今でも悔いて。
かつて家庭を持っていたときがあった。
当時の連れ合いと暮らしはじめて、十一年。
酔っ払いの体たらくに見切りをつけられて、
縁を切られた。
あとから思えば、確かに思いやりが足りなかった。
温かな気持ちを向けることをおろそかにしていた。
我が身の不出来をしみじみ痛感したのだった。
それでも、その後も元気にしているのか気になって、
ときどき連絡を入れては、一緒に酒を飲みながら
近況ぶりを聞いていた。四月の下旬、珍しく連れ合い
から電話がかかってきた。明日の休日、蕎麦屋で一杯
やりませんかとのお誘いだった。嬉しいねえ、喜んで。
翌日、連れ立って馴染みの蕎麦屋、かんだたへおじゃました。
まだ一緒に暮らしていたときに、市内の会社に就職した。
ところが、定年まで一年を残して、昨年の十二月に退職した
というのだった。
以前から会社の人間関係に屈託があった。社長がやり手の人で、
先代から継いでから新商品を次々に開発して、会社を大きく
していった。売り上げを延ばすのは良いものの、
いけないのは、社長や上司に社員を思いやる気持ちが欠けて
いたことだった。
社員に対して上から目線で、理不尽な叱責をされたことも
あったという。
社長の息子が入社してきて部長になったものの、これまた
父親同様、傲慢で、目上の社員を敬う気持ちのかけらもない
という。
加えて、本店から、通うのに不便な営業所に異勤を言い
渡されたといい、気に入らない社員を放っぽりだそうと
しているのが見てとれた。
この辺が潮どきと、辞めたのだった。
退職の日に、社長に挨拶に行ったら、長らく勤めていたのに、
あ~、はいはいとあしらわれ、ねぎらいの言葉もなかったと
いう。まったくひどい話だった。
長い間、この会社の商品を愛用していた。気分のむかつく話を
聞いて、金輪際使うのをやめることにした。
職業安定所に通っては、次の仕事を探しているという。
新しい勤め先が決まったら連絡ちょうだいね。お祝いしよう。
励まして、うしろ姿を見送っていたら、
なんだか切なくなってしまった。
春愁い今さら遅いことだけど。
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