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同級生というものは。

子供の頃、長野市立柳町中学校で三年間を過ごした。
朝夕、母校の後輩たちがおしゃべりしながら仕事場の前の
路地を通って行く。楽しそうな様子を眺めながら、
我が身にも,こんなにかわいい時代があったのかと思うと、
信じられない気分になってくる。なにがどうして、こんな
へたれたおっさんになってしまったのか、ため息が出るの
だった。
同級生に、とてもおとなしい女の子がいた。
勉強のできる頭の良い子だったけれど、いたって
目立つことのない子だった。ところが成人してから
久しぶりに会ったら、当時の面影はどこへやら、
ずいぶんおしゃべり好きな人に変わっていて驚いた。
この頃はひとりでカラオケに行って、山本リンダの
どうにも止まらないを唄っているという。歳を重ねて
変わったのは、我が身だけではないのだった。
その子が幹事になって、この五月三日に同級会を企画して
くれた。
当日、長野駅前の居酒屋に行けば、懐かしい顔ぶれが
次々とやってきた。
この日集まったのは十六名。市内在住が八名で、
県外からはるばる駆けつけてくれたのが八名。
この歳に成ると、親の介護や孫の世話に忙しかったり、
音信不通で行方の分からない人もいる。これだけの
顔ぶれが集まっただけでもありがたいことだった。
この日は、二十八歳のときに脳腫瘍で亡くなった友だちの
命日だった。他にも亡くなったかたが三人いる。
この場にいないことに、ちょっと胸が切なくなった。
あこがれだった他のクラスの女の子の話題になれば、
今でもしっかりフルネームで名前を憶えている。
お世話になった先生方の話題になれば、生徒思いの良い
かたもいれば、ひとくせあったかたもいて、
それもまた懐かしい。
三年間担任だった先生は、ご高齢で来れず、
代わりにファックスで手紙を送ってきてくれて、
友だちのひとりが人数分をコピーしてきてくれた。
大きないじめや不登校がなかったこと。
スポーツや音楽のクラスマッチでは、いつも優秀な成績を
収めていたこと。当時のことを憶えていてくださった。
そして健康に注意することと、教え子の身を心配して
くださっていた。柳町中学なのに手紙には桜町中学と書いて
あって、先生も、お年を召されたこととしみじみした。
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
そのあとに二軒はしごして、再会を期して別れた。
それにしてもみんな、すっかりいいおっさんと
おばさんになったなあ。
翌朝、温かな余韻に、笑顔を思い出したことだった。

それぞれの苦楽語らう五月かな。


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