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SNS Shocking#6「古い価値観の逆襲」(ゲスト:Yuima Enya)

刹那的なネット記事が「価値観をアップデートせよ」と叫ぶ。もちろん、某中古車屋に代表される旧時代的な組織は在り方を見直すべきだ。そして健康のために有機野菜を食べたり、ヨガやピラティスに通う意識の高い生活も大事だと思う。しかし同様に我々は敢えてジャンクフードを食らう自由も持っている。

1箱600円を超えても趣向を曲げぬ愛煙家たちに聞きたい。これだけ社会から悪習だとされながら、なぜ吸うのか。私からすると君たちは自身の健康と経済を賭して抑圧に抗っているように見える。煙が空間を満たしていた古い価値観が駆逐されるなか、都内の喫煙所はさながら自由主義者たちの砦だ。それがバックラッシュというよりも、反抗に見えるのは気のせいなのか。

私自身は非喫煙家である。だが音楽やアート的趣向、画一的で無批判な医療、政治的な考え方、社会的な正義などの「こうあるべき」を押し付けられるくらいなら煙の草だって喜んで吸うだろう。その後に苦しみ咳込むとしても、我々には意志が備わっている。

そう考えさせてくれたのが「SNS Schoking」第6回目のゲスト、シンガ―のYuima Enyaの煙草。彼女が吸う煙と吐きだす言葉は、オールドスクールな物事が持つ普遍性を感じさせるに足るものだった。

(写真:西村満、サムネイル:徳山史典、ジングル/BGM:sakairyo)


Yuima Enya(ゆいま・えんや)
18歳からNYへ渡り、The New School for Jazz and Contemporary Musicでジャズボーカルを専攻。学校外では舞踏のスタジオに通うなどし、様々な音楽を吸収しつつ独自の感性と幅広い表現力で作曲を開始。ジャズやワールドミュージックを現代のビートへと昇華することを得意としている。

2022年にファーストソロアルバム『MALAKA』を発売、レコードで全国流通開始。現在はSUPERCATS、Thiiird Placeで主に活動。フィーチャリングボーカルとしてTAMTAMに参加。2020年にリリースされたCAT BOYSの7 inch single「Feel Like Makin' Love」は2000枚を売り上げている。

HP:https://www.yuima-enya.com/
Instagram:enyayuima

完成した60歳のジャズ歌手な私


――今回は『SNS Schoking』初の女性ゲストです。

Yuima:ジャズ界だとメンズワールドなところがありますよね(笑)。

――(笑)。理想としてはジェンダーバランスを均等に進めていきたいと思っています。では、まずYuimaさんが歌を始めた時のことを教えてください。

Yuima:小学校くらいから好きで、宇多田ヒカルをみんなで歌ったりしてましたが、当時の夢はマンガ家になることでした。高校時代は絵の予備校に通っていたほどです。ターニングポイントは高2の時でした。

父親が「いか天(三宅裕司のいかすバンド天国)」に出ていた少し前衛なミュージシャンで、彼と彼の友人と初めて人前で歌ったのが原点。歌手になるなんて馬鹿げてると思っていたのに、「やりたいかもしれない」と考え出したんです。そこで「馬鹿げてるよね?」とお客さんのレゲエおじさんに聞いたら「いや、やればいいじゃん」と。それに励まされて予備校を辞めました。

――大学はニューヨークのニュースクールを出ていますね。現代ジャズの重要人物であるロバート・グラスパーやホセ・ジェイムズらを輩出している学校です。

Yuima:「音楽をやるんだから、大学は行かなくていいや」と思ったのですが、親は行ってくれと。でも私は音楽の勉強をしたことがなかったので、その時点で日本の音大へ進学するのは無理でした。ただ海外の学校なら行けるようだぞ、ということでニューヨークへ行ったんですね。最初は音大ではなく、誰でも入れる学校に通いつつ、ひとりでオープンマイク(飛び入りセッション)に通う日々。その時が人生で一番ジャズを歌っていた時期だと思います。

――もともと、ジャズも好きだったんですか?

