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出家未遂した男のその後⑧

 津和野町地域おこし協力隊「ヤモリーズ」で活動していくうちに、悩み上手悩み好きな男は再び悩みます。

 ヤモリーズで活動していくうちに分かったのですが、自伐型林業で自活するのは容易ではないということです。

 私が自伐型林業をやりたいと思ったのは、高森草庵滞在時に行った自伐型林業のフォーラムに参加して、その講師の方から「山の保全もできて稼ぐことができる!」という(与太)話を聞いてその話を信じたからです。つまり「生活していくくらいなら稼げるだろう」と思っていたわけです。
 ですが、実際にヤモリーズで活動して林業業界の話を知っていくと、そんな簡単な話ではないことが分かってきたのです。

 まず、基本的に林業で収入が発生するのは木を伐り出して売るときだけです。間伐なり、皆伐(山の木を全部切ってしまうこと。はげ山にすること)なり、材を販売しないとお金になりません。
 しかし林業は木を伐る前に木を育てないといけません。
 まず木を植えて、植えた木がちゃんと育つように雑草を刈ったり、木が育ってきたら木と木の間が狭くなるので木を間引いたり、節の無い木を作るために枝打ちしたり……。木を伐るまでに何十年も世話をしないといけません。
 そして前回の記事で言ったように、木を搬出するための作業道の開設も必要です。
 それらの作業はお金はかかりますが収入は発生しません。

 しかし林業には必要なことなので、現在はそうした育林作業にも補助金があります。補助金とは税金です。
 そしてその補助金は、市町村単位で交付されているものも多く、そうしたものは市町村で交付金額が違います。
 
 私がフォーラムで講師から聞いた話は、要するに成功した地域の話で、補助金が津和野町より高い地域でした。また、津和野町より木が育っている地域で、津和野町で間伐して出せる材より材の値段が高いものでした。
 つまり、あのフォーラムで語られていたことをそのまま津和野町でやって生きていけるわけでは無いのでした。

 また、自伐型林業で山の整備をしたいと言っても、私は山を持っていません。山主さんに山の管理を任されなければなりません。そのためには、自分が山を整備できるだけの技術があることを納得してもらう必要があります。プレゼン力と営業力です。

 また、実際に施業するにあたって、補助金や間伐材の売却額といった入り(収入)と重機代や自分の日当代がちゃんと折り合うか、折り合わせるために工期はどのくらいが適切なのか、その工期に間に合わせるための日々の進捗はどうすべきかといった長期・中期・短期にまたがる経営に関する能力も必要になります。

 そしてそれらは私の苦手な分野の能力でした。それに気づいた時は途方にくれました。

 しかし考えてみれば当たり前の話です。
 自伐型林業は要するに個人事業主で、会社で言えば社長業です。会社員が自分しかいない会社の社長業なのですから、現場も営業も経営も全部自分でやらないといけません。むしろそのことを事前に予測できていない私が愚かなだけなのでした。

 私は焦りました。このままでは卒業後生きていけない、と。
 ヤモリーズの講師で来てくださる、自分で山をやっている方々の話を聞いたりしても、自分がそんなことをできる気がますますしなくなります。
 そんな中で、先輩方や同期も卒業後どうやっていくかをどんどん決めていきます。私は取り残された気分でした。

 このままでは生きていけない、食っていけない。そんな焦りと不安でいっぱいになっていました。高森草庵で抱いた「誰かのためになる生き方をしたい」「富貴を求めず、貧しさの中に行きたい」という理想はもう頭にありません。
 理想を忘れた夢想家は、ただただ自分が食っていくためにどうするか、だけを考え始めたのでした。

 金を稼ぐという行為を厭い、そこから最も離れたところに行こうとしたのに、金を稼ぐことばかり考え始めるという、周囲から見たら喜劇のような、しかし本人にとっては悲劇でしかない状況に陥ったのでした。

 続き。


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