やまぐちなおと

元旅人が旅をやめて長野へ住みついてこれからのことを模索するnote.なりたいものになる…

やまぐちなおと

元旅人が旅をやめて長野へ住みついてこれからのことを模索するnote.なりたいものになるためには何事もするを決めた。 これからのことと、思ったことをここに記していく。 https://yamaguchi-naoto.studio.site/

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  • 信州まつもとうらまち シェアハウスうら町base

    シェアハウスに関する記事まとめ

  • 手と仕事

    100人を撮ることになってからからのことやぼくの思想そのものを文章化した。

  • フリーランスフォトグラファーのぶっちゃけた話

    フリーランスフォトグラファーになってから思ったことのまとめ

  • 元旅人が伝えたいカメラ上達のコツ

    旅をしながらいろんな感性に触れてカメラマンになっていった ぼくが伝えていける小さなことの塊。

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やまぐちなおとのこれまでのこととこれからのこと |自己紹介 一体あなたは何者?

<これまでのやまぐちなおと|1秒も無駄にしないことと、50歳にゴールテープを張る人生>山や海やなどの大自然の中、日々を編むように暮らして旅をして生きてきた。 気がつくといつの間にか自然の中に身を置く自分がいて、カフェに行くよりも木の上にいる方が落ち着いたり、海の中にいる方が落ち着いたりとなんだか不思議な20代を送っていた。 50歳という区切りのいいところに自分のゴールテープをひいて、そこを目標として全力で走る人生が始まったんだ。 季節に追いかけるように春になったら、秋にな

    • マイノリティだけに囚われない生き方。|手と仕事#22

      近年でいうところの「個性」 個性的な、個性を、人それぞれ、という言葉と共にマイノリティという社会的に少数派の人たちによく焦点が当たっている気がする。 人はいいじゃないかと、私は私なのだから私らしく生きさせてくれなんて言うのだろう。 人と比べることをやめてオリジナルを求める時、あの人とは違うからとその他大勢から逃げるように個性に生きようとする人たちに会うことがある。 まるで少数派をヒーローみたいに祭り上げてるみたいで、ぼくにとっては違和感だ。 そんなぼくはどちらかと言うと

      • 私が、あなたが、写る意味| UTSURU

        あなたが写る、わたしが写る わたしが私に向き合うための写真。 UTSURU. そしてぼくが今、人に向き合うための企画だ。 カメラマンになってから、いったい何を目指して何を思ってきたのか、いったいどれだけの人の前にカメラを持って立ち続けたのか。 どれだけ人の前に立っていても、ぼくに足りなかったのはいつも人の深層に触れることなんだろうと思っている。 そこで「UTSURU」の企画を立ち上げて、カメラを持つことでしか入れない人間の深みにぼくは入ろうとした。 だれかの目の前に

        • もしもカメラマンが、ホームページ制作をできるようになったら、

          どうも、たまにはnoteに文章を書いてみる。ということでもなさそうだ。 ぼくはカメラマンを生業にしながらも地域に根を張り、シェアハウスの運営、コワーキングスペースへの常駐、地域イベントに関わるなどをしてなんとなく松本市というまちで生きていけそうだな、と最近は思ってきている。 そんなぼくを体現する場は前まではSNSで事足りていたこともあってwebページを作ることをして来なかった。 それが時間の経過や仕事の内容により自分のページが必要になってきて、SNSで流れていく方ではな

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        記事

          イメージ戦略!どう生きるのかよりもどう生きたいのか。|

          ぼくみたいに個人事業主なんかをやっていると『イメージ』って結構大事じゃない?って思う。 カメラマンで考えてもこの人は一体どんな写真を撮るんだろうか?って 依頼する人は考えるだろうし、気になると思う。 この人はどんなジャンルが得意なのか この人はどんなものが好きなのか そういうところから仕事はやってきて、人に出会うことやその時の場所でイメージを変え続けることが仕事を掴んでいく上で大事なことだと思うのだ。 例えばぼくは、「七五三やハレノヒの写真を撮ってなさそう」っていうイ

