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生きるってなんだ? |やまぐちなおとの生きた道2024_1_17


これは先に結論から話しておこう。
ぼくにとっての『生きる』とは死に様を決めるものだ。と思っている。

31年も生きてみると何度かは、ああ死んだなこれは。って思うときがあった。
事故にあったとき、お金がなくなったとき、大怪我をした時、入院したとき。色々あるけれどまだしぶとく生きている。

1992年12月30日。
ぼくは大掃除中だった母親から生まれてきて、いろんな人に言われるのはすごい日に生まれたね。って、予定日よりかなり早かったとも聞きました。

そんなぼくは10代の頃は"普通"と呼ばれる人とは違ったかもしれない。
学校にも行かず、友達もそこまで多くなかったのに毎晩のように深夜徘徊をして当然のように警察にお世話になっていたのだ。
後から聞いてみれば毎晩警察から親元に電話が来ていて母親は少し嫌気がさしていたらしい。

そんなぼくは高校にも行かず建設現場で働くようになった。
いわゆる不良のような道に見えるがそこには不良なんかいなくて一生懸命に働いている人たちがいて、その人たちに負けないように誰よりも早く集合場所にきて仕事を覚えることに必死だった。


あの頃のぼくはすごく弱くて、強くなりたくて、そこの社長みたいに強い大人になりたくて自分の体に意味をつけた。
ひとつひとつ意味をつけた。

その頃かな、生きる意味。ということを考えはじめたのは。

社会を離れて旅人になった。

何も知らないただのガキが一丁前に酒を飲むようになって、現場以外の人とも会うようになってぼくは現場仕事を離職した。
まだまだ知らない世界がある、まだまだ知ることができる、そう思ったら仕事が足枷になってると気付いたとき、ぼくは旅人になった。

旅先でありえないほど価値観をぶつけられて、挫けて、落ち込んだ。

「ぼくはほんとうに何も知らなかった」

この世界がどうなっているのかも
人がどうやって暮らしているのかも

テレビとネットの中の情報だけを見て、わかったふりをしていただけなのだと知った。


そして決めた。
50歳に人生のゴールテープを張って全力で人生を生き抜くことを。 

旅を続けていると、違和感にぶつかることがよくあった。社会の中に埋もれた人に対する違和感は日に日に増して、なぜ?がぼくの中に蓄積する。
どうしてそんなに何も感じることなく生きていけるのか、きっと普通に働いて仕事仲間と飲んで、仕事の愚痴や将来のことその辺に転がる噂を肴に朝まで飲み続けていたらわからなかった感性が、旅をして怪奇な目を向けられることでそこが変わっていくのを知った。

そりゃそうか、世間から見ればぼくはハズレモノのくせに自由に生きていて、社会のしがらみから逃げているように見えるんだ。

まともに働いてる人から見ればそれは妬ましく、なんでこんな奴がひょうひょうと楽しそうに生きているのだと思うだろう。

だけどあの頃の僕は少しつらかったのかもしれない。
自由でいたいと言い訳をつくって、自ら社会から逃げ出そうと必死だったようにも思う、

そうやって逃げ込むように山の近くに住んだ。
山の麓の集落に行くと滅多に人に会うことはなくて、気の知れた人にしか会わない生活ができた。
山で生きる知恵を知ると、山のものを口にする機会が多くなった、最初は山菜、野草、そしてキノコ、いつしか小川で釣れる魚、そして気づいたら山に住む動物という順に命を食す。

いつしかぼくは自分と同じ息をして、この世界にいる生き物の人生の時間が止まる瞬間に立ち会う。

あの時は不思議な感覚だった。
心の奥がざわついた。
血が逆流したのか?と思うほどに体温が下がって、その夜はよく眠れなかった。

海のそばでも住んだ、そこでも同じようにうみのものをよく食べた。
岩場で貝を取るために潜ったり、魚を釣ったりして毎日海を見ていた。

こうして色んな人に出会い続けて、色んな経験をしてぼくはどんどん変わっていった。
経験を積んで知恵を蓄えてそれらが人生にに紐づいたとき、ぼくはそれらを受け入れていったらいつか社会に戻らなくても生きていけるんじゃないかって、勝手に思っていただけなんだ。

全然そんなんじゃ、ダメなのはわかっていたけれど。

知らないを知る


どれどけ経験しても、どれだけものごとを理解してもぼくには知らないことが多すぎることを知っていくのだ。
知れば知るほど、知らないも増えて、生きるって難しいって知る。

どうやってみんな前を向いて生きれてるのか不思議なほどに、難しいって知る。

高校も出ていない、大学も出ていない。
いわゆる学歴のないぼくにとって社会は生きづらいのだ。
だから、学歴に優るなにかを見つけないといつか道の片隅でに座り込むことになるのが容易に想像できて、そうならないために色々な経験をして色々な世界を見て、色々な感性を知る必要があったし、社会の仕組みやお金の動かし方、人の生き方や人との関わり方など知らないといけないことが多くあった。

2020年に長野県に移住をして根を張ることを決めてからというもの、それらのことを知らない自分に出会って正直悔しかったな。

だから必死だった。
山や海で生きた時みたいに、社会の中でもみくちゃにされながら必死にしがみついてみた。

そしたら、少しずつ、少しずつ前を向けるようになってきて、ぼくがぼくのままでいられるようになってきたのだ。

変わらないために変わり続ける

そうやって何度も何度も積み重ねた経験が今のぼくを作っているのだとしたら、現場で働いていたときのぼくとは全くちがうぼくが出来上がっている。

それでもいまここで文字に向き合っているのはあの頃から変わらないぼくなのだ。

社会だってあの頃のまま変わらずにそこにはあり続けて、変わらないために社会の仕組みの中が少しずつ変わってきているのだ。

つまりは変わらない。だなんてものはぼくたちの住むこの世界にはありえないことなんだ。
常になにかは変わり続けて、変化することで順応して、そのものの存在を維持し続ける。


"やまぐちなおと"が"やまぐちなおと"であり続けるために、ぼくの価値観は変わり続けていく。のだと思っている、

そしてぼくの人生はまだまだ途中すぎて何見えてこない、けど。死に様くらい自分で決めさせてくれって少なからず今は思っている、
ぼくの人生なんだから。


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