Yuima:いえ、ロックが好きで銀杏BOYZとかを聴いてました。ただ「ミュージシャンになりたい。何がしたいかわからないけど、大学で勉強するならジャズだ」という、ノリと勢い(笑)。とはいえ母親がジャズ好きで、先ほども出てきた父親もソウルやワールドミュージックなどのレコードコレクターだったんですよ。そういう音楽をおしゃれだと捉える両親の影響で、ルイ・アームストロングやビリー・ホリデイみたいな音楽を大学で勉強しようと思ったのは確かです。

――ニューヨークの日々について、もう少し詳しく聞かせてください。

Yuima:最初の2年はディープでしたね。おじいさん、おばあさんしか来ないジャズクラブに行ったら、そこで弾いている老年ピアニストと仲良くなったんです。シンガーを教えている人で、不思議と彼の家で寝泊りして習うようになりました。何度もカセットテープで音楽を聴いて、巻き戻しながら「ここ聴いてみ!」という指導でしたが(笑)、そんな学習を約2年ほど。そうしたら、60歳のジャズシンガーみたいな私が完成したんですよ。

彼のレッスンで学んだ大きなことは、タイム感。ジャズは楽譜に記せない要素がありますが、特にテンポやタイミングの感覚って日本人と縁がないじゃないですか。バラードやブルースでどれくらい遅れて入るとか、どれくらい突っ込んで入るかとか、それは繰り返し聴いて吸収する以外ありません。それを完璧に会得するまで聴き込むだけ。

特にダイナ・ワシントンの歌には影響を受けましたね。タイム感で感動することが私は多いのですが、それを含んでジャズ・ヴォーカルは構築されていると思うんです。あの訓練は「表現」という意味で、本当に勉強になりました。

グルーヴの影に「サーキュレイト」がある


――ニュースクールでの授業はいかがでした?

Yuima:その修業期間の2年後にニュースクールに入りました。そこではR&Bやポップスよりの音楽を学びたい学生が多かったですね。同期でジャズをメインに勉強していたのはジャズ・メイヤホーンくらい。そこでは、以前のディープな表現の研究ではなく、「この年代のシンガーはこういうフレーズを使う」とか、スキャットのスキルなどの実践的なことを中心に学びました。一番良かったのはベッカ・スティーヴンスの師匠でもある、リチャード・ハーパーという声楽の先生に習えたことです。

入学が21歳の時だったので、年下が多かったですが、たくさんの変な友達とも出会えました。ジャズをやりながら実験的な音楽をやっている仲間と即興演奏をやってました。というのも、ルームメイトが暗黒舞踏をやっていて、彼女の参加するダンスのワークショップになぜか私も行っていたんですよ(笑)。そこで影響を受けたのがパフォーミングアートや空間表現で、スペースや場の大切さを理解しました。それを声でもやりたいなと思ったんですね。ただ好き勝手にやりすぎて、卒業するのが大変でしたけど。

――帰国した時のことも聞かせてください。

Yuima:日本に彼氏がいたり、自分がどういう表現をしたいのかが固まっていなかったので、ニューヨークにいることに疲れてしまったんですよ。あとはダラダラした性格だから、積極的なコミュニケーションや活動を求められるのも合わなくて。「とりあえず帰ろう」と思いたち、当時関わっていたバンドのメンバーなどに「申し訳ない!」とだけ告げて逃げ帰った感じ。あれは今思えばローリン・ヒルのように歌えないと気付いた高校時代に続く、2度目の挫折でした。

――なるほど。そして日本に活動の拠点を移されたと。

Yuima:それでも音楽がやりたかったんですよ。そこで、弟が早稲田大学の中南米研究会に入っていたので、知り合いを紹介してくれたんです。彼に誘われて参加したのが、クンビア音楽を演奏するバンド・DF7Bでした。そこで出会ったのが京ちゃん(堀京太郎)やキャッチー(宮坂遼太郎)、TAMTAMのアフィさんたち。私は歌っているというか、カウベル叩きながら叫んでるだけでしたけど(笑)。それから京ちゃんと一緒に即興のライブをやるようになって、六本木の妙善寺で演奏したり。

あと前回にキャッチーが話していた「橋の下世界音楽祭」は私の青春でもあります。Antibodies Colletiveというカンパニーがあり、そこに地蔵音楽団のメンバーとして関わり始めたんですよ。それで音楽祭や犬島での「瀬戸内国際芸術祭」にも参加しました。やぐらの上で地元のお祭りの民謡を歌ったのですが、あの瞬間からも色々なことを学びましたね。それから民謡は私のなかで大事なものです。地元は三軒茶屋ですが……(笑)。

