ひび割れた瓶に浮かぶ月
不思議な女の子が好きだ
不思議、という言葉は広義的だが僕はその広さも深さも遠さも含めて
蠱惑的な雰囲気に魅了されてしまう
なぜこうなったか
それはおそらく中学生の頃に村上春樹と銀杏BOYZにどっぷりハマった経験がまだ僕の足首に重い鉛となって繋がれているからだと思う
どちらの作品にも『現実にいなさそうだけどたしかにいて、手も声も届かないけれど想ってしまう』そんな女の子が出てくることが多い
心が通ったかと思えばするりと体を翻して遠くに行ってしまうし
抱きしめて肌を感じたかと思えばそれは抜け殻の輪郭にすぎない
笑顔が泣き顔に、泣き顔が笑顔に見えて
でもそれは幻で実際はどんな顔かも思い出せなくて
みたいな感じで掴めない
GG佐藤のエラーのような
追いかけるより追いかけられたいはずなのに実は追いかけたいのかもしれない
でも夢で逢えたらとか、一緒にピニャコラーダを飲めたらとか願ってしまう
そんな感じ
ん?
きもいか
そうだ、それだ
自分がキモくなってしまう女の子だ
そんな子をまだ追い求めているのかもしれない
そして誰もいなくなる
アガサクリスティ状態である
そんなこんなで先日、大好きな銀杏BOYZのライブに初めて行った
弾き語りライブということで、登場するのはアコースティックギターを持った峯田ただひとり
早めの整理番号で入場できて、前列に用意された30人分のイスにも座らずにずっとバーカウンターの横でお酒を飲んでいた
一曲目が『銀河鉄道の夜』でその時点で僕は中学生に戻った
スミノフがいつもより苦く、大人の味に感じた
ライブに行くといつも最後列でずっとお酒を飲みながら聴いている
その理由として、体力的な問題もあるのだけれど
ライブを聴いているお客さんの顔を見るのが好き、というのもある
真正面から見ることはないが横顔、1/4顔は見える
バンドやラッパーのライブではみんな楽しくノっているが、銀杏BOYZのライブとなるとやはり少し違った
左斜め後方からでもその表情が読み取れるぐらいだった
蜂蜜に濡れた月を眺めるその目には海ができて
少女は月面のブランコで揺れていて
防波堤で羽を休める鳥は夜空に輝くカシオペアを眺めて
波の白は濁りを増してクリームのようで
シベリア鉄道はその上を富山駅に向かって走っていく
汽笛に合わせて揺れる恋人たちはどこか寂しそうに、、、
、、、
なんちゃって文系のくせにそんな詩的なことを考えてしまう
そんなこんなでライブは進み
『恋は永遠』という曲をやる前に峯田が言った
「次の曲、、、恋は永遠、、、ほんとうにそうかな?」
いや、良すぎるだろ
あの峯田でも、恋は永遠ということに疑問を抱いているらしい
歌声を聴きながら僕なりに恋は永遠だと考えた
あの時、あの子のことが好きだったという気持ち、すなわち恋はずっと残っているのだから
愛、は永遠ではないのかもしれない
恋には消費期限は無い
中学生の時に好きになったあの子は今でもアイドルだし
ハメ撮りが流出したアイドルはもうアイドルじゃなくなったけど、好きだった気持ちは消えないし
フラれて泣いて、あの子を見返してやろうと夜に自転車を漕いでTSUTAYAにファッション雑誌を買いに行った日のことも覚えている
もうあの子に恋愛感情は無いけれどあの時の恋はまだどこかで甘酸っぱい実を熟しているかもしれない
これから起きる恋は今か今かと芽を出す準備をしているのかもしれない
恋は永遠
ほんとうにそうかな?
まだ答えを出すには時間が必要みたいで
また遠くで汽笛が聞こえる
月面のブランコにはもう少女の姿は無い
軽くなったブランコは波の押し寄せのリズムに合わせて揺れる
銀色の夕焼けだ
ピニャコラーダで乾杯
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