          イメージ戦略!どう生きるのかよりもどう生きたいのか。|

          カメラの仕事もらうためにしてきたこと=コレってマーケティングだよね|手と仕事#21

          フリーランスフォトグラファーとして活動してまだ2年と少し。 そんなぼくが、どうしてお腹が空かずに生きていけるのか。 あの頃にはわからなかったことがわかってきたので、少しだけ長くなるだろうけど書いてみよう。 仕事を見つけるのってどうやるの?そもそもだ。 そもそもフリーランスにいきなりなって、さぁ仕事だ!というわけにはいかない。 何事も順序ってのがあって、カメラマンになったはいいけれどどこから仕事をもらうのか? 個人でやる人にとってこれが1番の難関なんだろうなと思うし、1番苦

          カメラの仕事もらうためにしてきたこと=コレってマーケティングだよね|手と仕事#21

          暮らしの中に人がいる。新・住人募集!|信州まつもとうらまち シェアハウスうら町base#07

          もうすぐここで暮らし始めて1年が経とうとしている。 去年の3月、ここに引っ越してきた当初はこんなことになるだなんて思いもしなかったけれど、こんなふうになったらいいなとは考えていた。 ”行きつけの家” いつも誰かの暮らしの中にぼくは居て、誰かはぼくの暮らしの中にいる。 そうやって考えることができることが、この家に関わることのできる必須条件かもしれなくて、もしそんなこと思いもしなかったら、外から来た時にここで暮らしている人がいることや住人として誰かと暮らしていることを考えれ

          暮らしの中に人がいる。新・住人募集!|信州まつもとうらまち シェアハウスうら町base#07

          なにもできなかったから、なにもかもしてやろうって。

          31歳、カメラマン。 これが今のぼくの肩書きだ。 10年かけて手に入れたものだ。   こんな肩書きを持っていてもこれと言って人生の中で上手くやってきたことなんか何もなかったと思う。 今だってそう『何もできない自信がある!』 だからこそ、何もかもやってやろうって思った。   10代の頃も友達を作るのが下手で、そのくせ強がりたくて、でもそんなの何も意味はなくて、世間から離れるように学校の友達から離れるように現場の世界に足を踏み入れていた。 周りの職人に比べたら何もできなくて、頭

          なにもできなかったから、なにもかもしてやろうって。

          母がド田舎に土地を買った。

          「この家引き払って引っ越そうと思うんだよね」 2023年の夏だったかな 突然母からLINEがきて、ついでに不用品をもらって欲しいというものだったのは覚えている。 ぼくの実家は愛知県にある。 ぼくはほとんど今の家には帰ってなかったから特にそこに思い入れがあるとかはないのだけど、どうやら10年も経っていたらしい。 言っているとおり特に思い入れがあるわけじゃないから、引っ越すと言われても「まぁいいんじゃないか」ぐらいの軽い考えしかなく、特に家が変わったところで何の感情も湧かな

          母がド田舎に土地を買った。

          地域をSUNAPPUする!

          2024年。何を唐突に、というわけもなく『ローカルメディア』を立ち上げることになった。 元々今年は今ぼくの住んでいる長野県松本市に目をむける、と言っていたのでそれらの継続のためでもあると言える。 どうせSNSにしかあげないんでしょ、って考え始めたらそれってなんだかもったいなくないか?だって地域にせっかく目を向けるっていうのに、毎日のように更新されるSNS、そんなこと忘れているかのように違う写真と関係のない言葉に埋め尽くされるんだろうかって考えたらちょっとだけざわついた。

          地域をSUNAPPUする!

