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好きなことでお金を稼ぐ。仕事を好きなものに変える|2年目フリーランスカメラマンのぶっちゃけた話#03


いつからだろうか、
趣味として始めたカメラが
ぼく自身を生かすための仕事に変わったのは。
いつからだったろうか、
撮影をして欲しいとお願いされる中に
お金の話が出るようになったのは。

カメラマンとして活動を始めて2年。
そんな激動な2年の月日で重ねてきた結果についてはこちらから


長野県に移住をしてから4年目となった今、カメラマンとしてある程度の金額を稼ぐ人になってはきたけど、この4年の歳月の中でぼくは何度も肩書きを変えて生きてきた。

その中でカメラはあくまでも趣味のもので、日常に溶け込む世界をどう写し込むのかってことばかり考えて、仕事にしようだなんて考えたこともなかった。
昔はいいなぁって思ってしっかりと教え込んでもらったけれど、それは本当に昔のこと。

そんなぼくがどうやって「カメラ」というものを仕事にしてきたのか。


そもそもカメラを持ったきっかけってなに?

よく聞かれる質問の中に「いつからカメラをやってるの?」ってのがあって、年数で言っちゃえば10年もカメラを持ってるんだからなんだか玄人感。

けど始めた理由なんてのは単純で少し変わってるのかもしれないね

ぼくがまだ20歳の頃、当時は現代アートに興味持ち始めて街中で芸術祭や現代アート展なんかもあって、どうやったらそれを残していけるんだろうなんて考えもなく、ただ闇雲にスマホを向けて記録という形で残しているだけだった。

確か、瀬戸内国際芸術祭に行ってる時だったと思う。

見返すこともしないくせに、一丁前に記録だなんて理由をつけてはスマホを向けてデータに残すなんてことをして、当時のスマホって写真をたくさん撮ってればバッテリーは1日も持たないから当然電池切れになって そんなただの文鎮に成り下がった鉄の塊には何も意味はなくて。

こんなにバッテリー減るの早いなら「ぼくもカメラを買う!」って決意して時、一緒にいた人がたまたま一眼レフを持っていたってだけでカメラは一眼レフを買うって決まって、その旅行の帰りにはもう家電量販店に出向いて何も情報を考えずに好き!ってときめいたものを買っていた。

これがぼくにとってのカメラとの出会い

だからこんなにも写真が身近になるだなんて思いもしなかったし、仕事になるのも想像つかなかった。

それからというもの、カメラを使う人が近くにいればその人に教えを乞い、それなりの技術と感性がわかった時点で日々シャッターを切っていくしかないって言われて、何かあればカメラを向ける習慣がついたのはもしかしたらこの時だったのかもしれないな。

好きなことをやるためには何をするべきなの?

そうやって何年も何年もカメラを握り続けて、シャッターを切り続けて、写真というものに触れれば触れるほどに『いつか』を妄想してはこんなことで仕事できたらいいななんて思い始めるのだ。

あの時教わったなにかはいつか趣味じゃなくて仕事になるんじゃないかって思っても始め方なんて知らなくて、気づいたらそれは好きなことであって趣味のまま終わっていくんだろうって

そしたら失敗もしないし、誰にも批判されない。

何も恐れることもしないで、好きなことをやり続けることのできる時間のはずだったのに、コロナの時代になって自分で仕事を見つけることになって、コーヒー屋さんになったりなんやかんやと色々手当たり次第手を出してきて

今、ぼくはカメラマンとして生きている。

最初の仕事というか、カメラマンとしての活動の始まりはイベントに顔を出してほぼ無償で撮影を始めていくことだった。

珈琲屋という肩書きを持ちながらでもあったからそこまで撮影でお金をいただいて撮るという感じではなかったのだけど、柱として建てていくにはそれなりにお金をいただいてやっていこうと思って値段設定をしてみれば「ぼくの写真にまだそんな価値はない」と言わんばかりにお金を払ってまで頼んでくれる人はいなかったんだよね。

カメラ持ってるんなら撮ってよ。ぐらいの軽いノリから始まって、このまま何もしなかったらぼくの写真に対する何かが崩れそうになってしまうのもわかって、一から組み替えていくことにしたんだ。

まずは苦手だった分析、周りのフォトグラファーがどんな仕事を多く請け負っているのかどんなところから仕事を受けてるのか。

表立って見える多くのカメラマンは七五三やウエディング、学校行事、成人式の前撮りなどハレの日に特化しているように見えた。
学校と提携している写真館や各所の結婚式場から、登録制のサイトから、様々な方面からフォトグラファーへのアクセスがあるけどどことも関わりを持たないぼくはどうするべきなのか、って。

そして今のぼくがどんなものなら撮れるのか。ということを分析してデータに起こして実践する。
慣れない計算式を覚えてはデータとして自分を書き起こす。

自分の年収が出てきて、これぐらい収入があると嬉しいなと思うとやるべきことが見えてくる。

結局は分析と実践を繰り返して、今のぼくに必要なことと不必要なことを分別していくことでどこにも頼らないで生きていける好きなことをありった気するカメラマンになれたのだ。

好きを仕事にして つらい時ってある?

これって好き勝手に仕事しているぼくが一番言われる質問で、世間でもそう思う人も多いと思う。
これはぼくの持論でしかないけれど、好きを仕事にしたところで嫌いになんかならないし、なんなら好きなことで仕事できるならやった方がいいに決まってる。

そもそも何で「好きなこと」を仕事にするとつらくなるのかってことだけど、同じことをやっているはずなのに自分だけが評価されていないような気持ちになって、思っているより収益をあげれなくなっていたりするからじゃないだろうか?

安くしたら売上にならないし、高くしたら売れない。
そんなモヤモヤを抱えては、好きだからって理由だけで続けようとする。
他の仕事の収入を使って走らせることになって、結局はやることの意味を見失う。
周りにいるフォトグラファーは仕事が潤沢に見えるのに、ぼくにはきてないことなんてザラにあった。
他の収入を使う場面もあった。
意味を見いだせなくなってきた時もあった。
だったらもっと仕事とっていくには周りより安く受ければいいのかって、そんなことを頭のどこかをかすめた時には「自分の評価を下げているのは自分じゃないか」って気づいて、

それがきっと一番好きなことをしていく中でつらい瞬間なんだろうって

安いから買う、安いから依頼する。
そもそもだけどその「安い」を一番にする人をぼくはターゲットにしていない。
安く済ませたいなら安いとこに頼めばいいんだ。
ぼくはぼくに価値をつけてくれている人と今は仕事している。

ぼくは何も難しいことはしてなくて、当たり前のように自分の「好き」に従順に生きている。
取捨選択を繰り返して、ハレの日を撮るカメラマンじゃなくて表現する人や地域をどうにかしたいと思う人たちを記録することに決めた。
こっちの方が好きだったから、って理由だけでぼくは圧倒的に仕事量の多いであろうジャンルを撮ることをやめたんだ。

演劇の凄さを撮ることの喜びと、表現者を目の前にする躍動感
それだけでぼくは喜びに包まれる。

好きな写真で、好きなカメラで、好きなように、自分の好きな世界観を。

そこに共感してくれる人は必ずいるって知ってるから。

何もかもが全部全部楽しいってわけじゃないけど、つらいのも全部受け入れたら楽しくなるんじゃないかな。って
人生ってそんなものでしょう。



何も難しいことじゃない、「ただ好きなだけでやってこれた」


美味しいご飯に使わせていただきます