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それでもカメラで仕事を続ける理由|2年目フリーランスカメラマンのぶっちゃけた話#02

フリーランスカメラマンとして活動するようになって2年、起業のタイミングはカメラを持ち始めて9年目のこと。

元はといえばいつかのぼくが言った「30歳には何者かになっている」という勝手な期待に、30歳の僕が思いっきり乗っかっているだけである。

20歳の時に出会った大人たち、その後旅をするように場所を移動しては新しい価値観を植え付けられてきた時間があって、移住したら何か変わるんじゃないかって何にでも手を出してきた中で残ったのがカメラだっただけなんだけど

それでもそのカメラをやってきたわけって一体何?って。

人のふとした瞬間やさりげない一瞬を切り取れるのが嬉しい、、というわけでもなくてどちらかというと「撮影する」という行為の後にやってくる対話の中に意義があると思った。
カメラってものはぼくにとってはもっとも効率的に人と真正面から対話するツールであって、写真を撮るという行為はその人のことを思考する時間だったわけです。

だから、好きなことというよりは最早ぼくの生活になくてはならないものになっていることに気がついた時、突然仕事が始まりました。

とは言っても最初はお金をいただくこともなくて、たとえばなにか謝礼としていただけるくらいから始まって徐々にそれを聞いた誰かが、それを見た誰かが予算を作ってくれて本当に少しずつ始まっていったもので

別の収入を持って活動をしていたことも重なって、人に会う回数はコロナ禍のわりに多かったと思う。

だってぼくはその時はまだ、ただの珈琲屋だったから。

その時についた名前は写真も撮れる珈琲屋だった。

イベント出店や間借り営業のなかで出会ってきた人たちはもどかしさとやりきれない思いを抱えて、それでも自分のやっていることにまっすぐ向き合っている人たち、そんな人たちと出店の合間に出会ってコミュニケーションを取るのはコーヒーよりも写真だった。  
 
コーヒーの美味しさを説くよりも、写真を撮って話をする方がとてつもなく有意義な時間でそうやっていくつもの人たちと話し続けていくことで小さな仕事がポツポツと始まり、本格的にカメラマンとして名前を打ち出してみたらどうなるんだろうかって僕自身がぼくを試したくなった。

案の定それはあまりうまく進まなくて、珈琲屋としての営業もしつつ撮影をこなし、編集に時間を使うとぼくの休まる時間は無くなり、結局のところ体調を崩してしまってどちらかの選択をしなければいけなくなった時、ぼくにはどうするべきなのかって悩んでいる時間はなくて

結局はカメラマンを選択した。

『その肩書きを背負って死ねるのか?』
この人は本当に核心をドスっと刺してくる。

正直そんな覚悟の仕方をぼくは知らないが、カメラマンという名前で死ぬ気もないし、まだ死ぬ気もない。
けど死に様くらい自分で決めたいって思った、昔から思ってた。

いつか死んでしまうくらいならと、いつか終わってしまうならと

自分の人生ぐらい自分がもっとどうなるんだろうかってワクワクして、続きを見たくなるような人生にしたっていいじゃないかって

だからぼくはいつも面白いものを探している

コーヒー屋さんでも面白い人に出会えるだろうし、どっちでもいいんだろうけどカメラマンが今は性に合ってるんだろうって

これで生きていく覚悟ってものはまだ決まってないけど、今はこの仕事をしていたいと思ってるしこれから先もできる限りは続けていきたいと思ってる。




美味しいご飯に使わせていただきます