――なるほど。

Yuima:シタール奏者の吉田大吉さんにも習った時に教えてもらったのですが、民謡などのリズムには西洋音楽と違う考え方があるんです。西洋音楽だと<ウン・タン・ウン・タン>というリズムなら休符(ウン)の長さが決定していますが、それ以外にも休符の長さを他の演奏者とすり合わせるという考え方があると。みんなで休符の長さを擦り合わせる行為に感動しましたね。

あともうひとつの民謡の魅力は、あるフレーズが次のフレーズに繋がるようにできていること。その「エンドレスに回る」ということが響いたんですよ。お囃子のリズムも止まらずに続いていく。この「サーキュレイト(円運動)」にヒントがあるのではないかなと思っています。私とお客さんのエネルギーの交換もそう。ダンスミュージックも、前から好きだったクラウトロックも、祭などの根源的なものに繋がっている気がしますね。

古いものでもカッコいいことは全然できる


――まさにグルーヴじゃないですか。冒頭のタイム感の話も含めてYuimaさんは、リズムの深淵さに着目してるのだと思います。そう考えると基本的に等間隔で考えられがちな日本語の感覚はボーカロイドに向いていますが、ラップ的な表現だと律動的に単調になりがちです。

Yuima:私はECDさんのラップが好きなのですが、そういうリズム的にちょっとズレてるところに惹かれていたんだなと話しながら思いました。あとレゲエもそうで、「これでいいの?」というくらいズレてるのが好き。

グルーヴさせたいと思うと日本語は難しいので英語、最近ハマっているラテンならスペイン語が合うと思います。日本語は牧歌的なメロディに向いてますよね。だからアルバート・アイラー「Ghost」は合う。そう意味だと日本の70年代フォークは言葉がハマってましたよね。さだまさしさんとか。

――ところでリズム面ではなく、響きや意味の面で日本語をどう考えていますか。例えばYuimaさんが客演したCAT BOYS「Feel Like Making Love」は自身の手による日本語訳で歌われています。

Yuima:あの曲はレコードで2000枚くらい売れました。瞬間瞬間で歌詞の意味を感じて歌えるようには訳しています。直訳するとハマらないので、連想させる言葉に置き換えたんですよね。帰国した当初は「日本語で歌う」ことにこだわってましたが、今はそこまででもありません。

やっぱり海外の方が面白いと思ってしまうんですよ。民謡は好きですが、古き良きものを現代音楽として昇華する方向性は個人的に興味がなくて。青葉市子さんなど、尊敬する素晴らしいアーティストも、日本の音楽だけを聴いてきた訳ではないはずですし。

……そんなことを考えすぎて分からなくなってしまったんですね(笑)。だから音楽を聴ける状況がある、演奏できる機会があるということをまずは大事にしようと考えるようになりました。ジャズとエレクトロニクスをミックスさせた新しいことも試みましたが、結局は身の丈に合わなかったなと。今は等身大の音楽をやりたいんですよ。

――特に近代以降、これだけ音楽が突き詰められたなかで、「新しいことをやらなきゃいけない」という強迫感がある気がします。そうなると必然的に複雑なものが増えますね。

Yuima:そこはコンプレックスで、本当は複雑なものをできる人が羨ましい。でも、古いものを演奏してもカッコいいことは全然できると思うんですよ。単純に再現するだけでは面白くないですが、現代を生きる私たちがそれをプレイすれば新しいエッセンスは絶対に入るはずなので。

実は1stアルバム『MALAKA』を作った後に鬱になったんですよ。それを機に音楽との付き合い方を変えたら、また曲が浮かぶようになってきました。気分をリフレッシュして、また活動できればと思ってます。

次回のゲストは・・・


特にコロナ禍以降、社会の大きな渦に巻き込まれて「これが正解」という意見に従わないといけない雰囲気が強い気がします。でも世の中には色々な人がいて、多様な意見がある。まずは深く考え、自分の意見を持つこと大事だとYuimaさんと話しながら思いました。

そして、彼女が次回の「SNS Schoking」ゲストとして紹介してくれたのは、プロデューサー/DJのLISACHRISさん。企画としては段々と当初のジャズ人脈から離れていきますが、どのような話が聞けるのか楽しみです。(小池直也)

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西村満
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