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アート拠点で森づくりをする意味

放置された学校森に人を呼んだ

今井 北海道で文化芸術プロジェクトづくりに関わる木野哲也さんをにお話を伺います。実は前回まで出ていただいた国松希根太さんとは飛生で一緒に活動されてると伺っています。

村上 実は前回出ていただいた国松さんと、今回出ていただく木野さんとは飛生アートコミュニティーで実際にお会いして、お話をさせてもらって、お酒もたくさん飲ませていただきました。アートコミュニティーっていういろんな人が集う場所が飛生を拠点にあって、代表は前回出ていただいた国松さんですけど、今日の木野さんはだいぶキーマンだと思います。生き字引のような人だと思いますし、ムードメーカーでもあるかなと思ってます。国松さんとは友人でもあるということで、今回はそのアートコミュニティーがどういうふうに育ってきて、これからどういうものを描いてるのか、お話を聞きたいと思います。

今井 それでは木野さん、まず普段はどんな場所で、どんな活動をされてるのかという辺りから伺えますか。

木野 僕は、家は札幌市で、札幌を拠点に白老町で文化芸術関連のプロジェクトを起こしたり、それを続けていくための活動をしたりしていることが多いです。その中に飛生アートコミュニティーもあるっていう形ですね。


村上 飛生アートコミュニティー、この時期は冬に差し掛かってるとこで、オフシーズンみたいな感じなんですか。

木野 そうですね。共同のアトリエなんですね。白老町の国道から6キロぐらい離れた奥の方に、平屋の木造の校舎があって、そこが1986年に廃校になったんですけど、国松くん代表をはじめ、アーティストたちの共同アトリエっていう場所です。今の時期は11月で寒くなってきましたが、基本的にはアーティストたちが作品を作る場所なので、国松くんをはじめ、そういった方たちが利用しています。
僕たちは森づくりっていうメンバーなので、春から秋まで森づくりとして、月1回、多くて2回3回通っています。

村上 今「森づくり」というキーワードが出ましたけど、アートコミュニティーと、森づくりっていうのは、納得して聞いちゃったんですけど、本来別だと思うんですけど。

木野 廃校の校舎、その後ろに、学校の敷地に森があるんですよ。小さな森なんですけど。そこで活動しているのが森づくりです。

村上 大きさ的にはどれぐらいなんですか、

木野 小さいですね。300mぐらいかける300mぐらい角ぐらいかな。

村上 その敷地の向こう、お隣さんとかは・・・

木野 どういう立地関係かっていうと、国道から6キロぐらい離れた本当の奥地に、(飛生という名前は)住所にはないんです。住所は北海道白老町竹浦なんですけど、その中に飛生っていう地区の名前があって、飛生地区という、はっきりわからないですけど5世帯10人ぐらいが住んでいる本当に小さな小さな集落です。
山側にあり、上空にドローンを飛ばすと、ほとんど建物のない場所の中にポツンと学校とグラウンドとその学校の後に森がある。大きな牧草地も周りに広がってますね。

村上 その森の生態環境みたいなところは、北海道では普通にあるようなバランスで成立してるんですか

木野 そうですね、どんぐりとか朴の木を中心に、北海道らしい木が入っていて、飛生のグラウンドって小さいですけど、先代たちが桜を植えてくれたんでしょうね。すっごく綺麗な桜がグラウンドを取り巻くんですね。
町内でも飛生に来たことがある人は実はすごく少なくて、聞いたことあるけど行ったことないっていう人の方がきっと多いと思います。後で話が出ると思うんですけど、飛生芸術祭っていうのをやってる期間中に、同じ竹浦地区のおばあちゃんが来て、「私、50年竹浦に来てるけど、飛生って初めて来た」っていう人がいたりしました。それぐらい、行ったことない人はすごく多い場所です。


