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書評『草原に生きる』

「モンゴル人」。日本に暮らす私たちがそう聞いて真っ先に思い浮かべるのは、おそらくモンゴル国に暮らす人々ではないでしょうか。

でも実は、モンゴルをアイデンティティにもつ人々はモンゴル国以外にも広く存在しています。なかでも中国には内モンゴル自治区という行政区画があり、中国国内に暮らすモンゴル族(≒モンゴル人)の多くがここに住んでいます。内モンゴル自治区におけるモンゴル族の人口は400万以上で、これはモンゴル国の人口の約95%を占めるモンゴル人の人口(約320万)よりも大きい数字です(なお、モンゴル国にもカザフ人をはじめとする少数民族が暮らしています)。

今回紹介する『草原に生きる−内モンゴル遊牧民の今日』(論創社)は、主に内モンゴル自治区に暮らしているモンゴル族の生活を取り上げた一冊です。

著者のアラタンホヤガ氏は、中華人民共和国内モンゴル自治区出身のモンゴル族です。日本での大学留学と就職を経たのち、写真家としての活動をスタートして現在に至ります。この本は、アラタンホヤガ氏による現代内モンゴルにおける人々の生活を記録した写真と、自身の体験を綴ったエッセイからなります。

この本の素晴らしいところはなんといっても、読み手の目を惹きつけるような精彩な写真の数々です。色とりどりの民族衣装や風景、家畜……現地の人々の目が映す景色がまざまざと伝わってきます。特にモンゴルの民族衣装「デール」は色鮮やかで美しく、写真の中のその煌びやかさに心奪われます。またこの本は14もの章から構成されており、伝統的な遊牧生活のことから現代の環境問題に至るまで広範なトピックをカバーしています。内モンゴルの文化にあまり親しみのない人がまず読んでみるのにはうってつけの一冊です。
さらにこの本の良いところは、日本語を原文として書かれているという点です。現地の人によって書かれる外国文化に関する書物はもっぱら訳文という形で日本に入ってくる一方、この書籍は著者が直接日本語で著したものです。他の言語を介在しないので、日本語に慣れ親しんだ読み手にはかなり読みやすい文章となっています(この本の文章については現地の人というよりもむしろ部外者的な視座が優勢であることは否めませんが、そのことを加味してもこのような本は貴重であるように思います)。

さて、著者が写真家としてのキャリアをスタートし、この本を執筆したのは、著者自身が現代中国におけるモンゴル族の生活を記録することの必要性に駆られたことが理由であると文中で述べられています。というのも、モンゴル族は政府によって定住化を半ば強制され、その遊牧文化が現在急速に失われつつあるからです(本文中にも、著者が幼い頃にはまだ残っていた文化や習慣の多くが、現在では失われてしまったことが記されています)。

また残念なことに、同じようなことは世界中で起こっています(もちろん日本でも)。私たちはこの本を通じて、そのことについて考える必要があります。なぜなら,私たちには皆、自らのアイデンティティと文化に誇りをもって幸せに暮らす権利があり、その権利を守るために多様で豊かな社会を実現していかなければならないからです。この書籍が、失われた文化を記録した「貴重な資料」となってしまわないことを強く望みます。

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