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最適解は「やめて、始めての繰り返し」ずっとやり続けるしかない

色々試してみて、
「これだ!」

と思った方法があったとする。

だけど、それは、例外なく

「現状は」

というエクスキューズがつく。

なぜなら、私はずっと同じ私ではないし、
環境もずっと同じ環境ではないからだ。

どうしても、一回いい方法、色々試行錯誤して得た解答は、ゴールだと思いたくなる

だけど、それに固執することこそが危険な兆候なのだ。

私は極端な性格なので、つい0か100かで白黒はっきりさせたくなる

宙ぶらりんな状態が耐えられないので、何かしら結論が欲しくなる。

一方で、ポジションを取らないと、前に進めないため、これは、必要でいいことだと思っているが、一旦決めたことが、ずっといいこととは限らない、というのを自分にも、相手にも、わからせる必要がある。

コロコロ変えて振り回されたり、昨日言ったことと今日言ったことが180度変わっている人は信用ならないし、一緒にいると疲れるため、誰もついてこなくなる。

しかし、目先の好感度や、その場しのぎで、明らかに変化すべきタイミングを逃すことこそが、大きな損失となり得る。

だから、大切なのは、
「いつも、その時のベストを取れる人」

として、認識してもらうことだろう。

これはかなり、体力がいる作業で、安息する時がない。
一回、これで行こう、と言った後も、ずっと最適解を探し続けなければならないからだ。

やってはやめて
を繰り返す。

それは、生きている限り、ずっと続けないといけない作業。

だから、私は満たされないし、この満たされなさは、生きてる限りずっと続くから、仕方ない。腹括って、ずっといい状態を探し続けないといけないんだろう。

周りがよく見えたり、これさえこうなれば、、
という課題があったとして
例えば、周りと同じ水準になれたり、その課題が解決されたとして。

それでもやっぱり、私の気は晴れないし、次の不満や不安の種子がすでに発生している。

それって、自分に何か欠陥があるのではないかと、悩んでいたが、これって人間の脳みそに植え付けられた、「永遠の渇望症」なんだなという理解に至った。

どこへ行っても、どこまで考えたとしても、程度の差こそあれ、幸せだと思う気持ちは続かない。
もし、続いているとしたら、それは自己欺瞞だ。
あるいは、ボケているか、すでに死んでいるか。思考放棄した状態だろう。

私は、幸せだ。
と、自己暗示をかけたとしても、

目を開いてちゃんとみたときに、何も問題、苦しみもない状態なんてあるわけないのだから。

あったとしてもそれは、続かない。
人生とは
瞬間、瞬間で訪れる、幸せ、最適解を永遠に試行錯誤して追い求める宿命なのだ。

・・・と、救いようのない気持ちになったが、
瞬間瞬間の幸せや、喜びはもちろんある。
だから、その瞬間をたくさん得られるための努力を、これからもやって行きたい。

幸せと思う気持ちと、どんよりと沈む気持ちが交互で訪れる
こういう自分と理解して、大変だけど、これからも、前進していくしかない

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