村上 行ったことがあんまりないのに、飛生っていう名前とか、何かあるんだなっていうのは何を思って認識してることが多いんですかね。

木野 はっきりわからないですけど、僕たちのようなある意味白老じゃない人間たちが、芸術祭っていうものとかイベント的なものをやり始めてからだと思うんですけど、時々メディアに載ったり、町の広報誌に載ったりとか。そういったこともありますし、もしかしたら国松希根太さんのお父さんの世代、第1世代の人たちが1986年から始めているので、今最近知ったっていう人もいるだろうし、実は前から知ってて気になってたけど、行ってなかったみたいな、何かそういう場所ってあったりするじゃないですか。そういうものかもしれないですね。

今井 前回まで国松さんに共同アトリエでのアートづくりっていうのは伺ってきたんですけど、そこにもう一つ森づくりっていう要素があるんだなっていうのがよくわかりました。その森が必要なのには何かもう少し理由がありそうですね。具体的に言うとどういう活動をされてるんでしょうか。

木野 森づくりはですね、大体春4月から始まって、10月に納会をするんですね。その間、毎月1回は必ず、夏場、さっき芸術祭って話しましたけど、その準備とかも入ってるんでそういうときは、2回とか3回集まったりすることもあります。2011年4月からスタートして毎回土日に設定するんですね。土曜日、お昼前ぐらいに集合して、翌日曜日の夕方前ぐらいに解散するっていうのが流れなんですけど。土曜日のお昼、土曜日の夜、日曜日の朝、日曜日の昼っていうそのご飯の話からしますけど、みんなでご飯を作りって食べて、近くの温泉に行って、夜はバーベキューをして、日曜日は真面目にミーティングなんかして作業してっていう感じなんですけど。作業でいうと、当初、森が鬱蒼としていたので、さっき第1世代の方たちって話したと思うんですけども、1986年に飛生アートコミュニティーをスタートした第1世代の方たちは、校舎はもちろん使ってたわけですけど、後ろの森って全然触ってなかったんです。森が整備されないっていうのかな、倒木があったり、クマザサが生え放題だったりして、それが始まりです。

村上 そうすると、目標としては元の子供たちが学校の森としてやってた時期に戻そうっていうのが、当面の目標だったんですか。

木野 そうですね、そうとも言えますし、とても地域として寂しい集落になっているっていうこともあり、僕、アートコミュニティーって今さらながらいい言葉だなと思ったりもしているんですけど。もう1回、子供も地域の人も外の人も、誰もが学べたり、感じたり出会ったり、体験できたりする場所を取り戻す「交流の場」みたいなイメージが強いかな、そういう意味でも、もう1回、森を整備して道をつけ直して、かつ、今自分たちが作ろうとしているものとか、例えばそれがアート作品だったりすると思うんですけど、結果的に森と人と作品とが共生できる場を時間かけて作っていくのが目的です。

村上 面白いなと思ったのは、「納会の設定」やら、その後に「ご飯の話」から始まったことです。やっぱりずっと通い続けるって、人間の興味関心を持続できる人もいれば、持続しない人もいる中で、なんか楽しく無理なく、でも真剣にやるときはやろうぜみたいな感じの、そういう雰囲気がもう既に木野さんの言葉のバランスから聞こえてくるんですよね。その上で、食べ物もそうなんですけど、もうひとつそこにアートっていうキーワードが入っています。森づくりとアートは本来一緒なわけではないんだけど、あまりに木野さんのしゃべりっぷりが自然につながっているものだから、僕もスルーしそうになるんですけど、改めて森とアートのきっかけみたいなところは、どうだったんですか。


神話の上に広がるストーリー

木野 森づくりって聞くと、なんかすごくストイックなイメージをされるかもしれないですね。そういうことももちろんやったりしますし、生態系を考えたり、木の根っこの下のことを想像しようとか、そういう林業の人を呼んだり学んだりすることもあるんですけど、アートコミュニティーだからアートっていうふうにイコールっていうわけではなく、森の中で創作することや、人間の創造性をもたらそうと強く思い始めたのは、活動が始まって1年2年たった辺りから強くなってと思うんです。大きなきっかけは、飛生という名前のアイヌ語源が二つあって、一つは「根曲がり竹のあるところ」という意味なんです。北海道ならではの千島ザサと言われるもので・・・

