見出し画像

夫婦の時間は「対話のレッスン」

オランダに母子で移住して1年と少しが経ちました。
1年を迎える2020年の3月には彼がオランダへ越してきました。

7月の中旬から夏休みに入り、24時間子どもと一緒に過ごす日々。
オランダでは例年通りの夏休み期間が維持されています。


夏休みに入って、夫婦の対話が減った

娘と24時間一緒に過ごすようになり、家族3人の時間が増えました。
日中、彼に授業がある時は娘と2人きりになりますが、"娘がいない時間"つまり、"夫婦で過ごす時間"は娘の就寝後にしか確保できません。

家族で過ごす時間、私たち夫婦が話を始めると娘が割って入ろうとします。
これはどこにでもある風景かもしれませんが、
「私も混ぜて!」
と言わんばかりに、会話の中心に立とうとするのです。笑

そんなこともあって、夏休みになると夫婦でゆっくり話をする時間が減りました。
平日であれば娘が学校に行っている間、仕事の話であれ、育児の話であれ、落ち着いて話すことが出来たのですが、日中それをするのが難しくなったのです。

対話不足は、不和に繋がる

私たち夫婦は、お互い教育者でもあるため教育についての話をよくします。
話というよりは「議論」と言った方が良いかもしれません。
特に、娘の子育ての方針については「すり合わせ」という名の調整を通じてよく話合っているように思います。
「さて、すり合わせしましょうか」
という感じではないのですが、どことなく自然に、そして不定期に行っているように感じます。

しかし、夏休みに入って二人でゆっくり話をする時間が持てないためか、
小さなことでイライラしたり、相手に強く当たることが増えました。

明らかに、「対話不足」が「不和」に繋がっている、と感じることが増えたのでした。

疲れた毎日の中、対話を続けるのは難しい

そんな日々の中、私が感じたのは、
「疲弊した日々の中で、夫婦の対話は維持されにくい」
ということでした。

この夏休み期間、娘が就寝した20時を過ぎて、夫婦で話をすることは可能です。
しかし、子どもと過ごす夏休みの中では平常時以上に体力や思考を消耗しているんだなぁ、と感じるようになっていました。
もちろん、体力を消耗しているだけなら良いのですが、現在の私たちの状況では、娘が就寝してから仕事を進める必要性もあるため、ゆっくり話し合いの時間を持てないこともあります。

それこそ、日本で共働きで教員をしていた頃は、平日に「対話の時間」を設けることが難しい日々でした。
娘の保育園の予定に合わせて、朝は彼、夜は私...と、どちらかがワンオペで娘の面倒を見る。というかたちで一日一日を繋いでいたように思います。

そして、もちろんのこと不和が積み重なることも多かったように思います。

いずれにせよ、
「多忙」は「ゆっくり思考を巡らせ、誰かと穏やかに話す」という機会をことごとく奪っていくんだなぁ、という実感を持てたのでした。

ある日突然始まった、すり合わせの時間

そんな中、ある日の夜、急に「すり合わせ」が始まりました。
恐らく、私たち夫婦の中で限界に近いものが忍び寄っていたのだと思います。

そして、お互いの非を認め合い、もう一度、
「夫婦の関わり方」
「子育ての方針」
について、2〜3時間かけて話合ったのでした。

最初の方は、お互いに相手を責める言葉が多く出ていました。
「あんな言い方しなくて良い」とか、
「あの時はこうやって欲しかったのに」とか、
生活の中で落ち着いて立ち止まり、話し合えなかったことを振り返り、
少し感情的に話し合いが進んでいたように思います。

ただ、
「分かって欲しい」「分かって欲しかった」
という感情をしっかり出し切り、互いの声に耳を傾けると、
前向きな改善策を出せるようになってきました。

すり合わせの翌日、娘の様子が落ち着いた

娘が寝てから、私たちが眠りにつくまで話し合った翌日。
朝から清々しい気分で1日をスタートさせることが出来ました。

お互いの根底に現れたのは、
「自分のことをわかってくれた」
という安心感だったかもしれません。

また、子育てについて話合ったことで、
「こういう時は、こういった声かけでいこう」
という合意形成も十分に行うことが出来ました。

これまでバラバラだった方向性がまとまったことで、
最もその効果が反映されたのは、娘かもしれません。

夫婦の不和によって落ち着きを失い始めていたのかもしれない娘が、
私たちの声かけがまとまったことで、落ち着き始めたのでした。

「結局、俺たちの心模様が子どもの心模様になるってことやね」

そう言った彼の言葉に、首が捥げるくらい頷いたのでした。

どんな関係にも軌道修正が必要な時がある

私たちは教育者ではありますが、常に答えを持った人間ではありません。
互いに心を許しているからこそ、余裕がない時には無神経な言葉で相手を傷つけてしまうこともあれば、取り返しのつかない言葉に後悔することもあります。

ただ、夏休みを通して、こんなに長い時間を家族で共有したことで気づいたのは、
「どんな関係にも軌道修正が必要な時がある」
ということでした。

この夏休みのように、一緒に過ごしている時間が長いから互いのことが分かるのではなく、わざわざ時間を設けて話合うことで、ずれかけていた価値観をすり合わせていく作業が必要になるのだと感じたのでした。

多忙が対話を奪っていく中で、何ができるのか

私(たち)がオランダに来て感じたのは、
「夫婦の時間」
を大切にする文化がこの国にはとても強いということでした。

時にはベビーシッターや両親に子どもたちを預け、夫婦でディナーに行くという家族もいます。
子どもを含め、家族で一緒に過ごす時間があれば良いのではなく、「夫婦」や「男女」「パートナー」としての存在を再確認するための時間を大切にしている人々が多いように感じます。

それは、子ども抜きでも「夫婦」というものが成り立たなければ、
子どもが巣立った後に待ち受けるものがどんなものかの想像がつく。というところからかもしれません。

簡単に言うと、私が知る西洋文化に生きる人たちは、
子ども抜きでも「夫婦」として「男女」として生きて行く人生を描いています。

対話を通してお互いの価値観の位置を確認することで、多忙の中で失われかけていた相手への尊厳や尊敬を取り戻す。
そんな機会を「わざわざ」作ることで、お互いを思いやる関係でいられる。

相手のことを、魅力的だと感じたり、この人と一緒に居られて良かった、
と感じられるためには、落ち着き、目を見て本音で語り合う時間が必要なのかもしれません。

そして、その「対話」というものを大切にするという価値観が、
この国では教育を通して培われているのかもしれない、と感じています。

この夏休み、互いに立ち止まり、
「話し合おうか」
と、自然に対話を始めることが出来たこと、

感情的だった会話が、
「じゃあこれからどうしていこうか」
という納得解を求める対話へと変化し、最終的には笑い合うことが出来たこと、

「やっぱりこの人と生きていきたい」
とお互いが思えるために「対話の時間」の価値を再確認できたこと、

これらはあらゆる関係において、必要不可欠なことなのかもしれない。
そんな風に思いました。

「ねぇ、私たちって今うまくいってるかな?」

立ち止まり修正していくことが、より良い関係を維持するために大切なこと。
夫婦でその大切さを実感した夏休みでした。


私たちの活動内容に賛同いただける方々からのサポートをお待ちしています。ご協力いただいたサポートは、インタビューさせていただいた方々へのお礼や、交通費等として使わせていただきます。よろしくお願いいたします!