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「自分を苦しめているのは自分自身」ということの意味

 先日、山で仕事をしていた時のことです。木を伐っていた時に伐倒の方向を失敗して他の木にかかってしまいました(「かかる」とは、地面に倒れず他の木に寄りかかってしまった状態。この状態のリカバリー作業は危険で時間がかかる)。
 「ああ、ミスったなぁ」と心の中で独り言を言った後、瞬時に脳裏に浮かんだ過去の記憶が複数ありました。それは、「君この仕事(山仕事)向いてないよ」と言われた時のことや作業に失敗して当時の親方に叱られた時の記憶でした。この瞬時に浮かんだ過去の記憶はなかなか吸引力が強烈で、ついついそれについて思いを巡らせたくなりましたが、「おっと、いかんいかん」と気持ちを今に引き戻して作業に集中し直しました。そのとき、私は「あ、俺はいつもこうやって苦しみをわざわざ増やしていたんだな」と気づきました。

 今回のように何か失敗をして、それについてショックを受けたり自分を責めたりして苦しみを受けるのが一次被害だとすると、その失敗を過去の記憶と結び付けて自分を責めたりすることでその苦しみを増幅させることが二次被害と言えるかもしれません。しかもその二次被害の時は、自分が過去の記憶を思い起こそうとしなくても自動でその回路が繋がって思い出してしまいます。今回の私は、過去の記憶を思い出したことに気が付いて、すぐに作業に集中し直しましたことで二次被害の拡大を免れました。しかしもし自分が過去の記憶を思い起こしたことに気づかないでいたら、きっと私はどんどん過去の記憶を思い出し、さらにその時の苦しみや人からの叱責を思い出し、「だから俺は駄目なんだ……」と自分を責めてどんどん苦しくなっていたと思います。

 仏教ではしばしば、「自分を苦しめているのは自分自身」という表現がなされます。これは自分が苦しみを感じる原因は外になく内にあるんだということを示す表現ですが、今回私はそのことが今まで以上に腑に落ちました。
 失敗をしたという事実について、過去の記憶を思い出して関連付けることでより苦しみを増そうとしていた自分に気づいた時、「あ、まさに今、俺は自分自身を苦しめようとしていたな」と思いました。「自分を苦しめているのは自分自身」という表現で示されていることの内実を、私なりに理解できました。

 私が実践している瞑想の技法では、瞑想中に過去の記憶などに気が逸れたときはすぐに「気が逸れた」ということに気づき、集中対象(呼吸で変化するお腹の感覚や動かしている手足の感覚)に戻ることを指導されます。今回、私が過去の記憶に気持ちが持って行かれそうになったときに気づけたのは瞑想実践の成果が日常生活で役に立ったと思えました。

 仏教で説かれている深遠な境地には私はまだまだたどり着けませんが、仏教の実践が私の人生を確かに楽にしてくれていることは、こうしたことからも実感として日々感じます。


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