村上 クマと人間が取り合いになるぐらいのやつですよね。

木野 そうそう。確かに飛生は、竹浦って言われるぐらい地名に竹がついたりとか、飛生の裏の方に僕らもタケノコ採りに行くんですけど、ものすごいタケノコの産地だったりするんです。そういう語源があることと、もう一つ「トゥピウ」っていう「黒い大きな鳥がいるところ」っていう意味が残っています。
なんかすごく想像がかきたてられますよね。
僕たちはさっき人と森と作品の共生って言いましたけど、作品がただ森の中に入ってく、人間のある種エゴな造作物をただ森に置くのはちょっと違うなと思っていて、仮説を立て始めたんです。
ここの森には黒い大きな鳥がいるかもしれない。だったらその麓に村人がいて、村人はきっと雨をしのぐ小屋が必要だろうとか、煮炊きをする釜が必要だろうとか、石を積んで火を起こすところが必要じゃないか、っていう仮説を立てて、ちょっとずつ森で倒した木で小屋を作り始めたり、小屋の屋根も土からそのまま延長している洞窟のような形にしよう、窯を作ろう、とか。みんなでご飯を作るとこにしようと話し合ったら、地面のグラウンド・ゼロの上に建てるんじゃなくて、掘って面倒くさい作りの釜を、時間をかけるために作ったり、そういうストーリー性を加味したりストーリー性を育みながら、仮説のもとに森づくりを進めてます。
だからその語源に出会ったきっかけを、そこを深めようとみんなで思ったことはすごく大きかったと思いますね。

村上 何ていうのかな。僕は野暮な人間なので、黒い大きな鳥がいるとなったら、鳥を調査したり、見つけようとしちゃうんだけど、今の木野さんの話って、いるとして、それにはそれとして触れるものではなくて、いるその下で人間の住んでいく物語を紡ぐための仮説を聞いちゃうと、なんて僕は野暮なんだろうって思っちゃいますけど、みんなそうなんですか、集まってくる人たちは。

木野 いやそれはどうかな、今の話でいくと、超神話的な話じゃないですか。そこを、わざとそう見立てて、神話のまま続けていくことの面白さに、実際2年とか3年とかかけて小屋を作ったりすると、気持ちがすごく入っていくんです。あとは子供たちがたくさんいて、僕らの近くで活動を見てたりするので、何かこういう場所があってもいいだろうと。
何て言うのかな、もっと言うと、この土地でしか成し得ないようなそういう創造をやりたいなって強く思っていますね。
大事なのは物語を与え過ぎない、台本を与えないこと。こういう物語なのです、と言わないことだと思うんですね。そうするともう一気に面白くなくなっちゃうというか、僕たち大人でさえどうなるかわからないところを、どう続けていくか。その一つが、来たことない人には種明かしみたいになっちゃいますけど、ものすごい大きな2mぐらいの羽根を彫刻で作って、木の枝のY字のところに刺さっているっていうのが1枚だけあるんですよ。誰にもお客さんには言わないですよ。そうすると、イベントとか年に1回ぐらいあるときに来た人が、「あれ、何かあるぞ?」「あれ何だ?」「でかい!」ってなるわけです。
目線よりずっと上の方にあるし、鳥の羽が結構リアルなので、一瞬大人でもあれっ?となります。あとは見た人それぞれの頭の創造性で、自由に始まります。そこから何かがみたいなのを大切にしたいなと思ってます。


今井 最初、森づくりをされてるということで何か森林保護とかそういう文脈なのかなと思ったんですけれども、全く違って、どちらかというと人づくりというか、コミュニティーづくりを森でやってるんだなっていうのがよくわかりました。
(文 ネイティブ編集長・今井尚、写真提供 木野哲也、アキタヒデキ)

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次回のお知らせ

引き続き、北海道で文化芸術プロジェクトづくりにかかわる木野哲也さんに伺います。共同アトリエとして始まった飛生アートコミュニティーに森づくりの要素を加えた木野さん。森をつくりつつ、育ってきたのは人の輪でした。どのようなことをされているのか次回もたっぷりと聞きます。

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