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今回ばかりは無理だろうとあきらめていた。

首の手術の後遺症で、左腕が動かなくなったことがある。

左腕が垂れ下がり、自力で上げることが出来ない状態。そこからは成果が見えにくいリハビリの日々。それでも、少しずつ、出来ることは増え、一年後、ついに元通りの状態を取り戻すことが出来た。

腕が動かなくなったときは、医師も看護師もうろたえて見えたし、私の周りも「大変なことになった」「これからどうするのか」と騒がしくなったけれど、私自身は、時間を掛ければ、元に戻ると信じて疑わなかった。能天気で、楽観的な性格のおかげかな。だいたいピンチを目の前にしても、私は「どうにかなる」と思うことが多い。


半年前、同い歳の仕事仲間が、自宅で倒れ、緊急搬送された。脳出血だった。

大変なことになった。

家族でも面会が難しい状況で、入ってくる情報は少なかった。

「手術をして一命はとりとめた」「医師いわく後遺症が残らないということは考えられない」という言葉を聞き、仕事復帰どころか、もしかしたら、「もう話すことが出来ないかもしれない」「私のことを誰だかわからないかもしれない」そんな想像が駆け巡った。

何度か、手術を経て、リハビリ専門の病院に移った、という情報が入ってきた。

少しずつ回復していると聞き、今年に入って、彼のスマホにダメ元でメッセージを送ってみたところ、短い文が帰ってくるようになった。「まだポンコツだけどがんばります」

感動した。

感動したが、後日、それは奥さんが代わりに送っていたことがわかった。

3月。退院して自宅療養に切り替えたと奥さんから連絡があった。

4月。休職延長の申し出が奥さんからあった。

いよいよ、休職中の社員として、今後どうしていくのかを確認しなくてはいけないタイミングとなった。
 

彼と奥さんを招いて、打ち合わせをすることになった。直近では、「話すことが上手くできない」と聞いていた。入院以来はじめての対面。


今回ばかりは無理だろうと思っていた。さすがに仕事復帰は考えられないだろうと思った。

とりあえず、ただ仲間との再会を喜ぼうと思った。


 

***

少し早く着いた。

何人かをWeb会議でつなぎ、私は会議室で待っていた。

かなり良くない覚悟もしていた。聞き取りにくい声で話す彼の言葉を奥さんが通訳をするような光景を思い浮かべながら、私は二人を待った。

エレベーターが開いた音が聞こえた。

会議室に近づいてくる。
 

 
「あれ?もう、なさじさん来てるみたいだね」

よどみなく話す、懐かしい大きな声。
 

倒れる前と、まるで変わらない姿で彼は現れた。

 

「いやぁぁぁ。俺、ほんと、ヤバかったみたいね」

「ご心配おかけしました」

 
夢を見ているのかと思った。

驚いた。

よどみなく話す彼。

少し痩せただろうか。

「いやぁ。なさじさん。ほんとご心配おかけしました」




「この一ヶ月で、驚異的な回復を見せたんです」と奥さんは言った。まだまだ出てこない言葉や、思い出せない名前はあるようだが、リハビリで少しずつ良くなっているという。視野に不安があるようだが、それも今後克服は可能だと医師は言っているそうだ。

「半年後の完全復活を目指す」

彼は力強く、そう言って、去っていった。

webカメラの向こうで見ていた上司は、経営陣にどう伝えるだろうか。経営陣は、どう判断するだろうか。会社の判断を待つことになった。半年このまま在籍させてくれるのか。それとも一旦終わって、復活時に再び入社となるのか。ま、そこは私としては、何も考えられなかった。元気な姿で戻ってきてくれただけで、胸がいっぱいだった。


その後。



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