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私が、あなたが、写る意味| UTSURU

あなたが写る、わたしが写る
わたしが私に向き合うための写真。

UTSURU.

そしてぼくが今、人に向き合うための企画だ。

カメラマンになってから、いったい何を目指して何を思ってきたのか、いったいどれだけの人の前にカメラを持って立ち続けたのか。

どれだけ人の前に立っていても、ぼくに足りなかったのはいつも人の深層に触れることなんだろうと思っている。
そこで「UTSURU」の企画を立ち上げて、カメラを持つことでしか入れない人間の深みにぼくは入ろうとした。

だれかの目の前にはカメラを持つぼくがいる

その後ろはただの白い背景
自然光の入らない空間に響くシャッター音
話し声のする場を明るく照らすフラッシュライト

写す意味を問いただすように
写ることに意味をつける
 

ぼくの目の前にいる人たちはぼくと話をして僕に何かを聞き出して、夢や理想、現実や苦悩を唇を震わせながらも懸命に声にするのです。
そんな人たちを残したいとぼくは思いました。
そんな彼らの今の姿を残したいと思いました。

写る姿は人それぞれで笑う人や苦悩する人もいれば、なにをどうするのかさえ分からないままぼくの目の前に立つ人だっている。
 
写ることで何かが変わるのではないかと思い
写ることで何かを見つけれるのではないかと、見えない何かに期待してぼくの前にいる。

この「 UTSURU」を通して初めて出会う人や、遠かった距離が少しだけ近づいたり、その他大勢いる場面では話さないようないい意味で人間味というものが映し出されたりとする。
 
人と真正面から向かい合うことってのは人生においてそんなにないのかもしれなくて、カメラを持つぼくたちは真正面に立っているようで実は立ててないことにこの企画を通してぼくも知っていきました。
 

そんなことを思っていると昔の母の言葉を思い出しました。
まだぼくが10代の頃、突然母が剣道を始めたんです。
特になにか、と言うこともなく突然。
 
そんな母になんで剣道なんて始めたの?って聞いたら「人の正面に立つことって、生きてる中で少ない気がするのよね。だから逃げないために立ってみたくて」って。
 
"なおとの正面にもちゃんと立ちたいから"

正直あの頃のぼくは荒れていた。
だからなのか母のその言葉の意味はあの時のぼくは理解しようともしなかった。
 
けれど、こうして年を重ねて経験を積み母と同じことをぼくは思い、形はちがっても人の正面に向かい合うことを決めた。

人の正面に立つことがどれだけ怖いことだろう
 
「UTSURU」に協力してくれる人を募り、この場でこの時間で何を残すべきだろうかって、カメラをセットして照明を設定して、場所を確認して、カメラを持つ手は少し震えて、誰も否定しないとわかっているのに少しだけ上唇は震えて、バカな夢をぼくは語ったのだ。
 
ポーズの指定もしない
こんな角度にしてみてとも言わない
 
あるのはただぼくとだれかの会話と
そこにだけ流れるゆるみ。
 
一人一人の物語を紡ぐ UTSURU.

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