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出家未遂した男のその後⑨

 食いっぱぐれないように必死になり始めました。

 どうにか卒業後に食っていくための方法を探し始めましたが、経営や営業が苦手過ぎてうまく行く気がしません。

 そんなとき、広島に居る友人と会う機会がありました。
 私は実家と大学が広島だったので広島に仲の良い友人がおり、その友人と久しぶりに呑もうという話になったのです。
 タイから戻ってきた当初は「会わせる顔がない」と思い、友人とも距離を置いていましたが、出家未遂からしばらく経っていましたし、任期付きながら仕事に就けたので、「合わせる顔がない」という思いは薄れており、久しぶりに会ってみようということになったのです。

 私が林業をしていて、卒業後どうしようか悩んでいるという話をしたとき、その友人から「そういえば○○町で林業やっている方知っていますよ」と、ある人を紹介してもらいました。

 その方(以下Sさんと呼びます)はその町の出身で、父親の代から林業をされている一人親方で、木を伐るだけでなく製材機も持っており、伐った木を製材機でカットして角材をつくったり、その角材で簡単な小屋なども作ったりしているとのことでした。
 自伐型林業は伐った材にいかに付加価値をつけるか、というのも大事な点なので、自前の製材機を持って角材にしているのはかなりのアドバンテージがあります。
 私はSさんに興味を持ったのでお会いすることにしました。

 Sさんは私の話を聞いたら興味を持ってくれました。そして、この町に移住するならそれを応援して、一緒に作業をするなら日当を払おう、と言ってくれました。Sさんは60代でそろそろ一人で木を伐る作業をするのはしんどくなってきていたので、作業を一緒にする人を探していたとのことでした。
 私は自分でいきなり独立するのは難しいと考えていたので、その話は渡りに船に思えました。そしてその町で暮らし、Sさんと一緒に作業する中でその地域に馴染み、山を任せてもらえる信頼を地域の人から徐々に獲得していけば、将来自伐型林業ができるのではないかと考えました。そのため、卒業後にSさんと一緒に働くのが良いのではないかと思えたのでした。

 ただ、地域おこし協力隊は基本的に卒業後、在任地で定住することが求められていたため、当時住んでいた津和野町を離れることに抵抗がありました。
 しかし実家と近く、また仲の良い友人も住んでいる自治体に住めて、さらに当面は食っていけそうであるという環境は当時の私にとって非常に魅力的で、Sさんと働くことに強く心を惹かれていったのでした。

 当時を振り返ると、私は自分で自伐型林業をやっていくには経営と営業の能力が足りず、独立は難しいと感じていました。自信がなかったのです。
 ヤモリーズに入った目的も「自伐型林業に必要な技術を習得するため」であり、経営や営業を学ぶことは考えていませんでした。
 しかしヤモリーズに入ってみると、技術を習得するだけでは不十分で、自伐型林業をするにはむしろ経営や営業の能力の方が必要であることが分かってきました。そしてその経営や営業は私が苦手意識を強く持っている分野でした。
 そのため、Sさんの下で働きつつ時間をかけて地域に馴染んでいくというやり方は、営業の苦手な私でもうまくできるのではないかと思え、いきなり単独で始めるより良いスタートなのではないかと思えたのでした。

 ただ、より深く当時の自分の心を省みると、そこにはひとまずSさんの下で働くことで経営や営業と言った私の苦手なことをしないで済む、という楽に流れたいという思考がありました。
 また、独立するときにどのような形での自伐型林業をするのか、ということを具体的に考えるのを先送りしたいという思考もありました。
 それらいわば「逃げ」の思考を正当化する方法として、Sさんの下で働くという選択肢をとりたいという心も強くあったのでした。

 ともあれ、そうした下心や逃げや不安などの心に大きく影響されていた私は、Sさんの下で働く方向で動き始めたのでした。

 続き。



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