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摂食障害【幼少期】


摂食障害。拒食症。過食症。

根深くて残酷なこの病気について、同じように苦しんでいるひとへ伝えたいこと、残したいことが多すぎて、言葉にできるか不安でなかなか手につかなかった。

経験と今思うことをわたしなりに書いてみる。

摂食障害になりやすいひとの特徴は色々ある。
・完璧主義
・努力家
・幼少期の家庭環境
等々。

見事に当てはまっている一方、消極的で大人しい性格かと言うとそんなことはない。

両親も兄も、わたし自身も人一倍明るく、人見知りもせず、人を笑わせることが大好きだ。

◯小学生時代

両親が離婚して母と兄3人での生活が始まった。

小学校5、6年でいじめに遭った。

仲良しグループから仲間外れにされ、放課後複数人に囲まれ理不尽な理由でビンタされた。

その日は学校参観日。

同級生の母親が偶然目撃していて、わたしの母親に報告する、なんてこともあった。


◯中学生時代

母親に彼氏ができて家へ来るようになった。

男性は優しかった。

ただ、男性がいない日の母は疲れでイライラしていていて、よく怒られたし怖かった。

男性がいる間は機嫌がいい、その間はほっとしたのを覚えている。

同時に、入部した部活動がすごく厳しかった。

全国大会常連校。

部活動以外の時間も顧問による厳しい監視と指導が徹底されていた。

これについては、完璧主義に拍車をかけたと思う一方感謝をしている。

思春期という羽目を外しやすい時期に家の居心地が悪かった自分に、礼儀作法から気の遣い方、上下関係を叩き込んでくれた為荒れずに済んだし、社会人になった今もこの頃の経験は大きく役立っている。

容姿のコンプレックスを感じ始めたのもこの頃。

階段を登っていたとき、背後の男子に足が太いと言われたり、好きな人の前で別の男子から「お前足太いな。(好きな人)と比べて見ろよ。」と執拗に言われたことを強く覚えている。

◯高校生時代

部活動の縛りもなくなり、自由な時間が増え、本格的なダイエットが始まった。

正しい知識もなく、質量のある米と肉を抜けば大丈夫とか、飲み物なら大丈夫、野菜料理なら無制限とか間違いばかり試していた。

"自分ルールを作る"という摂食障害にありがちな特徴は既に始まり、一定期間試して新しい情報が入ればまたルールを作るおいう生活を繰り返した。

それでも母の手料理はおいしくて、クリスマスやお正月に並ぶご馳走や実家ならではのお菓子の誘惑に負けることも多く、一度食べると止まらず我に返り深く後悔を繰り返した。

絶食すれば反動で過食欲が湧くという今でこそ当たり前にわかる理屈が理解できず、根性が足りないんだ、甘えだと思い込んでいた。

友人関係でもまたトラブルがあり、一時期は話し相手がいなかった。

体育の授業でペアが見つからず先生とキャッチボールする、なんて漫画みたいなこともした。

卒業直前に母と男性が籍を入れ、団地から賃貸の一軒家へ引っ越し4人での生活に変わった。

男性の態度は急変した。

「自分の家だ」と怒りっぽくなり、居間で寝転がるだけで怒られた。

母親にも強く当たり、男性を嫌悪し懐かないわたしと、そんなわたしが可愛いはずもない男性の間で母はいつも板挟みだった。

◯社会人

専門分野の高校だった為卒業後そのまま就職。

痩せたい願望は相変わらずで、実家での食事の誘惑と義父がいる居心地の悪さから一人暮らしを始めた。

誘惑がないと自分ルールはなお厳しくなり、許していないものは一口すら受け付けなかった。

真っ先に犠牲になったのは人間関係。

大抵の人付き合いは"食事"が絡んでくる。

友達と遊びたくてもルール外の外食が許せず、断る理由探しが苦しくなり、付き合い自体をやめた。

異性関係も難しかった。

好きなひとに告白をされ交際を始めたけど、会うのはいつも仕事終わりの遅い時間。

「残業で遅くなった」「食事は済ませた」と嘘をつく日々。

優しい人だった、すごく大切にしてくれた。

けど、食べたくなくて、何度も断りたくなくて、冷めたと嘘をついて数ヶ月で別れた。

一口さえ許容できない。

でも決して細くない。

この矛盾のせいで誰にも言えなかった。

「食べられない?デブなのに?」そう笑われることが目に見えていた。

そして拒食症に転落するきっかけが2つ起きた。

1つは友達の一言。

数年ぶりに会った友達は昔から容姿のコンプレックスを抱え、同じように悩んでいた。

多くの情報やルールに縛られ、対人関係も辛いことをふと漏らすと「本にあった言葉に『自分が気持ちいいと思うことをしなさい』って書いてあった。」と教えてくれた。

「周りはやり方が違うとかこれが正しいとか言うけど、自分が気持ちよければいいんだよ。」

人間関係と両立できないことへの罪悪感や背徳感と、多くの情報が出入りするストレスが自分の首を絞めていた当時、この言葉で心が一気に軽くなった。

目的を達成する為なら人間関係を犠牲にすることは仕方ないんだ、自分が徹底できるルールを続けよう、と良くも悪くも開き直れた。

ただこの言葉に出会えた後悔はしていない。

いい意味で今でも生きている。

2つ目。

偶然目に入った「拒食症なのに50キロ?」というツイート。

刃物みたいにぐさりと刺さった。

50キロは甘えなんだ。

50キロで食事に悩むなんてなんておかしいんだ。

もっともっとストイックにならないと、と拍車をかけることになった。


自覚のないうちに染み付いていた摂食障害への伏線。

今ならそのひとつひとつが自分を傷つけて、追い込んでいたと思える。

そして今なら「そんなことないよ。」と言葉をかけたい。

甘えでもないし、愛されないわけではない。

何があっても愛してくれる人も、ガリガリでなくても好きになれる自分も、時間はかかるけど絶対に絶対に待っている。

拒食症、過食症についてはまた書きます。

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