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拉麺ポテチ都知事41「学生運動と破壊の快感」

気がつけばひと月ほど書いていなかった。とある海外アーティストにメールインタヴューしたり、取材で兵庫に行ったり、HEAVENESEの大阪ツアーだったり、充実した日々を送っている。記者としても音楽家としても35歳になって、ようやく仕事に打ち込めている感が出てきたかもしれない。

と思ったら、とあるライティングの業務委託契約が不意に終了・・・。天は安々と私に安住を与えてはくれないようだ。よい仕事をしているはずなのだが、なぜ私には金がないのだろう。35年生きて今思うのは、自分には投資のセンスがない。よく言えばDIYだが、金さえあればもっと大成していたはずなのだ。

人権をもっと大切にすべきと思うなら「ミュージシャン全員がなぜ大成しないのか?」ということについて、もっと強く主張すべきだろう。音楽家全員が報われない社会なんておかしい。才能なんて、人それぞれが持っているのだから、誰しも生活の糧が音楽で与えられるべきだ。そんな世の中はおかしいから革命を起こすしかない。私みたいな脳内お花畑のために祖父は「音楽なんてやめとけ」と抑止力として言ったのだと今は分かる。

それはそれとして、今時は音楽ライターとして、アーティストにLGBTQや社会正義、メンタルヘルスについて聞くことがトレンドである。それはそれで興味深く、学びにもなるが、そればかりになれば、同じ様な記事が増えていくのも目に見えるように分かる。とはいえ私自身も散々そんなことを質問してきた。

ゴーゴーペンギンのメンバー諸氏に、しつこくベースミュージックを中心とした「イギリス的なものを感じる」とナショナリティについて聞いたし、小袋成彬氏に文化盗用について質問もしている(宇多田ヒカル氏の客演ヴァースについては文中では「あなたがそう言っているだけです」と一蹴されたが)。あとピコ太郎氏にtwitterでのクソリプから心を守る方法について聞いたのも私くらいだと思う。

インタビュー相手を閉口させてしまったことも何度かある。相手はノンポリでいたかったのかもしれないし、特に興味がなかったのかもしれない。それをわきまえずに何度も迫った私の失敗だ。よく廃業にならなかったと今にして思う。しかし今だったら意識高い発言がマーケティングに使えるし、答えてくれた可能性はあるかもしれない。

女性アーティストにも女性表現者としての社会的立ち位置などを聞いてきた。ジャズピアニストの山中千尋氏や、サックスプレイヤーの矢野沙織氏の取材はよい話が聞けたと思う。

そんな今こそ大事なのが、音楽や作品の神髄に迫るような質問ではないだろうか。例えばリナ・サワヤマ氏には社会的な質問を敢えてしなくても、音楽からにじみ出てくる何かに言及すれば、それは自ずと明らかになるはずだ。ただのエモい記事にしてしまったら音楽よりも、社会的な情緒の爆発に関心が集まるだけである。

音楽家が社会を語る前に、その音楽こそが社会を反映している。もしそうでなかったら、今それを生み出すことに意義がない。たとえ無だとしても、無だということに意義がなければやる意味があるだろうか。面倒くさいが、私はそう思う。例えば最近でそれを感じたことのひとつは、山下洋輔氏による53年ぶりの早稲田大学でのライブ取材だった。

このなかで山下氏は以下の様に語っている。

「僕はジャズの決まりを壊したかったんです。そして世の中にある制度を壊したかったのが学生運動の人たち。何でも単純に既にあるものは悪い、権威をぶち壊すべきだと。それを知らずに僕らも音楽でしがらみを破った表現ができないか、と考えたのが最初。だから彼らと共通していたのは怒りもあるでしょうが、“あるものをぶち壊す”快感でした」

つまり山下流のフリージャズに左翼学生が共鳴した理由は「破壊の快感」だったというのである。パルス的なリズムや和声進行から逸脱したインプロヴィゼーションと、テーマしかない音楽。マナーを壊し、要所要所で美しいメロディを息を合わせて出力する。それはまるで非日常や日曜日がずっと続くようでも、共産主義者による世界同時革命を見ているかのようでもある。

ただ当時の学生運動はインテリによるものだったから、信念や理想よりも「破壊の快楽」が勝っていたと考えるのは安易ではないだろうか。しかし、三島由紀夫と東大全共闘の討論の行く末を見れば、それは理解できると思う(『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』はぜひ見ることをお勧めする)。

この討論は、なんと「他者とは何か?」という極めて哲学的な問いで始まる。そこから三島が素晴らしいディベートスキルで善戦、その場にいた東大全共闘の面々の心を掴んでしまうのだ。特に驚くのは終盤に三島が「天皇を天皇と諸君が一言言ってくれれば喜んで諸君と手を繋ぐ…」と彼らに呼び掛けるシーン。これに続いて、ある学生が突然なんと「天皇!」と言いだすのだった。これはとても重要な瞬間だと思う。

何のことやらと思うが、これはつまり「『天皇』と言ったから、一緒に共闘しようじゃないか」という意味なのである。つまり極めて知的にスタートした論戦は、最終的に小学生レベルにまで思考を下げる形でエンディングを迎えるのだ。だから「他者とは?」といくら理屈を並べても、彼は結局、既存の価値を壊すために言葉を弄んでいるだけなのである。

もちろん全員がそうだったというつもりはない。むしろ多くの人々が運動から撤退せず、本気で完遂しようとしたら連合赤軍や重信房子、高野悦子のような未来が待っていただろう。私は必ずしも70年代の学生運動を無駄だったと評価しないが、これはリベラルな思想を考える時に一考すべき歴史ではないかと思う。

その破壊とフリージャズとの親和性はよくわかる。これが音楽が社会を反映した、ひとつの例だ。それを記者として追いかけるのは楽しく、やりがいがある仕事であるなあ。とまあ大層なことを書いたが、日々のサヴァイヴにも困っている次第なので気合で乗り切らねばならない。そういえば根性論が駆逐された時代に「気合」という言葉がまた使われ出しているのも興味深い話なのだが、これについてはまた。

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