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つなんないのに、何したらいいかわからないのが辛い

雨が降っている
せっかく早く起きて、早めに歩こうと思ったのに

寒い季節が終わり、歩く準備がだいぶ楽になった。
薄着で出られるというのは、それだけで、身も心も軽くなる。

桜はあっという間に散ってしまったけど、葉桜になっているのも、これからやってくる夏を感じて、ワクワクする。

まあ、それだけでも、だいぶ、楽しみではあるんだけど、

大型連休がくるのに何も予定がないことに

何もしないなんて勿体無い!

という、謎の焦りが湧いてくる。

ぼーっとしたり、漫画読んでるだけで十分楽しくて、それ以上に特にやりたいこともないのに。

それでもいいじゃん、自分の楽しいことやればいいじゃん、

ということはわかってるんだけど・・・

私の楽しいってこれなのか???

楽しい!!

っていうか、

なんだよな。

それでいいのかよ、、と自分で自分を責めちゃう気持ちが湧いてくるのが辛い。

つまらないのに、これと言ってやりたいこともなく、楽しいことがわからないのが辛いのだ・・・

我ながら、なんとくだらなく、バカらしくて、めんどくさい悩みだなー、、と思う。

自分一人なら、まあ、つまらないながら、そのまま、楽にしていれば、時は過ぎたのだが、この変な感覚を、子どもたちに、受け継ぎたくないんだよな。。。

なんか、人のためになることとかしたら、いいのかな・・・

じっとしているから、このくだらない考えが湧いてくるんだろうから。
何も考えずに、作業や打ち込めるものがあると、いいのかもしれない。

だから、歩くのは好きだ。
日光や風に当たるのは、強制的に気分を前向きにしてくれる。

爽やかな遊歩道を歩きながら、ああ、もうだめだ死にたい・・・と考えるのは逆に難しい。

歩いてる時は、色々プラスなことが思い浮かんだり、あああれやってみようかな・・と思うんだけど、家に入った瞬間、そんなことやってる場合じゃない、、

となって、結局、あの時、なんか思いついたのってなんだったっけ???

となる。

メモを持ち歩くといいのではないかと思って、歩いてる時に思いついたことを書き留めたこともあったが、

後から読み返してみると、なんのこっちゃ・・・という感じで、改めて熟考すべきテーマとも思えない・・・

普段から考えているどうしても解決したい問題があったり、特に努力もしてない人間が、歩いたところで、いいアイデアが浮かんでくるわけもないので当然なんだけど・・・

打ち込めるものがあって、継続できる人って本当にすごい。

受験って、そういう疑似体験ができるものなんじゃないかな。

自分から湧き上がった、野望?ではないかもしれないけど、外部から与えられた目標であっても、その期間は合格に全力投球して、打ち込んで頑張る。

そういうのって、あの時は、辛くて苦しいだけで本当に嫌だったけど、今思うと、長期的な目標に向かって自分を律して、他はどうでもいいから、って集中するのって、最高に、楽しいイベントだったのかもしれないって思う。

大人になっても、そういう心理状態に自分を持っていける人もいるのかもしれないけど・・・

これができなかったら終わる!!
っていう必死さ。

当事者は辛いというのはわかるんだけど、もう2度と味わえない感覚なのかもなー。

と受験勉強に励む子どもたちをみて、大変だな、、と思う一方で、羨ましいとも思う今日この頃・・・

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