なしえ

30歳で診断された成人発達障害当事者です。二次障害のうつ病とは25年以上のお付き合い。…

なしえ

30歳で診断された成人発達障害当事者です。二次障害のうつ病とは25年以上のお付き合い。過去の逆境体験によるPTSD症状もあります。現在は精神療法・薬物療法に心理療法を併用して治療中。2020年12月より特例子会社で働いています(完全在宅勤務)。武蔵野大学通信教育部2年生。

最近の記事

  • 固定された記事

【 はじめまして 】

    • 【 カウンセリングのこと(第2話) 】

      【 カウンセリングのこと(第1話) 】の続きです。 (※合わせてお読みいただけたらうれしいです。) 臨床心理士の方(以下心理士さん)は簡単な自己紹介をしてくれました。 その年の3月に大学院を卒業して、臨床心理士の資格を取得したばかりだそうです。 臨床経験2か月目の新人さんでした。 私は自己紹介の最後に言われたことを、今でも覚えています。 「いろいろ教えてくださいね」 この言葉の意味が分かるまでに、それほど時間はかからなかったのです。 心理士さんから私の生活、主に学校でのこ

      • 【 カウンセリングのこと(第1話) 】

        私が初めてカウンセリングを受けたのは19歳のときです。 その前の年から私は東京で一人暮らしをしながら、医療系の専門学校に通っていました。 「対人援助職に就く人は、どんな相手とでもすぐに打ち解けられなければならない」 そういった理念のもとで授業が進められていきます。 授業には講義と学内実習があり、そのほかに臨床現場での実習もありました。 講義の中で頻繁に行われるグループワークでは、毎回メンバーが変わります。 学内実習や臨床実習も同様で、私はそれを負担に感じていました。 80人

        • 【 ADHD治療薬を服用してみて * メチルフェニデート塩酸塩(コンサータ®︎編) 】

          私は2021年9月からアトモキセチン(ストラテラ®︎)を服用し始めました。 1日量を40mgから開始して最大量の120mgまで増量。 増やすにつれてさまざまな効果を実感できるようになりました。 それについての記事がありますので、よろしければ合わせてご覧ください。 (※2023年4月23日投稿) 私は2022年の秋に通信制大学に入学しました。 平日は1日6時間、10時から17時まで在宅で仕事をしています。 障害や病気を開示して働いているとはいっても、仕事の量も質も会社の求める

        • 固定された記事

        【 はじめまして 】

          【 忘れられない日 〜その日までのこと〜 】

          前回の記事【 忘れられない日 】では、大切な人との別れについて書きました。 さくらと一緒に過ごせたのは、たったの1年と1か月です。 期間は短いけれど、とても濃密で、その後の私の人生に大きな影響を与えることになりました。 今回はそのことについて、書いてみようと思います。 1994年4月、さくらとは同じ班活(『部活』のことです)で知り合いました。 彼女は小柄で、お人形さんのようにかわいくて、セーラー服がよく似合う子です。 同性の私から見ても、ため息が出るような外見の持ち主でした

          【 忘れられない日 〜その日までのこと〜 】

          【 忘れられない日 】

          1995年4月28日…… この日のことは、今でも鮮明に覚えています。 29年経った今でも、記憶が薄れることはありません。 その後の私の人生に、大きな影響を与える出来事があった日なのです。 1993年の4月、私は高校に入学しました。 1学年360人が在籍する、全日制普通科の進学校でした。 その学校では部活のことを『班活』と呼びます。 中学校で吹奏楽部に所属していた私は、吹奏楽と迷った末に、合唱班に入りました。 私はそこで初めて親友と呼べる人ができました。 合唱班はニックネ

          【 忘れられない日 】

          【 ADHD治療薬を服用してみて * アトモキセチン(ストラテラ®︎編) 】

          私が精神科の薬を飲み始めたのは、19歳のときです。 受診の数か月前に、非常に強いストレスに晒される出来事がありました。 私はもともと不安を感じやすいほうで、今もそれは変わりません。 しかしこのときの不安はいつもと比べて、強さも種類も全く違うものでした。 医療系の勉強をしていた私は、明らかに自分の状態が異常だと判断しました。 「精神科を受診することに、ためらいはなかったのか」と聞かれることがあります。 当時の私は極度の不安感と、それに伴う恐怖感に常時苦しめられていて、精神的な

          【 ADHD治療薬を服用してみて * アトモキセチン(ストラテラ®︎編) 】

          【 発達障害と診断されるまで(第2話) 】

          第1話では私が初めて精神科を受診した日から『大人の発達障害』を知り、「自分は発達障害ではないか」と疑いを持つようになるまでのことを記事にしました。 第2話はその続きで、発達障害の診断を受ける日までのことを書きます。 インターネット上の掲示板で『大人の発達障害』の存在を知った私は、発達障害とはどういうものかを検索するようになりました。 調べれば調べるほど、自分の生きづらさの根源が発達障害にあるのではないかと、確信するようになっていったのです。 インターネット上の情報や当事者の

