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イメージ戦略!どう生きるのかよりもどう生きたいのか。|

ぼくみたいに個人事業主なんかをやっていると『イメージ』って結構大事じゃない?って思う。

カメラマンで考えてもこの人は一体どんな写真を撮るんだろうか?って
依頼する人は考えるだろうし、気になると思う。

この人はどんなジャンルが得意なのか
この人はどんなものが好きなのか

そういうところから仕事はやってきて、人に出会うことやその時の場所でイメージを変え続けることが仕事を掴んでいく上で大事なことだと思うのだ。

例えばぼくは、「七五三やハレノヒの写真を撮ってなさそう」っていうイメージを作り上げたり、「手と仕事」のイメージだったり、明るいかくらいかだったら暗めで冷たい印象の写真にしてみたりしている。

これが意図的にできていればぼくは良かったのだけど、実はこれは全部偶然が重なって出来上がったものばかりで、ぼくがどう生きたいのかって考えながら何かに向き合って撮影を続けたことをきっかけに人が勝手にぼくのイメージというものを作り上げてくれていたことで気づいたのは『人は想像することが好きなんだ』ってことだ。

全部見えた方が親切じゃないかってことよりも、全部見せなくても誰かが勝手に想像するのだからそこをうまく使うことで、自身のブランドイメージは勝手に誰かの頭の中ですごくなっていくのだ。

手と仕事みたいな写真を撮るぼく、演劇を撮るぼく。結婚式の前撮りもあることはあるけれどそこまで前面に押し出してはいない。

やっていることといえばただひたすらに自分でいたいと考えて撮影しているだけ、ぼくという人間をSNSに流し込んでいるだけだ。
たったそれだけ、それだけで人は
「もしかしたらこの人は七五三を撮らないかもしれない」
「もしかしたらこの人は結婚式を撮らないかもしれない」って想像する

そしたらぼくは「撮らない」なんて言葉を使わなくとも「撮らない人」になれるのだ。

そして、ハレの日を撮らないことで生まれるのはその他の撮影をする人だいうことを誰かが認識する、例えば取材や演劇、イベント、商品などの企業や団体さんが欲しがる写真に目線が移っていくと同時に顧客や個人の家庭から企業や団体に変化していくのだ。

そこで起こるのは圧倒的なギャラの変化。
一般家庭からいただける金額は上限はないにしてもなんとなくの相場が決まっていることが多く、単価を上げていくのは難しくても団体や企業は予算を作ってくれて一回あたりの単価は上がっていく。

そう、ぼくは今個人からの撮影案件はほとんどうけてなくて、八割は企業からの仕事を受けているのだ。

これは極端な話をしているけれど、要は人にどうみられる設計でその仕事の道筋を作っているのか?ってことで、綺麗な写真を撮る人でありたいのか、メッセージ性のある写真を撮りたいのか、モノクロで攻めたいのか、それらをどう見せて、あなたはどう生きたいのか、それが大事なことなんだと思う。

美味しいご飯に使わせていただきます