SNS Shocking#5「虚実にある、オリジナル」(ゲスト:堀京太郎)
「音楽はスタイルが大事だ」と言ったのは、ジャズの帝王と呼ばれるマイルス・デイヴィスである。ただ参照アーカイブが腐るほどあり、「新しい」といわれるものの大半が既存の要素の組み合わせな現代において、真に独創的なものを生み出すのは難しい。
しかし「スタイル」の語源は鉄筆「stylus」、つまりペンのこと。これが筆跡を表すようになり、個性という意味に転じた。つまり元来、書式やフォントのイメージであるからして、そもそも無から発想するものではない。要素を自分なりに解釈し、何かしらの新しさだけ演出できればいいだけの話である。
とはいえ、スタイルを内に見出すには恵まれた才能や環境がない限り、途方もない時間がかかる。まさに苔のむすまで。そのタイパ的な価値観との相性の悪さたるや。しかし新しい何かへの好奇心がアーティストや研究者をたゆまぬ努力と忍耐へと突き動かしてきた。
記事とポッドキャストによるインタビュー企画「SNS Shocking」第5回目のゲストとして紹介されたのは、マイルスと同じくトランペットを演奏する堀京太郎。彼は笛の響きに音楽的な原体験を持ち、自然的/人為的なサウンドのはざまに自分のスタイルを感じるという。
(写真:西村満、サムネイル:徳山史典、ジングル/BGM:sakairyo)
ジャズは“速い”音楽
――トランペットを始めたのはいつから?
堀:生まれは神奈川で、小学校の頃からリコーダーを吹くのが好きでした。音楽に力を入れていた学校ではないのですが、担当の先生が譜面をくれて色々と吹いてた記憶があります。お坊ちゃま校である東京・暁星中学校に入ったら、もっと違う楽器をやってみたくてビッグバンド部に入りましたね。
当時、ジャズをやっている意識はありませんでした。緩い部活でしたし、独学で単純に楽しいというだけ。尊敬するテナーサックスの先輩が音楽に詳しかったのもあり、音源を色々ともらって王道なクリフォード・ブラウンやブレッカー・ブラザーズなどをコピーしてましたね。アドリブは全然できなかったし、その発想自体がなかったです。
――大学での活動は?
堀:慶應義塾大学に進学し、学内のビッグバンドであるライト・ミュージック・ソサエティで演奏してました。そこで外部から呼んだトラ(エキストラのプレイヤー)のドラマーとして秋元(修)がいたんですよ(※本企画の第1回目のゲスト)。そこから彼を通して同世代の人たちと繋がっていきました。
秋元と僕は、お互いに腹を割って話すコミュニケーションが好きなタイプで、酒を飲みながら渋谷から溝ノ口まで歩いて帰ったりして仲良くなりましたね。彼はやりたいことにしか興味がなく、スタンスが一貫しているのが魅力。
――当時のライト・ミュージック・ソサエティでは、いわゆるコンテンポラリーなジャズを演奏してましたね。
堀:はい。やはり先輩たちが輝いて見えるので、彼らの演奏する音楽を聴いてカッコいいと思うようになりました。それから卒業後は昭和音楽大学に通い、トランペット奏者・岡崎好郎さんから「君、全然アドリブできてないよ」と言われつつ、ジャズの基礎などを習ったんです。結局は1年で辞めてしまいましたが。
大学卒業してからの23~25歳くらいの頃に、周囲の優秀なプレイヤーと比べて「自分はなぜ上手くないんだろう?」と考えていたんですよね。彼らは“速い”。それはフレーズの話ではなく、耳や運動神経などの反応が異常に速いという意味で「ジャズって速い音楽なんだな」と思い至りました。同時に「それを自分はそこまで好きじゃない」ということも感じて。ある種、逃げ出したんですよ。
――ジャズ周辺で「自分はジャズできない」と発言するプレイヤーが多い気がします。
堀:確かに多いですね(笑)。でも、そういう人はオーセンティックではないジャズをやろうとして苦しんでいる気がする。僕もある時から「自分にしかできない音楽をやらなきゃダメ」と考えるようになりました。それからアイデンティティの問題にぶつかり、自分のやるべきものは当時やっていたコンテンポラリージャズではないような気がしてきて。
ぼんやり考え続けていたら、自分の原体験としてリコーダーの“音色”があったことを思い出しました。「いい音」と感じるサウンドって人によって違うと思いますが、自分にとってはそれが笛の音だったなと。トランペットに近い笛も吹いてみたのですが、トランペットの方が経験もあり演奏しやすいので、そのなかでサウンドをイメージするようになったんです。
自然/人為のはざまで
――好きな音色のテクスチャーについてイメージはあります?
