渦の廻転
泡立つ波が海面に白い線を描いた。
高速バスの窓から見えるそれは瞼が開いたり閉じたりしているようで、その無限の一瞥が、よそ者の私を捉えた。
1年前にも見た海だ。
今ではすっかり見慣れてしまった遠州灘の荒々しい海とはまた違う、静かに凪いだ、どこかささくれだった気持ちを鎮めてくれるところのある海。
故郷でもなんでもないのに、あぁやっと帰ってきた、なんて思ってしまう。
去年、ほんの2週間くらいしか滞在しなかったけれど、その後の人生の方針を決めるにあたってこの鳴門は重要な意味を持つ場所になった。
また会いましょうと約束した人たちがいて、農業従事者として改めて見直したい点があって、時間をかけて考えたいこともある。
それはこの場所でなければならない。
今年も去年と同様におてつたびを通して徳島に行けることになった。
常時金欠のようなものなので旅先で旅費と生活費を工面できるサービスがあるというのは本当に助かっている。
改めて色々説明しようと思ったけれど、大抵のことは去年の記事に書き残しているので、暇なら下記のリンクを読んでくれると嬉しい。
5月1日に鳴門に到着して2日は市役所の方に観光案内をしてもらい、3日から農作業の手伝い(らっきょうの計量+箱詰め)が始まった。
農家さんと再会の約束をしていたとはいえ、1年も空白があるとさすがに緊張した。
それでも作業場に着くと農家さんと犬猫たちが出迎えてくれて、去年セーブした記憶がそのままロードされたような、過去が結節点を見つけたような不思議な感じがした。
私たちはお互いこの1年をどう過ごしていたかを軽く話し、当たり前みたいに1年前と同じ作業を始めた。その変に硬くならない恙なさが心地よかった。
仕事は午後からの4時間だけなので、午前中はだいたいゴロゴロしたり散歩したり本を読んだりしている。つまり、浜松での生活とほとんど変わらない。
観光は去年ある程度やってしまったし、そろそろ四国への移住を本格的に考えるつもりなので、「この場所で暮らすとしたらどうかな」という視点で日々を過ごしている。
鳴門は山にも海にも近く歩いていて飽きない。
1年前も散々歩き回ったのに、ほとんど毎日海岸沿いをぶらぶらしてしまっている。
今日で旅の日程のだいたい半分くらいを消化していて、残りも大して何もせず流れるように終わっていくのだと思う。
でもそうした起伏のない生活を送っていても自分の中に何かが蓄積されていく感覚がある。何はともあれ、渦は無事にひとつ廻ったのだ。
今はただ、それが確かな形になるのを待っている。
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