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驚異的な器がほしい。

今、スマホで出てくる言葉を紡ぎ終わって。

コピペをして、さぁ投稿と思いきや、前半部分がふわっと消えた。




世に出すな、ということだったと解釈しよう。





紡いだ内容を、かなりかい摘んで伝えるとすると、それは、デヴィ夫人ばりにできた女でありたいと思っていたという話だった。



大統領夫人という立場。
本当に、並大抵の苦労では済まないであろう立場。

華麗に過去の話を口にできるのは、大統領と同じく、夫人の器が驚異的だったんだろうな、と個人的には思う。





私には、一般人の男性を立てるのも難しい。

特に、見えるものも見えないものも、頭の中で秤にかけてしまっているうちは。






相手が自分でない以上、難しいことや同じでないことは多々ある。


価値観、からの感じ方や意見。
物事の受け取り方。

過去や、もっと前の世から積み上げてきた、反応の材料になっている、カルマ。
(アーガーミカルマだったか、サンチタカルマだったか、もう忘れてしまったよ、10年前の学びを)



自分っていうエリアだけでも、折り合いをつけるのが難しいのに。


個と個が共存するのは、本当に難解。

その個が増えれば増えるほど、至難の業に思える。



まるでダチョウ倶楽部のお家芸のように、どうぞどうぞってスタンスをお互いに持っていないと。見えないところでの皺寄せは、個々の心の奥底で、知らない間に深くなっているのかもしれない。


でもこれもまた、お互い様の話だけれども。




夫婦は我慢比べって、お話されていたのは美輪明宏さんだったっけ。



夫婦関係も恋人同士も、友人も、そして家族も。

とどのつまりは人間関係って考え方をすると、どれもみな、我慢比べなのかもしれない。




我慢、言い換えて受け止めることを、自分の意を押したいと思いながらするのか。

相手の言い分に理解を感じながら耐えるのか。




どちらにしろ、難しい。




人間の本質は、リミットレスな宇宙のソースであると、ヴェーダーンタというヨガの知識体ではいわれているのだけれど。



なら、自分の受け入れ態勢も、リミットレスにならないかな。





祈ることはタダ。しかも、即出来る。

でも一番大きなアクションだから。
今日も祈るとしよう。



自分の器が、爆笑するぐらい底抜けに大きくなりますように。
私が正しい方向へと、成長しますように。








最後の最後までお読みいただきまして、ありがとうございました! 良い息抜き時間になりましたように。