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Love myselfを考え始めたきっかけ。【なるくるが思うLove myself】

嫌い。

私はこのことばをなかなか使えない。どうしても「好きじゃない」とか「苦手」という表現を使ってしまう。

嫌い、といった瞬間、それを愛する人を否定するような気がするから。そして、私自身がいつかは好きになれるかもしれない可能性を、捨ててしまう気がするから。

ただ、一人だけ、その人のことをよく知ったうえで「嫌い」といえる人がいる。この人との経験がきっかけで、自分を大切にしよう、そう思えるようになった。

それは大学1年生の頃お付き合いした人

大学入学したてほやほやの頃。

学科のひとつ上の先輩で、アフリカに対して並々ならぬ情熱をもった先輩と出会った。アフリカや海外に興味があった私は憧れを抱き、いわゆる男女のお付き合いというものをすることになった。

最初のうちはよかった。お互いに愛情を伝えあっていたし、お互いのことを大切に、一緒に楽しめる道を探すことができていた。

付き合い始めて3カ月経ったあたりからだろうか。だんだんと関係が崩れ始める。「俺が忙しいからこれを手伝え」。このことばを彼の口から何回聞いたのだろう。「帰れ」と言われれば当時住んでいた宿舎まで、自転車で20分かけて帰っていた。

この人は本当に忙しいんだから、支えなきゃ。

この思いでいっぱいだった私は、関係性のおかしさに気づくことができなかった。たとえ手を出されても。たとえことばの暴力で精神的に追い詰められても。

物理的な距離をおいて気づいた「おかしさ」

付き合い始めて丸一年経ったころ。彼が休学してアフリカへ行くことになった。

ここで少し、本当に少しだけ、関係性のおかしさに気づき始める。

それまで染めるなと言われていた髪を染めた。するなと言われていたメイクをし始めた。ほんのわずかな自由だけど、それですら嬉しかったことを今でも鮮明に覚えている。

それから2カ月というときを経て、やっと私は彼に別れを告げることができた。

その晩のことは嫌でも覚えている。

なんで私はあの人にすべてを捧げていたんだろう。なんであの人の「おかしさ」に気づけなかったんだろう。なんで自分をもっと大事にしてやれなかったんだろう。

やっと呪文からとけた。声をあげて泣いた。涙はとめどなくあふれて、もう、何時間泣いていたのかも分からない。

誰よりも自分が自分を愛してやるんだ。

彼からうけたストレスは思った以上に大きなものだった。

半年くらい、自分にはなんの価値もないとしか思えなかった。どれだけ周囲の人が寄り添ってくれても涙は止まらなかった。体が動かず、死にたいと思った。何回も突然倒れては救急車で運ばれた。

だから。私は私を誰よりも愛したい。大嫌いなあの人のようになりたくない。

思うは自由。恩師からいただいたこのことばを胸に。

もっと怒ってもいいし、悲しんでもいい。尊敬する先輩からいただいたこのことばを胸に。

私は私を誰よりも愛します。そして"I love myself from my heart"と思える人が一人でも増えるように祈ります。

私なりの怒りと悲しみの表現を見届けてくださり、ありがとうございました。

20210901 Written by NARUKURU

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