          生きるってなんだ? |やまぐちなおとの生きた道2024_1_17

          これは先に結論から話しておこう。 ぼくにとっての『生きる』とは死に様を決めるものだ。と思っている。 31年も生きてみると何度かは、ああ死んだなこれは。って思うときがあった。 事故にあったとき、お金がなくなったとき、大怪我をした時、入院したとき。色々あるけれどまだしぶとく生きている。 1992年12月30日。 ぼくは大掃除中だった母親から生まれてきて、いろんな人に言われるのはすごい日に生まれたね。って、予定日よりかなり早かったとも聞きました。 そんなぼくは10代の頃は"普

          生きるってなんだ? |やまぐちなおとの生きた道2024_1_17

          ただ好きなだけで続けてきた、|手と仕事#20

          ただ好きなだけでやってこれた。じゃなきゃ続いてなんかないだろう。 人生30年、社会に出て15年、移住して4年 移住してからの奇想天外ないつもの暮らしの中に、ぼくの中の価値観をいつもぶち壊そうとしてくるのが「手と仕事」だ。 約一年と半年をかけてまだ42人しか撮影できていないのだけれど、こればかりは仕事との兼ね合いだったり時間との調整だったり、色々な制約がつきまとう中続けてきた。 いろんな人の思いが乗っかっている今、ぼくは中途半端なことはもうできないんだろうって。 最初もそう

          ただ好きなだけで続けてきた、|手と仕事#20

          今年のぼくもよく生きとった、来年のぼくもちゃんと生きろよ。

          もう年の瀬。気づいたらあと何日もなく2023年が終わっていくじゃないかって、毎年この自分の生まれた日に年末へのカウントダウンを始めていくんですよ。 (そろそろ誰かぼくのこと記事にしてみないか?って言いたいところ。) たった1日のラグが起こす時間はぼくに毎年この一年のことを考えさせる時間をくれている。 今年っていったい何があった?ぼくの中では緩やかに上昇している部分もあれば急降下する時もあったからどうかなーと思うけれど、案外緩やかな人生を送っているつもりだ。 2023年、

          今年のぼくもよく生きとった、来年のぼくもちゃんと生きろよ。

          好きなことでお金を稼ぐ。仕事を好きなものに変える|2年目フリーランスカメラマンのぶっちゃけた話#03

          カメラマンとして活動を始めて2年。 そんな激動な2年の月日で重ねてきた結果についてはこちらから 長野県に移住をしてから4年目となった今、カメラマンとしてある程度の金額を稼ぐ人になってはきたけど、この4年の歳月の中でぼくは何度も肩書きを変えて生きてきた。 その中でカメラはあくまでも趣味のもので、日常に溶け込む世界をどう写し込むのかってことばかり考えて、仕事にしようだなんて考えたこともなかった。 昔はいいなぁって思ってしっかりと教え込んでもらったけれど、それは本当に昔のこと。

          好きなことでお金を稼ぐ。仕事を好きなものに変える|2年目フリーランスカメラマンのぶっちゃけた話#03

          人が勝手に集まるシェアハウスのつくり方|信州まつもとうらまち シェアハウスうら町base#06

          シェアハウス。 なんだか楽しそうで、毎日パーティーみたいなことしてるの?って 実際そんなことはないけれど、ぼくの住むうら町baseはInstagramを見る限りは人がよくいる。 なんでそんなにも人がくるのか?集まるのか?ちょっとその辺も探りを入れつつ、ぼくがどんなことをしてこの家に人を呼び続けているのかってところも俯瞰してみてみたいと思う。 https://www.instagram.com/uramachi_base/  ↑うら町baseのInstagramページ こ

          人が勝手に集まるシェアハウスのつくり方|信州まつもとうらまち シェアハウスうら町base#06

          それでもカメラで仕事を続ける理由|2年目フリーランスカメラマンのぶっちゃけた話#02

          フリーランスカメラマンとして活動するようになって2年、起業のタイミングはカメラを持ち始めて9年目のこと。 元はといえばいつかのぼくが言った「30歳には何者かになっている」という勝手な期待に、30歳の僕が思いっきり乗っかっているだけである。 20歳の時に出会った大人たち、その後旅をするように場所を移動しては新しい価値観を植え付けられてきた時間があって、移住したら何か変わるんじゃないかって何にでも手を出してきた中で残ったのがカメラだっただけなんだけど それでもそのカメラをや

          それでもカメラで仕事を続ける理由|2年目フリーランスカメラマンのぶっちゃけた話#02