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日本女子大学成瀬記念館/旧成瀬邸(東京都文京区・雑司ヶ谷駅)

東京都にある女子大学の中でも有数の名門校で知られる日本女子大学。創業者の成瀬仁蔵の名前を冠した成瀬記念館と共に、期間限定で成瀬仁蔵が住んでいた旧宅を一般開放しており、そのタイミングを見計らって訪問。

自身とはあまり関係ない大学ということでただでさえハードルが高いものの、女子大学という限られた領域であることから訪問するのには(不審者なんじゃないかという疑惑の目を向けられるのではないかという勝手な被害妄想と葛藤するという)かなりの気合を入れて行かなくてはならなかったりするのだけれど、こちらの大学は意外とそういうこともなく訪問できた。記念館が警備室からすぐ近くにあるというのも関係しているのかもしれない。

成瀬記念館の外観

記念館は正面から既に2階へと上がる階段の先には校章を形取ったステンドグラスが見え、礼拝堂のような作りになっている。1階には小さな展示室があり、こちらでは企画展として婦人国際平和自由連盟に関する特集を行なっている。新渡戸稲造とも交流があり国際問題研究会を開催した成瀬の人権を大事にする姿勢を紹介している。トイレは女性のみ用意されている。男性トイレはなし。

向かいにある講堂もまた良い景観

2階が常設展示室となっている。ステンドグラスのある部屋では成瀬仁蔵の業績と共に前身となる日本女子大学校から現在に至るまでの歴史が紹介されている。実践倫理の授業は成瀬仁蔵が自ら講義を行なっており、平塚らいてうや広岡朝子(実業家としてのちに大学の設立に尽力)がここから羽ばたいている。
左手の展示室は「成瀬文庫」として、私財のほとんどを費やして集めた和書五百冊、洋書千九百冊のコレクションが展示されている。学生は閲覧することも可能。

右手の展示室では、衣食住の教育をメインに行った大学の中で今回は住居学を中心とした歴史を紹介している。清水建設の技師だった田辺淳吉や早稲田大学の大隈講堂、日比谷公会堂などの建築家である佐藤功一が教鞭をとり、佐藤のもとで学んだ柴谷クニも家事の授業を行いながら製図や住居学科の基礎を学んでいる。のちに建築家となる妹島和世もここの卒業生である。
また授業内容とは別に夏季寮についても紹介されている。アメリカ留学時代の経験をもとに成瀬は軽井沢に夏季寮を構想、三井家から施設が提供され「三泉寮」を創設した。なお三泉とは健康の泉、知識の泉、心霊の泉を指している。宮沢賢治の愛妹トシもここで学んだ一人で、兄に送った手紙も記録に残されている。

成瀬仁蔵の旧宅

分館という位置づけになる旧成瀬仁蔵住宅は日本家屋になっている。もともと敷地内の別の場所にあったものを、道路の拡張と共に家屋ごと移転している。昔から残されたものなので老朽化の恐れもあり裸足での訪問は不可。2階建ての1階は和室、2階は洋室がメインとなっている。戦災で焼け出された教員を1階で養ったこともあるという。当時のトイレは和式。

2階の洋室は明かり取りが良い

旧な階段(晩年に官僚がお見舞いに来ることもあり、行き来がしやすいようにロープを設け手すりとした)をのぼった2階は洋間がメイン。書庫の跡も残されている。たちながら考えることの多かった成瀬のために書見台が壁に取り付けられたりしている。2階の一部は和室で、そこには成瀬仁蔵が息を引き取ったベッドも置かれており、畳の上にベッドという奇妙な感覚も教えてくれる。

和室にベッド

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