「教室内の差別構造」誕生前夜その1

まだ待っていただきたい

前回の記事にも多少なりとも反響をいただいた。本当にありがたい。
心から御礼申し上げます。
「どうやって壊すのか」というコメントもいただいたが、でも、まだ待っていただきたい。世の中はどんどん待てなくなっている。ヒット曲からイントロもAメロもBメロも無くなり、サビから始まるようになったと言われてい久しいが、教育に関する話も「サビから始める」風潮だ。
けれど、教育に関しては、それではうまく進まないと思っている。
教育の「やり方」には「考え方」が透けて見える。教育の「考え方」には教員の「在り方」が滲み出る。教員の「在り方」は「生き方」で決まる。
だから、やり方だけを真似ても、教員によって結果は異なるのだ。
早くやり方を知りたい方とっては、脱線や遠回りに感じられるかもしれないが、それを書く前にまだまだあれこれ書くことをご容赦いただきたい。

多くの勘違い

教室内の差別構造について発信すると、多くの方が勘違いをする。
学校でつらい思いをしているのは、勉強ができない子だ。
1軍として学級内に”君臨”しているのは、勉強ができる子だ。
という勘違いである。
これがそもそもの間違いである。
そういう”時代”もあっただろう。
そういう”学級”もあるだろう。
それが、今、大きく荒れている学校では全く違っているのだ。
勉強ができる子が苦しんでいたり、まじめな子がつらい立場にいたりするのである。
差別構造ができあがっているクラスでは、一昔前の”優等生”タイプは3軍に居るのである。
この話を説明し終わるには、まだまだ時間がかかる。
「どうすれば差別構造を壊せるのか」を話す前に、今回は「差別構造」=「差別をせざるを得なくなっている今の学校のシステム」が出来上がっていく”前”の話を書いていきたい。

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