見出し画像

母がド田舎に土地を買った。

「この家引き払って引っ越そうと思うんだよね」

2023年の夏だったかな
突然母からLINEがきて、ついでに不用品をもらって欲しいというものだったのは覚えている。

ぼくの実家は愛知県にある。
ぼくはほとんど今の家には帰ってなかったから特にそこに思い入れがあるとかはないのだけど、どうやら10年も経っていたらしい。

言っているとおり特に思い入れがあるわけじゃないから、引っ越すと言われても「まぁいいんじゃないか」ぐらいの軽い考えしかなく、特に家が変わったところで何の感情も湧かないはずなのだが、実際は想像とはちがいすぎることが起きていました。

ちょうど秋頃に愛知で撮影の仕事があり、使わなくなったと言われた物たちの回収ついでに実家に泊まった。

「どこ引っ越すの?」
親の次の行き先を聞いてみれば、なんだか言いづらそうに考え事をしているのだから、まさか再婚だなんて言い出すんじゃないかと思っていたら、重そうな口で「岐阜に土地を買った」とだけ言いやがる。

それもかなり大きめの
それもかなりど田舎の

Googleマップに表示されたそこは、電車の終点からも少し行ったところの、山と川に挟まれたヘンテコな場所だ。
隣に民家もなくて、ストリートビューに切り替えると母の買った土地には、動物が棲家にしていそうなボロめのほったて小屋がポツンと佇んでいるだけ。

家でも建てるのか?と聞けばそれはちがうと言って、じゃあこの広大な土地はどうするつもり?と聞けば、まぁなんとかする。と
で?どこに住むの?と聞けばこの小屋で適当にキャンプするのだそう。

キッチンあるの?って聞いたら「ないよ」とだけ母は言ったあとに、焚き火して調理するからいいと言うのだ。

最近やたらとキャンプにハマっているのは知っていて、野営してるとも聞いていて、それなりに知識と経験はあるから大丈夫らしい。

まぁそこまで言うならもう勝手に生きればいいと思うし、やりたいことやってくれればそれでいいと思うし、そもそももう買ってしまった後だし、ってなんだか自由な人だなと思った後に「ああ、やっぱぼくの親だ」って再認識したのもある。

改めてこんなに自由でこんなに勝手に生きてくれる母を見ると、ぼくはこの人から生まれたのだなと実感した瞬間でもあった。


ぼくらの会う時間はあと何時間だろうか。


馬鹿でかい土地に寝袋持って遊びに来いというのだから、キャンプ道具と寝袋を持って行ってやろうじゃないか。母の家に行く=キャンプに行く。という公式が山口家には追加された。

引越しと、移住。というなんとも聞き慣れたワードを母親が言っていることになんだか少し違和感を持ちつつも、この家を引っ越して、愛知にぼくの本籍がなくなることで帰ってくる理由と場所を失った気分ではある。

2024年の2月、またしても愛知での仕事のために実家に寝泊まりして、朝から仕事に行っては夜遅くに帰宅する。
三日間もいたくせに母と話した時間はたったの2時間。
来月には引っ越すというのだけど、きっともう母と会う時間はわずかで数日なんだろうとなんとなく感じていた。

岐阜へ行った母を気遣うようなことをすればきっとあの人はそれを嫌うし、大丈夫かと心配すればそれも嫌うだろう。

ぼくもそんなこと言われたくないからわかっている。

介護を必要としたくないが故にぼくや姉ちゃんの住む近くに住まずに、自分のしたいと思うことができる場所に行くことを決めたんなら、きっとその思いは尊重しなきゃなぁと思うのです。

遊びに何度か行ったら、そのあとはもう何年かに一回会うかどうかになって、いずれ会わなくなって、きっと最後には白骨化したものを見て警察官に「おそらく母です」って、久しぶりに訪れるほったて小屋の中で歳を重ねた姉ちゃんとも顔を合わすのだろう。

なんと非情な。って思うかもしれない。
それでも家族か。って思うかもしれない。

それでもぼくらはそれぞれが選択した人生を否定しないで生きてきた。

ぼくが学校に行かなかったことも
母が離婚したことも。

ぼくがカメラマンになったことも
母が移住することも。

ぼくたちは何も否定しないのだ。
否定したところで何もならないこと知っているから。

気づくと一家全員好きなことをやって好き勝手に生きて、好きな場所に移住しているのだから、どこへ行っても僕たちは自由だろう。

好きなように、自由に暮らすことがぼくの生きたい人生なんだと知っているからきっといつまでも自由でいるんだろうと思う。

だから何時間の時間が僕らに残っているのかはわからないけれど、たとえそれが少ないとわかっても会うことはないんだろなって。


美味しいご飯に使わせていただきます