやろうとするものをつくろうとするときの意識に、どこか手の届かないものっていうか、要はあこがれだったり、ちょっと背伸びしてるようなことがあったなって振り返れば思うんです。
飛生芸術祭とか、飛生で村祭りなどのキャンプイベントもやってきたんですけど、それって場所からつくらなきゃいけないんですよ。「木、雨風と戯れながら進む」みたいな。そこがすごくズドーンって来て。これはすげえな!みたいな。物事をつくっていく、それを自分の中でどう捉えて、形にしていくかという中に、森づくりの経験はすごく大きかったんです。僕は企画することが仕事だったりするんですけど、森づくりってめちゃくちゃ時間かかるわけですね。道づくりでも何百回とクマザサを刈り、戦いながらやっと12mみたいな。そういうつくり方を日ごろしていくことは、そこに至るプロセス、その道づくりに関わってきた時間や人、寄せられた思いとかをすごくかみしめるようになるわけです。尊いっていうか、そういう時間軸を含めた過程や感覚を得られたので、何かそれがうまく言えないけど、自分が主体で関わる・人に関わってもらう様々なプロジェクトやプログラムの中で、森で得た感覚を何かいい感じで派生していればいいなと。飛生って、村上さんも来られて思ったかもしれないですけど、「わざわざ行く」感じなんですよね。
公共交通アクセス0。こんな言い方すると勘違いされたくないですけど、どこかで「来れるものなら来てみろ」じゃないけど、どこかでそう思ってる部分があると思います。「わざわざ感」がすごく特別な感じがあるんですね。国道から6キロ入っていく、その道の途中でもう感情的に何かがスタートしてるんですよ。そこもすごい大事だと思っています。
もっと言うと、僕たちは夜に森で過ごすTOBIU CAMP(2011-2019)っていうのやっているんですけど、森の道に、照明を入れるわけです。すごく昔には、キラキラした光る棒状のライトを張り巡らせたりしていて、何か違うなと思ってたんです。あるときから舞台照明家に入ってもらって森を灯してもらったときに、「これ、来たな」と思ったのが、「ちょっと怖い」と感じたことなんです。要は照明って引き算なんですね。安全のために灯すっていう感覚じゃないのがあるんだって知りました。本当に最低限で、すごく物語がつながったと思うし、「怖い」っていう感覚がすごい大事なんだなと思いました。


村上 引き算っていうとこもそうだし、国道から奥地へ入ってるときから近づいてるって感覚があった話もありましたが、前回、「年間のスケジュールを決める」って言ってたんです、確か。それが僕、ちょっと不思議に思ってたとこがあって、今の話から逆算して想像すると、日にちが決まってた方がカレンダーに丸つけちゃったりして、そわそわなところも含めて、そういうところ、どうなんですか。

木野 日にち決めた方が、みんなにお知らせしやすいというか、単純にその方が運営していく上でいいよねって話です。

村上 木野さん自身が文化芸術プロジェクトづくりをしていくとき、ちょっと話がずれているのかもしれないですけど、芸術やアート作品づくりって、スケジュールが読めるようなものじゃない気がします。国松さんも言っていたけど、急にスイッチが入っちゃって作品がたくさんできるときもあれば、ずっと見ないふりをしている時間もある。すごく感性でスケジュールが決まるような気がしてたんです。
だからこそなのかもしれないけど、そういうことを待っていたら、多分、芸術祭とかのプロジェクトって、いつどんなときに起きるかわかんないような状態になるけど、なんとなく、このシーズンになったらこういうものを見たいよねっていうのが、ちゃんと出来事として起きるような感覚で、木野さんの仕事って布石を打っていかなきゃいけないのかなという気もするので、何かそういう経験が長い森づくりの、人のコミュニティーづくりにも接点があるように聞こえたんですけど。

木野 確かに当然、芸術祭って日にちがあるから、逆算してスケジュールを切る必要が運営のこととか企画とかオファーとかチラシつくったりとか、あると思うんです。でも今の村上さんの話でいうと、「創造の種」っていうのかな、ヒントになるようなこと、必ずしもそれが得意なわけじゃない人たちも含めて、これは飛生アートコミュニティーのいいところでもあるんですけど、アートの専門家や、アーティスティックなことに関わってる人は、1割ぐらいだと思うんです。そういう人たちで芸術祭をつくるって、めっちゃ面白いなと思っているんです。僕自身の仕事もからめて言うと、インプットをする時間、感覚はフレッシュでありたいと思うし、僕はそういうのが好きっていうのもあって、いつも、こういうのも面白いな、こういうのも面白いなっていつも考えているんですけど、そういった僕の中で勝手に蓄積したものをアートに特に関わってるわけじゃない普通のメンバーにも「こういうの面白いと思うんだけど」などと話をします。それは必ずしも僕や国松くんが先導していくものではなくて、みんなで打ち合わせとかもよくやったりするし、40~50人が森や校舎のあらゆる場所でコミュニケーションし続けているので、いろんなヒントやアイディアが出てくるんです。そういうのを拾い上げて、次の芸術祭でやってみようかとか、そういったことをここ2年3年、意識して、強めているかもしれないです。


アートにかかわらない人たちによる創造

今井 アートという作品が「結果」であるとしたら、この森づくりの活動は、その途上にあるものやことを見せる、途中経過みたいなことを見せる活動なのかなと思いました。先ほどの話の中で、森づくりに関わる人たちのうち、アーティストは実は1割ぐらいしかいないということでしたが、残り9割の人はどういう人たちが関わってるんでしょうか?