堀:倍音が変な感じに鳴っている音ですかね。実際に楽器を演奏することもあってか、生っぽい部分が好きなのでASMR的、フィジカルな音が好きです。あまり加工しすぎない方がいい気がしてて。PCで開いている「Ableton Live」も基本リバーブとEQしか使ってないです。ライブとかではインスピレーションでピッチシフターやコーラスを入れたりしますが、物理的なサウンドから逸脱したくないという気持ちですね。
多分「自然」と「人為」の新しい形を模索しているのだと思います。ただ「Natural」も「Nature」も自然だし、人間も自然の一部だし、そこから機械も出てくると考えると自然でないものを探す方が難しいのかもしれないなと。
――他方で「人為」については?
堀:例えば、個人的に影響を受けたノルウェーのトランペット奏者、アルヴェ・ヘンリクセンのプレイはいわゆるトランペットの音ではない質感で、アンビエントやエレクトロに近いスタイルにはフィクションの世界が浮かんでくるんですよ。
以前は「なぜ、こんなことをするんだろう?」と軽んじていましたが、よくよく聴いたら何か大きなことをやろうとしていると気付きました。その方法論ならフィクションの良さや必然を出せる。それと自然な要素との混ぜ合わせをいつも考えてます。
――1982年に毎日新聞社が出したムック本「別冊1億人の昭和史 日本のジャズ」を読むと、ジャズ評論家・油井正一氏が「ナショナリズムの問題が60年代末から70年代にかけて出てくる」と話している鼎談があるんですよ。そのなかで、当時の秋吉敏子さんや渡辺貞夫さん、菊地雅章さん、日野皓正さん、山下洋輔さんのオリジナリティを賞賛している。そして堀君のファッションや発言からは、どこか70年代の香りがします。
堀:日野さんは音源で聴くよりも生で観た時にぶっ飛びました。彼の音はマイクに乗り切らないですね。エネルギーがあるというか。あと日本人で衝撃を受けたといえば、ヒカシュー・巻上公一さん。彼がやっている唱法・ホーメイを僕も趣味でやるんですよね。
――先ほどアイデンティティの話がありましたが、自分をルーツや出自から得た解は?
堀:まだ答えは出てないんですが、ベーシスト・廣瀬拓音さんに相談した時に「日本人にアイデンティティはないと思う」と言っていたことが印象に残っています。なぜかを尋ねると「戦争に負けたからだよ」と。その答えが自分にとっては腑に落ちたんですよ。民謡に親しんだ訳でもないし、なくて当然だと思いながら付き合って見つけるしかないかなと。
最近は「仕事として音楽をやろう」という意識がないんですよ。もちろん誰かのバンドやプロジェクトに誘われれば何を求められているのかを考えますが、自分発信でやる音楽を仕事としてやるのは苦手で。最近自分がSNSにアップしている、PCを用いて演奏した動画はトランペットのプレイを拡張できないかなと模索している趣味みたいな感じです。
――最後に今後の構想などあれば教えてください。
堀:自分のプロジェクト・GorillaWave!でカセットテープ作品をリリースしましたが、その第2弾ができたらと思っています。具体的に何をするかは決まっていませんが、楽しみにしていただければ。
次回のゲストは・・・
堀さんの深く物事を考える姿勢は、原稿の文字数が少なくなるという効果をもたらしましたが、図らずも反射的に指が動いてしまいがちな世の中に対してクリティカルだと感じました。熟考や熟慮、熟練といった言葉の価値を私自身も再考して参りたい所存です。
さて、彼から紹介していただいた、次回のゲストはシンガーのYuima Enyaさん。ニューヨークでジャズを学んだにも関わらず、即興やダンスミュージック、レゲエなど多様な音楽性を放つ彼女を、本企画における初の女性ゲストとして迎える予定です。お楽しみに。(小池直也)
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