父と娘のIQとギフテッド、そしてMENSAへの道 その6

・ 前回のあらすじ

前回は、小学校お受験の時にあったある意味ヤバい内容を含んだお話を50年近く経って親から語られて事をお話しにしました。
そして決断力のないバカ親父の屑っぷりの一端が見え隠れもしての小学校お受験でした。

さて、今回の内容はMANSAと言う組織なんて、当時知らんかったよ……。から私立と公立小学校の差・先生の質なんかも語っていこうと思います。

① ギフテッドとMENSAについて


私の幼少期はは今と違って母もギフテッド、MENSAなどの事を調べる術を知りませんでした。
そして、幼少期以降を過ごして今に至りますが、50歳を超えた今現在でもIQの簡易判定では130~140のスコアがある事がわかりました。

もっと劣っていて、数値も一般レベルだよね?と思っていたのですが落ちたとは言えまだこの数値はあるようです。
今からでも、後天的なスコアを再び上げる事は出来るのではないか?と思いますが、上記の簡易判定を8分程集中して取り組んだ時の疲労感が半端なくとてもそれを常に続けられる体力が私には備わってないのも事実な事になります。

MENSAと言う組織を幼少期に知る事になっていたら、私の未来も少しばかりの変化があったかもしれません。

この部分は私の娘に託したいと思っており、娘自身も簡易的なテストで150位のスコアを出しており今後MENSAに挑戦したいと話し私と相談しております。

今後、MENSAに入れたならギフテッド・2eにも対応した勉強だけでなく、ほかの分野にも対応した育成施設の運営等も視野に入れながら構想を私と娘で構築していこうと考えております。

② 公立と私立の違いに対する私なりの所感


ギフテッドに関しては、私は公立校に通う事はありませんでしたが所感として、公立校は教育私立校は育成と言う意味合いの部分が私の中で強くあります。

娘は公立校の中でもモデル校を選択していますが私の通っていた私立校と同じレベルになるか?と言う意味でどうなんだろうと考えてみてもレベルの差は歴然でありました。

先生方の質生徒の授業への関心度においても前に少しだけ語らせていただきましたが、言葉として言語化すると

公立校はサッカーで例えると学校のクラブに近い意味合いに感じてしまい……。

私立校はプロを目指し育成するユースチームであり、目標意識が高い人の集まりでもありました。

そうですよね。私立校に通っていた私の小学校6年生の全生徒は公立校への進学は全く考えず中学受験をし進学するのですから……。
当時の公立小学校の6年生全員が中学受験をするなんて事は、私自身も聞いたことはありませんでした。

今日では、一部地域の公立校などは私が経験しているような感じで全クラスの生徒さんたちが中学受験を目指すと言う所も一部ではあるようです。

私立校=プロを目指すユースチーム的な立ち位置に近いと私自身が今になって思う所であり
偏差値70を超えるような偏差値との追い掛けっこで、常にトップカテゴリーを見据えつつ切磋琢磨出来る人々の集まりである事は事実だと思われます。

・ 先生方の質の差

これにおいても私個人の経験による所感でありますが、私の担任となった先生方は出来ない部分は常に補って頂き
学力向上にも繋がりました。

今現在では考えられないと思いますが、何回となく担任の自宅へ強制連行をされ担任の自宅から学校へ通ったなんて事もあったぐらいです。

こういう部分は時代背景もありますが、愚弟の通っていた公立校、娘が通うモデル校の公立校の先生方でも、まったくありませんでした。

時代背景もありますが、こういった意味で教育と育成の違いがあるように昔は今と比較にならない育成に力を入れていた先生方が多かったとも考えられ私はそう言う先生方と巡り合ったのは幸運だったと思います。

近年で中学受験をするご家庭が多くなってきているのは、小学校の6年間で先生の質について親たちが疑問を持ち中学受験をさせ合格を勝ち取る事で、私立と言うユースチームという育成に重点を置いた学校で学んでもらいたいと言うのが根幹になってくるのではないでしょうか?

プロのアスリートと同様に勉強・学力も一種のアスリートと思ってしまいます。

・ 先生方に恵まれた父、娘はどうだったか?

