今年のぼくもよく生きとった、来年のぼくもちゃんと生きろよ。
もう年の瀬。気づいたらあと何日もなく2023年が終わっていくじゃないかって、毎年この自分の生まれた日に年末へのカウントダウンを始めていくんですよ。
(そろそろ誰かぼくのこと記事にしてみないか?って言いたいところ。)
たった1日のラグが起こす時間はぼくに毎年この一年のことを考えさせる時間をくれている。
今年っていったい何があった?
ぼくの中では緩やかに上昇している部分もあれば急降下する時もあったからどうかなーと思うけれど、案外緩やかな人生を送っているつもりだ。
2023年、まず最初にやってきたのは心との戦い
気づいたら心の中は疲れ果てて、次第にやってくる感情が乾いていくあの感覚は今思えば背筋がゾッとしてしまう。
その時にぼくにどんなことが起こったのかは↓
きっかけは些細なことで、本当に小さなこと。
普段生きていたら気がつかないほどに小さな歪みだったのに、弱りきった体はそれに対抗する術を持っていなかったんだろうね。
結局は人の力を借りてぼくは立ち上がることになって、まるで「冬鬱」と言わんばかりに春になる頃にはそんな時期があったのかなんて忘れるほどに楽しい人生を送っていると思っている。
もしもあの時誰かに助けてと叫ばなかったら、もしもあの時強がることをやめなかったら、もしかしたらどこかで崩れ落ちていたかもしれない過去のことは今は何も思わない。
ただぼくにはそんな時間があったのだってことと、必要だったということだけは認識している。
環境と心境の変更
そんなぼくに必要だったのは今いる環境と心境の変化をつけることだった。
「雨間」という名前でカフェというものをやっていたが、こうして心身の疲労がやって来てからはうまく立ち回る自信がなく、間借りに近い形であった出店形式の建物から退くとともに、住居の変更、そして飲食の業界にはもう戻らないという覚悟を決めてみた。
さて、家はどうしようか。また旅にでも出ようかって、でもやっぱり拠点が欲しいなって。
そしたらそれを知った知り合いが空き家を紹介してくれて、大家さんに会うことになって、ぽんぽんと話が進んでいっては「シェアハウス うら町base」が出来上がっていったんです。
と簡単に言ってみたものの、割と壮絶で複雑なんですね 笑
まあ、初見で家見た時正直「やべえ」しか思わなかった。
大家さん自体は別の場所に家があって元々は大家さんの実家だったのがこの家。
ゴミ屋敷ってわけでもないのだけど物の量がすごいあってここに人が住むという想像はできなかった、でも片付けることを言い訳に人は巻き込んでいけそうだなって思った。
だったらとりあえずでもいいからぼくが住んでみる!生活を整えてみて、シェアハウスやるって言ってみたら誰かしら興味持つんじゃないかって、大学生から大人までいろんな人たちが興味を持って住んでみたい!遊びに行きたい!ってことで始まっていきました。
まずは鍋を囲んでみること、鍋をするにはリビングとキッチンを片付けないとということで人を呼んで片付ける。
そんな風に人を呼んでは片付けて、ごはんをたべるを繰り返す。
なんでもないことであって、ごく普通のことをしては居場所づくりが大勢の関係人口のもと出来上がって、気づいたら「うら町base」という名前はいろんな方面に知れ渡っていってるって後から知るんです。
ぼくの”楽しみたい何か”を詰め込んだおもちゃ箱みたいな家がこの「うら町base」ってやつの正体で、ぼくのあれしたいとこれしたいっていうわがままから生まれた家なんですよね。
五月、カメラマンとしての道ができてくる
松本の五月といえば クラフトフェアまつもと
39回目である2023年のクラフトフェアの公式カメラマンとしてお声がけいただき、工芸の五月を彩る最後の週に行われるクラフトフェアのカメラマンとして撮影をさせてもらった。
日本最大で最も歴史のあるクラフトフェアのカメラマンとしての名前をもらったことでどことなく「イベントカメラマン」という肩書きをもらうようになった。
どのイベントへいっても知り合いに会うことで顔がどんどん広くなってきて、撮るたびに行くたびに仕事が増え続ける。
その中でイベント以外にも演劇や現代芸術などの撮影を受けながら、知人などのウェディングや、商品写真などの依頼をいただくことが増えてきました。
たまに変な案件とかも受けてはいるけれど、それなりに楽しく生きているんだろうって。
そんなぼくはシェアハウスの管理人という肩書きのもとカメラマンを生業にして、今日も楽しく生きている。
もしかしたら昔想像したような31歳じゃないのかもしれないね。
そんな想像した日のことなんてもう覚えてないけれどぼくは今充実していて、日々を楽しく面白い人たちと生きる選択をしました。
来年をどう生きるかなんてものは来年のぼくがきっと決めるんだ
ぼくが決めることができるのは今だけで、2024年をどう生きるかなんてそんなものわからないけど、まだカメラマンとして生きていたいと思う。
「うら町base」で生きていたいと思う。松本を拠点に生きていたいと思う。
移住した時からずっと楽しいことするって決めて生きてきたんだからそうやって生きていたいって思いはするけど、きっと来年の生き方を決めるのは来年のぼくであって今のぼくにできるのはただただ過去を認めて、過去にやってきた自分の行動がどんな影響を今に与えているのかを知るべきなのかなと。
きっとね、来年のぼくはいい判断をすると思うんだよ。
さあ、こんなことを言っていると2023年も終わりが近づいている。
今年のぼくもよく生きとった、来年のぼくもちゃんと生きて欲しいね
美味しいご飯に使わせていただきます