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拉麺ポテチ都知事43「殴り書きで開く運命Remix」

2022年の最後に何を書こうかと悩んだ末に全てのネタを差し置き、フリースタイルで書くことにした。

正直「SNS Shocking」「White & Alone」を始めたので、当欄はご破算にして洒落た英語タイトルの新たなエッセイとしようと思ったのだが、私の新たなチャクラを開いてくれた「拉麺ポテチ都知事」に感謝を込めて続けることにしたい。

「ライターをやっている」というと「文才があるのですね!」と言われるが、私に文才はないと思う。あったのはインタビュースキルだけ。だから色々な先輩に「文章が拙い」と言われたし、インタビューの導入であるリード文に苦手意識をずっと持っていた。それを払拭しようと思って始めたのが、このエッセイ。コロナ禍のなかで思ったことを書き残しておきたかったし、文章構築の練習として開始したのだった。しかも(笑)などの記号を使わないというハンデ付きで。

最初のタイトルは「殴り書きで開く運命」。自分の初期衝動であるmixiの日記のように、とにかく書いてみようと思ったのである。

突然タイピングハイになった私の駄文はまだ読めるはずだ。1日に3回更新した日もある。我ながら馬鹿だと思う。改行も入れずに、とにかく読みづらく長くというパンキッシュなものだった。でも、それが私にとっては文字を編むきっかけなのである。勝手に指が動くかのような、あの謎のハイがなかったら今頃まだウーバーイーツの配達員をやっているだろう。

繰り返しになるが、音楽も文章もファッションも思想においても自分に天才はないと思う。それを最初に感じたのは13歳。数学の証明を教師が生徒に問いかけた時、私が思いついたのは一番オーソドックスな思考方法のみだった。しかし、クラスメイトたちはそれ以外のユニークな証明方法を10通りほどひねり出していた。これに愕然とした。

同様に音楽の天才たち、文章の天才たちも同様に私が考えもつかない方法で独創し、カラフルな創作を見せつけてくれた。それらを見るにつけ、全ての分野において浮き彫りになるのは、自分に特別なプリセットがないことだった。だが同時に他人にない能力があることも理解した。それはコミュニケーション能力とラーニング能力。図らずも自分はファイナルファンタジーでいえば、青魔道士/ものまね士のような役どころだったのである。

つまり、自分を向上させるためには誰かと交わり、誰かの技を食らわなければいけない。そして、彼らのやっていることが本当に独創的なのかどうか、ラーニングするに足るのかどうか、見極める審美眼を磨かなければならない。

現代において審美眼を持つことは大切だ。ひとつの情報を何とでも解釈できるからこそ、それに踊らされるだけでは安易なステマや陰謀論に陥ってしまう。SNSで見えるものが全てではない。彼らが発する創造性のオーラ、それを心の眼で見極める必要がある。

私自身もそうだった。SNSや見える情報だけで判断する人々は去り、多くの友人はコロナ禍前後でいなくなった。悲しかった。でも逆に自分も他人を上辺でジャッジし、リスペクトを欠いていたことに気が付いた。そんな自分を本当に理解してくれる人たちが助けてくれた。どうしても好きになれなかった自分の文章を褒めてくれる人もいた。ありがたかった。

もう自分はアラフォーである。10代の頃の私は笑うだろう。「おまえ、まだ何も成してないのかよ?」と。その返答として贈るのは「親愛なるナオヤくん。まじですまないのだが、おぬしは少なくとも40歳まで成功の杯を得ることはないぞ。喜べ、そして泥にまみれろよ」だ。遅すぎるかもしれないが35歳にして、ようやく物事を理解できてきた。

タイパを求める若者に言いたい。青春とは無駄なものである。最短や効率を求めれば求めるほど、君たちは青春を失うだろう。青春を失うということは、大人になるということだ。大人になるということは子どもの心を忘れるということだ。そして、子どもの心とはクリエイティヴィティそのものだ。

だから君たちは童心を手放してはいけない。一方で年上世代もまた、それをキープすることなしに創造できない。だから、つまらない大人になるな。最終的にそんな使い古された言葉に還元されるだろう。古い知恵を軽んじない方がいい。我々は壮大な二度手間を踏んでいる。

「結局言いたいことは何?」そう言われるかもしれないが、特に意図はない。ただフリースタイルで書き殴っただけだ。だから理路は整然としていない。だが、そこから開ける何かが確かに存在するのである。私の運命はそうやって神が開いてくれた。確かに型を学ぶ必要はあるし、BPMをインストールした方がいいと思う。でも社会的ふるまいを解放してくれるのが音楽であることを忘れてはいけない。

機は熟した。2023年は創造の年にしたいと思う。Z世代、α世代かかってこい。一緒に遊ぼうじゃないか。ただし、俺はもうおじさんだ。


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