そして……。公立の先生はどうして中学受験に対して否定的な考えをお持ちの先生が多いのでしょうか?
娘を通して、見てきた先生方の半数以上が中学受験に否定的な先生方でもありました。

真面目な話で中学受験の時に提出する内申書の書き方が解らないと言う先生もいるぐらいなんですよ!
これにプラスして、6年生の担任に気に入られれば良い話ですが……。

「挫折をした方が良い。」だの……。
「内申書を良く書くか悪く書くのかは私の裁量」と言う言葉まで飛び出してくる次第ですよ。

確かに中学受験時の内申書はブラックボックス化しており
高校受験時の内申書をこういう風に書きましたと言う内容の提示もされませんからね。

こういう部分からも私立と公立の先生のレベル差があると言えるのではないでしょうか?

娘の高校時代の担任において、1年時は趣味の事は後にして勉強に励め的なニュアンスを言われ続けます。

2年生の時に美大・美術系の高校等が出展する画家の登竜門とした位置づけの日本画・絵画展に出展し入選を果たしたことによって……。

担任は掌を返して美大を目指せ、美大を受験しましょう!と言い出し始めます。

1年前は趣味は後回しにしろと言っていたのにね……。

まぁ、私立の先生でもこういう自分の評価を気にしている担任も居ましたから……ね。
娘はつくづく私立・公立共に担任には恵まれない事の方が高かったのも事実になります。

この直後に、娘のやらかしがあり……。私同様の歴史を繰り返す事に匹敵するのがありました。
これもいずれ書きますのでその時までお待ちになっててください。

こんな感じで、娘は学校の先生は軒並みで良い時期と悪い時期の2極化と言った感じになります。

娘に合う先生を選択できる学習塾の塾長と先生、オンライン家庭教師等では私の私立の先生と同等の育成をして頂き娘にとっての恩師が多かったのも事実です。
むしろハズレを引くことはまったくありませんでした。

娘自身の成長力もありますが学力では、偏差値70を超え大学入試等の全国模試でも全国24位と言う成長をしてくれる事にもなりました。

こちらの方は私のもう一つのマガジン(有料記事あり)の方でも執筆しております。
公立の先生方の質について実際に合った事を含んで書かせて頂いており、娘の成長でどのような事があったかをノンフィクションにて書いてます。

③ 私立校の小学校時代について


上記のような、ユースチームに近い私立小学校ではありますが、私自身「遊び=学び」と言う事が少しずつ色褪せてきており、興味の持った事は深い所まで考えるが学校の勉強と言うのは好きではなかった。

また、友人との会話等でどうしても周りと思考速度だけは違いを感じており頭の中のリソースが常に余ってしまうのが常でありました。

この事からも、友人と会話しながら、他の事を考えているのが常でした。

嘸かし周りの友人達は私を見て何を考えているか判らないと言うのはあったと思います。

私が周りに同化して溶け込むようにはして偽装を続ける日々でした。

IQが高くバカな部類でありますが、同化し続けた事で私の本来の姿を見定められた人は少なかったとおもいます。

・ 同級生で私と同等のIQがあった人は居たのか?

この疑問は私立校でもどうだったのか?という疑問はあります。
確かに、勉強ができる生徒は沢山いました。

学力の差は私の考えで勉強の習慣化練度の差と思っています。
練度とはどういう事?と思う方々も居ると思います。

例えば……。
・算数なら基本となる計算をする速度
・国語なら読書量による読解力と語彙力
これらを早く、正確に実行しアスリートでいう所の基礎トレーニングの部分です。

その辺りの差は、偏に勉強時間の総時間数だと思っています。

私も2年生くらいまではそこそこの成績だったと思いますが、4年生以降は放課後残されて補習を良くさせられていた口でした。

小学校の受験をし私立校に通い6年間を過ごし中学受験をする事になりますが、当時、私の小学校6年生の中学受験において家庭教師、四谷大塚に通って受験をするのが大多数の時代です。

成績は下位の方でありましたが、学校側からは大学付属の学校から私を推薦で来て欲しいと言う話もありました。

この時もなんか変なバイアスがかかっており

この中学校側からは「勉強もさせますから、我が校に来てほしい。」と言った内容を今後の進路をどうするかと言う面談において担任より話された事でもありました。

我が家はこれを辞退して推薦枠ではなく一般受験をし、学校の補習と家庭学習のみで第3志望に合格いたします。

今思う事は何で下位に居るような私に推薦の白羽の矢が立つような事になりそうだったのか?

