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子どもへと受け継がれる大人の価値観と差別意識

先日、野本響子さんのVoicyで2度出演させていただきました。

そのうちの1つについて書きたいと思います。


子どもは大人(特に保護者)の発言からとても強い影響を受けている

子どもが持つ現実世界の広さはどれくらいでしょうか?
誰かに養ってもらうことでしか生きていく術を持たない子どもにとって、自分の力でリーチできる現実世界の広さは限られます。そして、子どもは最も近くにいる大人の存在の影響を強く受ける存在だと思います。

だからこそ、彼らの近くにいる大人という存在が、子育てや教育においてつ「アップデートすること」や「学び続けること」をしない場合、子どもはその価値観をそっくりそのまま受け取ることになりかねません。

「学び」とは本来、謙虚な人でしか続けられません。
「私はまだまだ未熟である」と思い続けられる人しか学び続けられないものだと思います。そしてそれを間近で見ている子どもにとって、大人の姿勢や生き方は子どもの成長や考え方、育ちに大きく関わることがあると思います。

同質性が高い場所で得た経験が「視野の拡大」を邪魔する?

「教育(特に学習に関わる教育)で1番大変、かつ大切なことは何ですか?」

と、よく聞かれますが、私は保護者のアップデートだと思います。

恐らく「学校」という場所で一定期間働いたことがある人なら誰しもが、子どもたちがいかにピュアであるか、そしてピュアであるからこそ周囲の大人(保護者や教員など)や、大人が社会に作り出す価値観によって歪められてしまう怖さのようなものを感じたことがあるのではないでしょうか。

もちろん、子どもたちと直接関わる中に大変なことや苦労はたくさんあります。しかし、一方で子どもたちの価値観の多くは家庭で作られていることも確かです。高校生ともなると、生徒の発言の裏側に、とてつもない保護者の(小さい頃から脈々と受け継がれてきた)価値観の歴史のようなものが見えることがあります。

そして、その価値観はいわゆる「これまでの日本」で作られてきたものであって、その生徒自身が「これからを生きるために必要な価値観」ではないこともあります。しかし、生徒がそれを知る術はほとんどありません。自分の親以外で開眼させてくれる人に出会えればラッキーですが、保護者があえて家族の外に子どもの交流の場所を作らない場合、子どもの価値観はより強固に固められていくように見えます。

話を戻すと、いわゆる保護者がこれまでに得てきた同質性の高い場所の経験を肯定しようとすればするほど、子どもの視野は広がりを持たなるのではないかと思います。つまり、これまで得てきた経験や教育が今の自分を作っているので、「それをやっておけば安心」と、大人は自分自身を肯定するために行動しがちです。それは本当に子どもたちのためになっているのでしょうか?

かく言う私も、そうならないように必死です。
「自分のこれまでの人生を肯定するために子どもを利用しない」

これをかなり意識しています。自分自身をフラットにすること、これが結構大変です。

うっかり差別発言をしてしまう大人たち

Voicyでは、野本さんと「うっかり差別発言をしてしまう人は、本当に無意識にそういった発言をしてしまっている」というお話をしました。

外の世界で子どもがポロっと差別発言をするのは、ひょっとしたら大人が知らず知らずのうちにそういった言葉を吹き込んでいるからかもしれません。

実は、私自身もそういった経験がありました。父親がポロっと家で口にしていた差別発言を小学校で先生にしてしまったのです。その時、先生は私がその言葉をどこで聞いたかを尋ねてから、私に毅然とした態度で言いました。

「菜央ちゃん。家族でその言葉を使っている人がいても、あなたは使わないようにしてね。その言葉はその人たちをとても悲しい気持ちにさせる言葉です」

私は先生が言う言葉の意味がわからなくて、その意味を聞きました。そして、先生は丁寧にその言葉がどういった意味からきているか、そして何故使ってはいけないかを説明してくれました。

私がこのことを覚えているのは、とても衝撃を受けたからでした。それは、自分が知らず知らずにそういった言葉を使ってしまっていた衝撃でもあり、自分が大好きな親がその言葉を使ってしまっていたという悲しい事実です。

"子どもを国際人に"と言いながら、平気で差別発言をする矛盾

そして、残酷なのは先にも書いた通り「大人本人が自覚していない」というところです。自分自身が知らないうちに差別発言をしてしまっているというのが実は1番の問題であり、本人によほど強い改善欲がない限り、それはなかなか叶いません。

「ロシア人だからあの人もマフィアだ」
「中国人だから偽物を作るプロだ」
「アメリカ人だから太っている」
「イギリス人だから味音痴だ」

これらは、私の周囲にいる(いた)大人やその子どもたちから耳にした言葉です。
多くの場合、大人が使っている言葉や表現を子どもたちは口にします。要するに、子どもたちは大人の言葉だけではなく、思考をコピーしているのだと思います。

子どもがこんなことを言いながら「うちの子は国際人に」と言う人もいます。一体、"国際"とはどこを指しているつもりなのかな…と頭を抱えます。

Voicyでは野本さんとお話した一部の内容しかありませんが、もし興味があればお聞きください。
私自身も野本さんとお話しながら、自分自身をフラットにすることの難しさを感じながら、やはり自分の生き方や発言が子どもの一部を形作っていると思いました。だからこそ、謙虚に学び続け、アップデートを続けたいと思います。

野本さん、素敵な対談の機会をありがとうございました!

野本さんのVoicy


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