          【 発達障害と診断されるまで(第2話) 】

          【 発達障害と診断されるまで(第1話) 】

          私が初めて精神科を受診したのは、今から26年前のことです。 それから15年の間、様々な理由であちこちの医療機関を転々としていました。 診察をほとんどせずに薬を処方するだけの医師、こちらの訴えに対してどんどん薬を処方する医師…… そして極めつけは威圧的で、いわゆる『ドクハラ』をする医師もいました。 その医師から逃げるように転院したのが、今の主治医の元です。 精神科受診歴12年目にして、ようやく安心できる医師に出会えました。 本当に奇跡的な出会いだったと思っています。 初めて受

          【 発達障害と診断されるまで(第1話) 】

          【 近況報告 】

          久しぶりの更新です。 前回の投稿から今日までの間には、様々な出来事があり、変化もありました。 いいことも悪いことも、嬉しいことも悲しいことも…… 些細なことに一喜一憂しながらも、なんとか生きてこられました。 大げさな表現ではなく、本当に「なんとか」なのです。 発達特性由来の生きづらさに加えて、二次障害のうつ病や不安障害、過去の出来事によるPTSD症状などなど…… 毎日たくさんの薬を飲んでいますが、それだけでは補うことができない症状も多々あります。 それでも私が生きていられ

          【 近況報告 】

          【 勉強会に参加しました 】

          NPO法人ヴィータ主催の勉強会に参加しました。 こちらの勉強会には過去に何度か参加させていただいています。 前回までは『発達障害』に関連する勉強会でしたが、今回は『アダルトチルドレン(AC)』を題材としたもので、タイトルは<アダルトチルドレン癒しのワーク>です。 今回がシリーズの初回でした。 私がアダルトチルドレンという言葉を知ったのは、今から25年前のことです。 メンタルクリニックを初めて受診した時期と重なります。 まだ一般家庭にインターネットが普及する前だったので、どこ

          【 勉強会に参加しました 】

          【 なしえのこと*小学校時代(第1話) 】

          私は1984年4月に小学校へ入学しました。 それまで通っていた保育園からの持ち上がりだったので、慣れ親しんだ顔ぶれです。 担任は新卒のM先生。 物腰の柔らかい、優しいお姉さんという印象でした。 M先生といえば、給食のことを思い出します。 食べ方や食べる順番などは自由にさせてくれたのですが、一つだけ厳しく指導されたことがありました。 それはパン食の日に、おかずのお皿に残ったソースや汁気を拭き取って食べなくてはいけないというルールです。 今でも忘れられないのは、生野菜サラダのドレ

          【 なしえのこと*小学校時代(第1話) 】

          【 なしえのこと*保育園時代(番外編) 】

          卒園アルバムのこと卒園記念に作成された「卒園アルバム」のことで、今でも鮮明に覚えていることがあります。 担任の先生が園児一人一人に、アルバムに載せる項目についての聴き取りをしていました。 「保育園で楽しかったこと」「好きなアニメ」「大きくなったらなりたいもの」など、多岐に渡る質問をされました。 その中で私が一番答えに詰まった質問は、「大きくなったらなりたいもの」でした。 世の中にはさまざまな職業があることは知っています。 しかし、自分がいずれ何かの職業に就いて働くということを

          【 なしえのこと*保育園時代(番外編) 】

          【 なしえのこと*保育園時代(第2話) 】

          <年中時代>私は4歳で保育園に入園するまで、家族以外の人とほとんど接したことがありませんでした。 突然大勢の子どもたちの中に放り込まれて、困惑しないわけがありません。 毎朝保育園の玄関で大泣きして、家に帰りたいと訴えていました。 母に抱っこされた私を担任の先生が無理やり引き離し、教室まで連れていったのを、今でも忘れることができません。 年中のときの出来事で一番印象に残っているのは、給食の時間のことです。 私は身体が小さくて、食べるのが遅い子どもでした。 いつも一番最後まで残っ

          【 なしえのこと*保育園時代(第2話) 】

          【 なしえのこと*保育園時代(第1話) 】

          <入園前>私の通っていた保育園は、年少さんから年長さんに加えて、未満児さんも預かっているところでした。 年少から年長までの、3年保育が多い地域で育った私。 年少で入園するとなると、3月生まれの私は3歳の誕生日を迎えたばかりです。 体が小さかった私を、保育園に入れるのがかわいそうだと思った母は、2年保育を選択しました。 ちなみに私が育ったのは、希望をすれば誰でも入園できる地域。 当時の母は、自宅で仕事をしていたので、入園を1年遅らせることが叶ったのです。 それが吉と出たか凶と出

          【 なしえのこと*保育園時代(第1話) 】

          【 2022年 新年のごあいさつ 】

          新年あけましておめでとうございます。 2022年の始まりです。 今年の目標などはお決まりでしょうか? 皆さんが毎日を、心穏やかに過ごせることを願っています。 私の目標は、 『たくさん学んで、それを生かし、さらには発信していくこと』 です。 仕事とプライベート双方が、よい影響を与え合える関係になればいいなと思います。 仕事が順調で体調が安定していれば、気持ちに余裕が生まれます。 精神的なゆとりがあれば、余暇を楽しむこともできるはずです。 私が今年やりたいこと

          【 2022年 新年のごあいさつ 】