そういう疑問は今でもあります。
私以外にも生徒はいたと思うのですよ。

只、この付属校の大学はどちらかと言うと今も昔も体育会系の色が強く下記に書いた通り陸上のタイムが伸び始めた事もあったのが要因なのではないか?と言う事が大きいのではないでしょうか。

学校側として、私の合格する事になる第3志望校は創立100年以上と言う長い学校ではありましたが、今まで入学した実績がなく私らが初めて受験する学校だった事もあり実績のある推薦を押してきたのかもしれません。
小学校の面談の時に、上記の事も言われましたから……。

・ トップクラスと戦い続ける為に

学力的にトップクラスになれませんでしたが、時折その層に居る人を脅かすような成績が取れるような事が度々あります。

例を挙げると……。
・ 国語の読解で上位層が10分掛かっても答えられない記述を5分程で回答出来たり

・ 理科のテストでは90点台と上位のグループと張り合えたことがありました。

部分的になりますが、それなりのポテンシャルはあったと私自身も思う所ではあります。

IQ的な数値と歯車が噛み合った時に発動されるスキルに近く当時はどうやったらその領域に立ち続けられうのか?と言う事が私自身理解できない部分でありコントロールする術を会得出来ない状態でした。

点と点があるのは解るのですが、それをどうやって繋ぎ合わせる維持・持続させる為、その手順が解らず苦労した時代でもありました。
この経験は後に娘を育成する上で大変役に立つ事となる経験値でもありました。

クラスの友人の中で学力的に私と同等の開業医の友人もいましたが彼もある教科はトップクラスと同等の成績を取る事もあり、今思うと私と同じタイプなのかもしれません。

大人になってから思う事ではありますが、捻くれて難しい問題等の方が理詰めに深く考える事からも国語等の問題では回答率が良かったのかもしれません。俗に言う点を取らせない問題だけに強かったと言う部類だと思います。

・ 体力が伸び続ける事となった時期 そして、歴史は形を変えて繰り返される。

4年生から5年生終わりまで。習い事としてリトルリーグにも通っておりました。
私はどうやらプレイヤーと言うより、見て楽しむ方が野球は好きだった部類になるのでしょう。

どちらかと言うと硬球が怖い……。イップスに近いものを常に感じており、指導者の球をキャッチボールで受け取った時物凄く重かったのを鮮明に覚えており上手く捕球出来たから良いものの、それが出来なかったら手の骨粉砕してたんじゃね?と思ってしまうくらい恐怖をこの時感じ手がすごく痛かった。

試合がある週末では、私以外の選手は全員試合に出場しましたが、私だけ試合にすら出れないと言う事もありましたね。
硬球が怖いので仕方ないですが……。

野球のレギュラーにはなれなかったものの、週末の午前中は筋トレと走り込みがメインの時間帯でこの基礎トレがあった事で後に走力が向上に繋がっていく事になります。

週末の基礎トレだけの為に2年続けたリトルリーグでした。

また、腹筋は1年も経つとシックスパックで割れており30歳の頃まで体脂肪は7%と言うアスリートの体型でもありました。
フィジカルデータとして成人の時で173cmの身長で体重は45kgくらい
二十歳のころから3年ごとに1kgずつ体重が増えていました。

6年生春の運動会の時期はまだ、走る事は好きでも短距離、リレーの選手にはなれませんでした。
夏~秋にかけて走力が爆発的に向上したこともあり、50m走でスタートが決まって7.7秒のタイムを記録し秋の運動会のリレー選手に選ばれます。
スタートが良すぎたので自分ではフライングと勘違いして1歩目で少し踏み止まってしまったんだよなぁ。
あれが無ければ0.1~0.2はタイムが縮まったと思っています。
トップタイムは7.3秒とその差は0.4秒差ですからね。
このタイムはクラス内でも3番目の時計でした。

