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退屈で刺激的で不完全でパーフェクトな日々


休息とは、世界のすべてを判断抜きで受け入れること。たとえば、海での水遊び。互いに名も知らない兵士とのセックス。未知のもの、無名のものへの優しさ。つまりは自己への優しさ……。

M・オンダ―チェ『イギリス人の患者』, p64

散歩:16832歩。

AM5:50、起床。
次の瞬間にバイトが休みであることを思い出し、喜びを噛みしめた後に即二度寝。

素晴らしい一日の第一条件は強制された労働が無いこと、これに尽きる。
そして第二条件は、何も予定が無いことだ。

それでも長く眠ることは出来ず、結局7:30くらいには起きてしまった。顔を洗って歯を磨き、コーヒーのためのお湯を準備した。

朝食は納豆ご飯。
体力を使う作業が増えてからはなるべく朝食を摂るようになった(時間がある時は)。

特にやることも無いので布団をベランダに干して、陽に当たりながら外を通る車をぼんやり眺めた。

広くなった部屋に寝ころび『マルタの鷹』を読む。職場でよく本の情報を交換するおじいさんから薦めてもらった本だ。
タフでクールな私立探偵が頭脳と腕っぷしでハードな状況を切り抜ける、といったよくあるハードボイルド小説で、話の骨子が先日読んだレイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』によく似ていた。
こういう小説ではよく高級そうな服やお酒の描写がされるのだけれど、如何せんその周辺知識も経験も無さ過ぎて上手く状況を脳内に描けない。

こういうことはよくある。
花の名前とか、木の名前とか、地名とか、小説の本筋には深く関わらないささいな描写と情景を組み立てる脳内の接続が悪くなる。知識の乏しさへの小さな失望。

本を読むのに飽きたのでアマプラで『Cats of the Aegean Islands』を観る。エーゲ海に浮かぶギリシャの島々、に暮らす猫たちをひたすら追いかけるだけのドキュメンタリー。
人には国民性があるのに、猫は世界のどこでも同じように猫をしているから面白いというか、謎の安心感がある。

ギリシャに行きたくなった。

迷った。

そんな風に午前を過ごして、昼前になって今日が水曜日だということに気づいた。
水曜日は映画が安くなる。
そして観たい映画がひとつあった。
ので、自転車で映画館に向かうことにした。

今日は雲ひとつない晴天で、映画館に着くころにはじんわりと汗をかいていた。冬が終わる予感がした。

観た映画は役所広司さん主演の『Perfect Days』。
トイレの清掃員として働く男の日常を淡々と映した物語だった。
とにかく静かな映画で、役所広司さんが演じる主人公の平山もほとんど喋らない。環境音の方が大きく聞こえるくらいだった。
切り取られた日常が遠くなったり近くなったり、平山の人物像や過去についても何も語られないまま話が進むので全体としてぼんやりとした印象だった(そういうのはとても好みだ)。
監督が外国人だったからか舞台である東京の映し方が特徴的で、どちらかというとサブカル的な側面から東京という地を見ているように思えた。
あとは禅的なものの見方も盛り込まれていたように感じた。

ある定点から覗けば何の変化もなさそうな、退屈極まりない日々も細部に目を凝らせば確かな変化の連続であり、それは刺激に満ちているものなのだと改めて気づかせてくれる良い映画だった。
ラスト1分くらいの役所広司さんの演技が凄まじかったので、是非見てみて欲しい。久しぶりに「俳優ってやっぱり凄いなぁ」と思った。

語りたいシーンはいくつもあるのだけれど、ネタバレは避けたいので控えることにする。

現実の生活は起伏の乏しい映画にすら及ばない。退屈で不完全で、満ち足りているのはせいぜい不満くらいだ。
やり方を間違えているのか、楽しむための視点が足りていないのか。あるいは両方。
その時の精神状態に左右されることは否定できないが、欲求のレベルを下げたささやかな生活を飾るコツはやはり感受性と、観察という行為の中にあるのだと思う。

でもそういう意味合いにおいては、労働もなくて本が読めて猫だらけのドキュメンタリーも質のいい映画も観れて……と、今日はそこそこ刺激的でパーフェクトな一日だった。

ちゃんと今日に満足していたことを見落とさずに済んだので、振り返りのための日記を書いて良かったと思う。

この間まで蕾だった。

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