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福岡の音楽シーンを支えたメディア、ライヴハウスについて〜その⑤ 『天神開放地帯』

ゴールデンウィークの後半、5月の連休。今のところ晴天に恵まれとります。博多どんたくで盛り上がっとります。今回のタイトルは「ゴールデンウィークと言えば『天神開放地帯』」にしようかと思いきや1984年は3月の開催でした(笑)。ということで、『天神開放地帯』という、80年代に福岡で行われていたアマチュア・バンドのイベントを紹介します。
注)写真は、当時福岡で発行されていたブルー・ジャグ、ビートマックスに掲載されてたものです。

1984/03/18(日)
福岡市中央区天神 ビブレ屋上
入場無料
【出演】セルロイド、スーパー・スカンツ、モダン・ドールズ、ザ・グラス、フルノイズ、ザ・キッズ
【主催】 VOR

セルロイド、スーパー・スカンツはニュー・ウェーヴ系で、かつアヴァンギャルドな要素が強い。ともかく、この頃はバンドの数が多くて、ビートバンドの人気は根強かったとは言え、音楽性は多種多様に広がっていた。
スーパー・スカンツは冨士映劇で1983年にザ・ストリート・スライダーズのオープニング・アクトを務めている

スーパー・スカンツ
ザ・グラス

モダン・ドールズの佐谷さんはこの日ピンクのスーツだった。

この頃のベースは田中さん
ザ・キッズ

なんか、寒かった記憶があります。200名以上は集まったのではないでしょうか。


1984/05/05(祝)
福岡市中央区天神 ビブレ屋上
入場料 500円
【出演】ジャンキー・ヒップ・シェイク、アクシデンツ、マニッシュ・ボーイズ、アップビート、ザ・キッズ、アンジー、モダン・ドールズ
【主催】 VOR

チケット
この年は有料だった

1985年はスタート時から雨。大体、博多地方はGW中、1日は雨が降ることが多い。しかし、沢山のお客さんが集まりました。

アンジーはこの年、レコーディングに入って翌年『嘆きのばんび』を発表する。バンドに凄い勢いがあった時期。サウンドもだんだんハードになっていった。
北九州のアップビートも、アクシデンツやモダン・ドールズなんかと一緒に福岡でよくライヴやってたので人気は高かった。

お客さんもびしょ濡れ

キッズ、モダン・ドールズは前年に続いてだが、メンバー・チェンジがあっていた。ハカパラからギターの小峰さん、ベースの田浦さんがモダンに加わったのは驚きだった。


1980年にロッカーズとルースターズ、翌81年にモッズがデビューし、福岡のバンド人口とファンが一気に増えた。一方では80's FACTORYが1982年3月に閉店。※80'sについてはこちら。


バンドマン達は活動の場所を探し求めていた。そんな中で、シーンを引っ張っていくモダンやアクシデンツ、アンジーなんかが『ロックンロール・サーカス』を始めたり、『ジャンピング・ジャム』というアマチュア・ミュージシャン中心のイベントも行われるようになった。

『天神開放地帯』もその一つ。主催はVORで、ビブレ(天神にあった商業ビル)にはビブレ・ホールがあり、プロは勿論だが、アマバンもよくそこでライヴやっていた。ちょうど80'sが閉店した時期にビブレホールが出来たこともあり、キッズやモダン、アクシデンツ、アンジーなどの動員力のあるバンドはよく使っていた。それが『天神開放地帯』に繋がっていく。ビブレホールについては雑誌ブルージャグでも検証記事が掲載された(1982/11/25発行の第9号)。

「VIVRE HALLを再点検する」

ビブレ主催「VOR)によるアマバンのライヴもよく行われていた。こんな感じです。

上から3番目のモダン・ドールズのライヴはチケットが定員以上に売れて、急遽会場を600人キャパの都久志会館に変更した


ともかく、天神の街や親不孝通りを歩けば、ギター抱えた若者を必ず見かけたものだ。YouTubeも配信も勿論ない。「ライヴ」が全てだった。そこでファン達は情報交換し合い、輪が広がっていった。そこに地元のメディアや、ビブレホール、冨士映劇といった会場、地元のイベンター、PA会社などが協力し、アマチュア・ミュージシャンをサポートしていた。

このシリーズの第一回目に総論を書いとります。


my note #89

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