拉麺ポテチ都知事40「ゆっくり静かに飲めます!」
渋谷中のスターバックスは大体利用したことがあるが「マスクをしてくれ」と言われることはほぼない。怪訝そうな店員も大体笑顔を見せれば安心したような顔を見せる。マスクしてない人が全員ヤベえ奴だと思ったら大間違いだ。そんな陰謀論に騙されてはいけない。何事もスマイルである。スマイルこそが世界平和の鍵なのだ。
コーヒーを持って席に移動、今日はチートデイなので、ダーク・モカ・チップ・フラペチーノのグランデを机に置く。昨年秋からずっと食事制限は続いている、というかこれが普通の生活になった。体重はビフォーから5キロ減らへんでキープ。半年前は10キロ減とかイキっていたが、もう落ちなくなった。それはまたモチベーションが上がったらやるかもしれないが。
さてPCを出そうとカバンを探っていると、隣のガタイが大きくて、90年代のサーファー風ヘアのおじさまがめっちゃ見てくる。「うわ・・・」と思いながら、引き続きガサゴソさせていると、「うるせえ」と遠くに向かって呟かれてしまった。また「うわ・・・」と静かーにPCを出し、ディスプレイを眺めるふりをしながら横目で見ると、彼の横には彼女と思しき女性。ふたりは何やら不穏な空気を発していた。
おじさまの方はマックを開きながら「それは誤解なんだ」と古風な弁明をし、彼女の方はスイーツを前に置き、スマホを見ながら「だから〇〇ってことは、○○なんだよね?それはおかしいよ」と問いただしている。彼らの話は声を潜めながらも、明瞭な活舌と重い内容でスカなのかロックステディなのか判別できないBGMの間を縫って響いていた。あれ、私のガサゴソとは一体・・・。そんなことを思いながら、昔バイト先の某チェーン居酒屋で働いていた時の記憶がよみがえるのだった。
深夜1時に突然来店した男女は「静かと書いてあったので来ました」と入口で私に告げた。何のことか分からなかったので「???」と思っていたら、当時の同僚があまりにも暇な我が店を逆手にとって「ゆっくり静かに飲めます!」という宣伝文句を看板に貼っていたのだった。なかなかいいマーケティングじゃないか。そう思い、店内に案内すると彼らはほどなくして、紙を取り出し何やら話し始めた。
離婚話である。客はゼロ。ホールスタッフは私のみ、調理場もひとりの2オペである。正直、彼らが何を話していたのかは忘れたが、誰もいない店内に離婚の話題がこだました。「うわ・・・」10年前も私のリアクションは同様である。書類を前にしたふたりは、関係を終わらせるべく各停電車のように粛々かつ着実にひた走っていた。あの重々しい空気は忘れられない。
そこに流れていたのはオールドスクールなジャズだった。今みたいに洗練されたプレイリストなどなかった時代、ひたすら硬派で聴きつぶされた名盤が有線から垂れ流れていた。例えば、アートペッパー「帰って来てくれて嬉しいわ」とか、オーネット・コールマン「ロンリー・ウーマン」、バド・パウエル「チュニジアの夜」といった曲たち。先ほどのスタバのBGMと違うことといえば、その曲のひとつひとつを私はちゃんと判別できたことである。
タイトルとは対照的に彼はいずれ帰ってこなくなるし、タイトル通りに女性はひとりぼっちになるだろう。そして空回りするピアノトリオの疾走感。ベースの鳴らないスピーカーから漏れるサウンドに乗るトピック:離婚は、何とも言えないブルースである。というか居酒屋に離婚話しにくるか普通。そして「ゆっくり静かに飲めます!」という冗談みたいな売り文句がこれ以上ない形でバッドトリップするとは。「まじでふざけんな」と冗談半分、ガチ半分で同僚にクレームを付けたのを覚えている。彼はその道に行けば敏腕マーケターになっていたはずだ。
クラシカルなジャズがBGMによく使われる大きな理由のひとつは「聴き流せるから」だ。4ビートや、AABAで進行する楽曲構造、ソロリレーなどの規格がポップスのそれとは全く異なり、曲に思考を持っていかれることがない。それでいて、洒落た雰囲気を「家具の音楽」として空間を満たすことができる。ほとんどこれに尽きるだろう。
ただ曲を知らなかったら、この想い出は私の記憶に残ることはなかったと思う。音楽はすべてを演出する。食事や世間話だけでなく、喧嘩や離婚でさえも。いや、正確には「人間が音楽から意味を発生させる」という方が近いかもしれない。この効果は曲を知れば知るほど強く生じる。知らない方が楽しめることもあるが、どうせならたくさん音楽に触れた方がいいと思う。そうすれば、音姫やバニラの宣伝カーが引用するクラシック音楽からも複雑な気分を味わうことができるはずだ。
そして、こういう経験が未来の私をマクドナルドのBGMについての取材に走らせてくれた。未だにこの時のPV数を超える記事を書いたことがないし、書ける気がしない。私の代表作だが、その類の記事は別にもう書く必要もないな多分。
さて話をスタバに戻そう。カップルの静かなる闘争はひと段落したようで、今はレゲエが流れている。気になるのでShazamをかざしてみると、その曲はブルース・ラフィン「ソング・フォー・ピース」だった。
ほら、知った瞬間にレゲエとピースによって意味が発生したじゃないか。音楽はすべてを演出するのだ。そして私には世界平和たるスマイルがある。ピース。納得とともにスタバを後にした。
現代はプレイリストのよさが宣伝になる時代だ。だったら、なかなかいいマーケティングじゃないか。ただ「ゆっくり静かに飲めます!」はもうやめてくれ。
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