受験を6か月後くらいに控えていた時期に体力的なフィジカルが伸びるなんて自分自身思いもしないし普通はこの時期学力が伸びるんでないの?と今となっては思います。

当時を振り返ってみると、7月中旬より高熱を出し2週間以上体調を崩して、下旬からの最後の臨海学校に行けなくなってしまいます。
そして、回復をして9月からの2学期~秋口にかけて休み時間は校庭を走り回っていた記憶しかないのを覚えています。
8~10月までの3ヶ月間は私は体力の伸び代があり、周りは受験に向けて勉強をしている時期になる訳ですが、私は程よく真逆の事をやってある程度の成果が出せたと言えるでしょう。

11月以降の伸び代は受験に向けての追い込み期に入っていき学力の底上げが上手く同期出来る事となります。
例としては、上位層を脅かす出来事が重なって来ていた時期でもありました。
下位に属していた私が成績で上位に噛み付いた事により周りは嘸かし驚いていたと言うのもありました。

こう言った経験もあり、フィジカル面が上がる時期にその部分を重点的に成長させる事は出来と思うようになる切っ掛けでもありました。

この経験は娘を育成する上で大変重要な事でもあります。
「歴史は形を変えて繰り返される」という言葉が私の中でとても重要な言葉であり分岐点になる様な所でどのように形を変えて現れるかを常に考える様になります。

娘に対しても中学受験時の夏から秋にかけてに感性の部分で同様な成長曲線を辿る事となり私以上の成果が出た事でもありました。

私=メジロアサマ、娘=ゴールドシップと言う血の繋がりと言う意味合いで、こういう部分は人間も競走馬同様のブラッドスポーツで血統はあると思っています。

➃ 受験に向けて小学6年生と言うブラック企業の勉強量


また、当時の放課後の勉強は15時に6限目が終わって15:30~17:30まで7限~8限とあり、この段階で下校となる感じが週に半分以上あり、場合によっては17:30以降で遅い日では19時くらいまで補習があった事を覚えています。

帰宅してから0時くらいに就寝するまで平日は3-5時間は勉強をしていたのではないでしょうか?
学校側への提出物として、毎日ノート1ページ以上の学習をして毎朝提出をするのも6年生の時はありました。

この提出物を1日当たり見開き5ページくらいはやっていたと思います。
さすがに毎日やるとなると、問題をやりつくしてしまい各問題集を5~10回は解いていたのではないでしょうか?
それすらも、やりつくしてしまうと歴史の年表とかを書き出したり、色々と考えながら楽しんでいた私が居ましたね。

起床は6時半ごろで学校も1限目が始まる前の7:45には登校して0限目って感じの小テストで漢字・計算などに取り組む30分くらいの時間が学校内カリキュラムの中に入っておりました。

私にとって7~8限目は四谷大塚や家庭教師に当たる時間帯になるのでしょう。
そして、0限目となる7:45よりも前に登校すると言うのも私にとってデフォルトとなってました。

当時を思い出してみると……。なんて言うブラック企業と言う名の私立小学校6年生だったと思います。

⑤ まとめ


私の中学受験を振り返りつつ、勉強が出来ないなりに学校と家庭学習のみ塾・家庭教師なしで第3志望ですが合格に至りました。

偏差値的に言うとこの第3志望も推薦の話が合った大学付属校も似たり寄ったりなんですよね。

そう考えると、素直に推薦を受けていたらと言うIFルートもあったかもしれないですね。

アスリートとしては辿り着く位置は上手いアマチュアレベルだと思いますが、自分のデータを基にした育成の分野に進むことを考えられているならば私は成功した部類に入れたと思っています。
理由として、自分の失敗を基に娘を育成し娘自身も育成方面に特化してきている傾向が強い成長をしているので……。

・ 次回予告

中学受験が終わり、私立中学に進学してからのお話に入っていきます。
入学早々から様々な事に直面していきます。入学してから半年間は私の人生の縮図とも言えるフルコースのワードばかり出てくる事になりますよ……。

これがある意味私の人生の流れなのだろうと思い私自身も歴史を繰り返し続ける事になる所以でもあるのでしょう。

このフルコースを経験したことにより、良い事から悪い事を人生経験で上から下まで見てきた事で自分を犠牲にしてでも次の世代でこの経験を基に育成してみようと思い続けた日々の記録になっていく事にもなる出来事の連続でありました。

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