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amazarashiについて語りたい~ごめんねオデッセイ~

今回取り上げるのはアルバム『永遠市』に収録されている1曲。
作詞作曲をした秋田さんの人生を切り取った曲のひとつだと解釈しています。
仮にそうだとすると、おこがましいのだけど、私自身の人生やその中で感じたことにリンクすることが少なくない。

こう感じていたな、とか、こう在りたいなと思うような曲。
紆余曲折から自分の覚悟を確認しているような曲。

憧れは常に身体より早い だから満身創痍
みんな傷だらけだ大体 分かってる分かってる 言わなくても分かってる
そういうやつらの作品には常には血が混ざってる

前のめりに進むしかなくて転がるように進んできた。
他の人がそうでないということはわかっているし、自分だけではないとわかっているけれど、その理解は感覚的で疑いも生じる。
たまに垣間見える、言葉や行動に混じった血というか彼らの人生や信念。
それらを感じられたからこそ、自分はamazarashiが好きなんだと再確認した。

「詩」と打ったら思いがけず「死」と変換される
過去の自分から届いた言伝 ダイレクトメール

過去の自分の足跡を不意に感じることがある。今の自分とは違う感覚だな、と分化しながらも、確かに地続きのものであることに気付く。
驚きや気恥ずかしさがあるけれど、過去の自分に誇らしく今の自分を見せることができる。

変わらないものなんてなかった 悲しいかな
その喪失自体が僕らをここまで衝き動かしたんだと気付いた
どれだけ失って 必死に叶えた夢だって
後ろめたければじわじわ突き刺さっていくナイフと似ていた

後ろめたさは自分だけはわかる。
自分に対して嘘を吐き通すことなんて、少なくとも自分にはできない。
見て見ぬふり、聞かなかったこと、ごまかし。
そんなものと付き合うよりも、自分がやれることをやって、素直に受け止めていきたい。

午前11時 待合室で待ちぼうけ
来るはずのものは来ないんだと気付いたからこその身の上
風が揺れて過ぎ去って カーテンレールが鳴らすオクターブ
呼ばれた名前が自分なのかすらも疑う
旅の結論に至る場所が こんなところとは
まさか まさかと嘆いたのは夏の彼方
裸さながらあらわな雨傘 ならばただただ さらば

ここの一節はどうしても病院が思い浮かぶ。
秋田さんが追い詰められて、病気になってしまって、地元に帰ることになるまでのシーンなのか。離人感のような。
それとも友人を事故で亡くした時のことを歌っているのか。
いずれにしても、喪失が強烈に描写された部分で、自分には起こっていないことなのにフラッシュバックするような鮮明さがある。
もしくは感覚的に近い自分自身の過去を掘り起こされるような感覚も覚えた。

誇れるものは何もない 賭けた五桁のバイト代
ありそうでも存在しない曖昧な才能の価値
ひとりの生身の人間が 疲弊しながら進むのだ
すり減った踵に これまでの葛藤と苦難を想いな
未だに遠くで止むことはない あの日の8ビート
行きは勇み 帰りには果てて眠る窓際のシート
我こそが陰日向に根を張り巡らせた詠み人
そう言い張る気力はまだあるか ポエトリーよ

この曲のクライマックス。
地元から上京して、才能を信じて戦って、その結果どうしようもないくらいに打ちのめされて、いろいろなものを喪った。
それでも自分の根っこにあるあの日を渇望して、何度も行き来を繰り返して、いつどんな時も向き合い続けた自分を、それを根拠に叱咤し続けた。
そんな秋田さんの情景を思い浮かべていつもぐっと来てしまう。

行けども行けども降り積む雪ばかり 終わりは見えない
ごめんねオデッセイ
あの春眩い 淀みない灯火
ここは寒い ください ください 木漏れ日を 木漏れ日を

いつか見た理想、目標、大切にしたいもの、辿り着きたい場所、原点。
それは幻のようで、終わりは見えないけれど、信じることを止めずに進路をかき分けていく。
強烈な光ではなく、曖昧な木漏れ日のような光でいい。
それに出会えたなら、この旅路を誇ることができるのだと信じ続けている。

この曲聴いた後に『ライフイズビューティフル』とか『1.0』とか『君はまだ夏を知らない』とか聴くと泣きそうになるのよ。
本当に勝手ながら、秋田さんよかったねって思ってしまう私です。

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