木野 そうですね、年齢でいうとね、本当に赤ちゃんからお仕事を終えた70代の方たちまで、いろんな人が当てはまると思います。

村上 みんなどこでどう知るんですか。ちょっと勇気がいると思うんですよね、新しいコミュニティーに入るのって。やりたいなって思ったからといっても、全員そこに踏み出すかどうか。その踏み出した人が、「第一声」どういうことを言うんでしょうか。もちろん十人十色だとは思うんですけど。

木野 一昨年ぐらいのときに、森づくりの10年を迎え、トマト農家をしながらビデオ作品をつくる仲間がいて彼と、ラッパーのメンバーも中心になって、こっそりメンバーを1人ずつ呼び出して、映像を撮り出したんです。みんなに割と同じ質問をする。なんでそもそも飛生を知ったのかとか、最初どう思ったのかとか。それは未完のまま終わってて、それをまた続けたいねっていっているんです。この話はその2人以外、誰も知らないんですけど・笑。つまり僕たちも知りたいんですよ。
一つ僕がこうかなって思うのは、一番最初に参加するとき、ちょっとドキドキするじゃないすか。友達できるかな?みたいな。それって多分、3歳でも65歳でも一緒で、そういう感じが僕はすごく大事だなと思っているんです。
最初は多分、お手伝い感覚みたいなところから始まると思うんです。きっと1回や2回はなんとか来れる気がするけど、やっぱり3回4回と、また行こうっていうのって、段々勇気みたいな気持ちがちょっと楽しさになっていって、その楽しさの中には語り合える仲間が少しずつできてくるのかな? そこからいつしか役割みたいのも自分で知っていって、自分の得意分野を出したり、言い換えればちょっと居場所になっていく変わり目なのかなって思います。


村上 全く同じことを聞いちゃうのかもしれないですけど、もし続かないコミュニティーが仮にあるんだったら、それってこういうものが足りてないんじゃないかなってもし言うとしたら、どういうとこだと思いますか。想像になっちゃうんだけど。

木野 今ぱっと思ったことですけど、だいたい「人対人」のような気がします。わかりやすく言うと、「あの人、嫌い」とか。自分の方向性とか、思い描いてたものと人が違うみたいなことも、もちろんあると思うんですけど、やっぱり団体やコミュニティーの活動って、数を重ねていくから、顔を合わせる人間関係を知っていくってことですよ。相手の知る必要なかったことまで知ったり、なんなら聞こえてきちゃったりするのって、コミュニティー活動につきものだと思うんですよね。
その中で少し、ねじれたものとか、その活動の趣旨と別な自分の感情が芽生えてくることって、やっぱりあるんじゃないかなと思うんですよね。

村上 アートに特徴があるとしたら、ある種、僕もそうなのかもしれないですけど、「変わり者」みたいなものを受け入れてくれる領域、間口がアートって広い気がしていて、アートや森っていう特徴が、人間関係や歩調を合わせてくれる、何かそんな役割もあるような感じがするんですけど、そんなのって感じたりしますか。

木野 そうですね。アートがそうさせてるっていうのも、確かに言った通りのことはあると思ういますし、アーティストやアートの関係者はすごく少ない状況の中で、アンケートっていうか、みんなの声を聞こうみたいなことが時々やるんですけど、そこに「どんなことをやってみたいですか」っていう項目に、「もっとアウトリーチしよう」とか、「飛生以外のとこにみんなで行こう」とか。「他の地域活動しよう」とか、「もっともっと森のことやろう」とか、「もっと子供たちと創作活動をやろう」とかいろんな声がある中で、いわゆるアートとか創作表現すること、それは必ずしもそのオブジェクトとしての作品じゃなくてもいいと思うんですけど、演劇やダンスもアートだと思うんですけど。そういった「創作的なことをもっとやってみたい」みたいな声はめっちゃ高いんです。
だから、何か工夫して、外部の講師やいろんな演出家さんとかディレクターさんとかと関わりながら、コミュニティーの人たちが一つになってつくる作品とかがもっとあっても面白いかもなって感じてます。

村上 聞けば聞くほど、僕はアートって見るっていうイメージが勝手にあったんですけど、そうじゃなくて、つくることもあって、それは1人の作家さんがつくってるものももちろんあるのかもしれないけど、みんなでつくる、その過程そのものがアートだったりっていう部分を、今伺っていて、「アート=見る」じゃない、それ以外のものっていう領域がたくさんあるんだなって、言われてはっとさせられるっていう感じがありました。

木野 飛生に関しては、もう「時間そのものが作品」って思ってます。だからアートプロジェクトという言い方が最近多いですけど、それって結構プロセス重視です。出来上がった作品や発表に重きがあるんじゃなくて、そこで地域の人たちと出会って積み上げていくじゃないすか、なんかそれがアートプロジェクトって言われて、僕はそれが大好きです。

今井 0歳から70歳という年齢の幅もそうですし、本当にいろんな人が関わってるんだなと思って、アートに縁のない人たちにも間口がすごく広く開かれている、アートの範囲を広げる活動なんだなと思いました。

(文 ネイティブ編集長・今井尚、写真提供 五十嵐阿実)

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次回のお知らせ

引き続き、北海道で文化芸術プロジェクトづくりにかかわる木野哲也さんに伺います。共同アトリエとして始まった飛生アートコミュニティーに森づくりの要素を加えた木野さん。森をつくりつつ、育ってきたのは人の輪でした。どのようなことをされているのか次回もたっぷりと聞きます。

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