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人に傷つけられて申し訳ないと思うぐらいなら論理的思考能力を鍛えろ

私の過去をここで話すつもりはないが、あまりいい環境で育ったわけではない。

そのため、私は虐待被害者やいじめ被害者、パワハラ被害者の立場になって考えることはできる。(もちろん完全にではないが)

虐待、いじめ、パワハラなどを受けて、心の傷を作ると、また、人から嫌われることで攻撃されるんじゃないかという恐怖が出てくる。

一種のフラッシュバックであり、酷い時は一日気分が落ち込み何も作業が手につかない。

全ての被害者が同じように感じることはないと思うが共感を覚える人は中に入るのではないだろうか。

更に、嫌われる恐れは、無意識に顔色をうかがうことから攻撃的な人の標的になりやすいというのも過去の経験則から理解している。

しかし、私はだからこそ、論理的思考能力を鍛える必要性を感じてきた。

目的は、不利な状況において打開策を身に付けるためだ。

たとえば、虐待やいじめ、パワハラなどを受けている辛い状況のある中、冷静な思考能力がなかなか働かない。

私は、そうした状況の中

「自分に何が原因があるのだろう」
「自分はやっぱり嫌われるんだ」
「迷惑をかけてばかり申し訳ない」
「みんなから嫌われている」

といったように、傷つけられる時というのはまさに自分に視点が向けられ、傷つけてくる相手に対してまで見ている余裕がないのが状況だった。

そんな時に、さらにいじめやパワハラを浴び続ける状況が長く続けば、病気のリスクも高まりやすくなる。

病気になったとて、誰も責任を取ってくれない。

それは私自身の体験で痛感したことだ。

いじめやパワハラ、虐待によって人を強くするどころかストレス耐性を下げ対人関係障害やPTSD、精神障害のリスクを高めることが知られている。

人生は宝くじのようなものだ。

はずれを引いたらとことんはずれを引く。

そんなことがありうるのが人生だ。

人間関係というのは運だし、病気にかかるのも自分の力ではどうにもならないからある種、運だと思う。

しかし、あの時こうしていたらと思えてならないことがある。

それは、状況を冷静に見つめる手段を身に付けておけばよかったということだ。

最悪の手段を常に考え、手札を用意し、状況によっては逃げる算段をつける。

そのためには論理的な思考能力が私には必要だった。

虐待やパワハラ、いじめはそのどれもが正当化されていい理由にはならない。

しかし、人を攻撃する人の群れは、似たような性質が集まる。

そんな倫理も通用しない。

だから相手の気持ちを配慮するというあなたのやさしさもここでは通用しない。

いじめやパワハラを受けないという状況を完全に自分で左右できるものでもない。

状況としては閉鎖された環境で起こりがちであるからして厄介だ。

では、そうした被害を受けた時どうすればいいのか?

今の私なら、

まず、冷静に判断できる居場所を確保する。

家に帰って一人の時間でいる時は比較的冷静になりやすい。

相手に傷つけられた言動を整理し、事実と主観と客観的な見方で分ける。

たとえば、人前で怒鳴られたならそれは事実としてパワハラにあたる。

学校で授業の一環でグループ行動を取るように言われたのに、グループに参加することを断れてかついじめと判断した場合はいじめにあたる。

自分の身体的反応として胃がきりきり締め付けられたように痛いというのはいじめやパワハラによる被害である。

そうした時自分がどう思ったのかが主観的な位置づけだ。

相手に無視されたことで皆から嫌われているように感じた。

自分が仕事でできないことで迷惑をかけてしまった。人を怒らせる自分が悪い。

などこれらは主観だ。

これらに対して客観的にとらえる。

たとえば、他人に置き換えると分かりやすい。まったく架空の相手でも構わない。

とある人が、上司から、仕事ができないからという理由でパワハラを受けている。

とある人はパワハラを受けて、胃がキリキリ痛み、自分が仕事できないことで迷惑をかけてしまったと更に自分を責めている。

上司はそれをいいことに、パワハラを毎日続ける。

その人は、自分が仕事ができないからどんな扱いされても仕方ないと考えながら体調を崩していく。

当然ながら職場の雰囲気はぎすぎすとしたものになる。

上司から次のターゲットにされるのが嫌で、誰も上司に逆らえなくなる。

その結果、上司にターゲットされていった人は次々と、退職をし、精神的に病んでいき、社会復帰ができない状況が作られていく。

当然ながら仕事の生産性にも影響が出てくる。

学校のいじめになると不登校になったり、病気を抱えたり、いじめの後遺症から社会復帰ができなくなってしまう恐れもある。

そして自分に置き換えた時、このまま我慢していても何の得にもならないどころかデメリットにしかならない状況だと判断できれば冷静な判断が出てきている。

ではこうした事実から自分の身を守るために最優先することは

自分の身を守ることだ。

そのために逃げる。

無理をしない。

むしろ、逃げてはいけないと思い込むこと自体が危険だ。

人間は傷つけられている状況で立ち直ることはできない。

まずは自分が傷ついた事実と向き合い、これ以上被害を受けないよう、自分の命を最優先するのだ。

病院に行き診断書を取って休む。

弁護士の無料相談を利用してパワハラを相談する。

環境を変えるなど。

今回、話した流れは、問題点を洗い出し、事実と主観を切り分け、状況を整理し客観的に見つめるという流れで紹介してきた。

論理的思考というのは正論で人をねじ伏せるものと忌み嫌う人もいるが、本来は「問題点から自分の考えを整理し、冷静に状況を見定め、客観的判断を下すことにより、解決策を検討する」ことを手段として扱うものだ。

また、ビジネスでは必須の能力でもあるが、学生時代から身に付けておくことも有益なことだ。

そのためには、自分と関わる環境の中で色々な人の言葉、態度などを日頃から観察しておくことも非常に重要だ。

観察することで日頃の言動から誰が自分の味方になってくれるかや関わってはいけない人を判断しやすいことや、適度な距離を置くことでトラブルを回避しやすいというメリットもある。

過去は変えられないが未来は変えられる可能性がある。

私の経験をどうとらえるのかはあなた次第だ。






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