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男性(夫)が女性(私)の生理痛に理解を示してくれている安心感

今日(月曜日)は生理2日目の私…朝から腹痛が酷くてベッドで横になっていました。月曜日ということで1週間の始まりの日…でもお腹が痛い…泣

当然、娘も学校があるので朝の準備を一緒にしなければいけないところですが、我が家では基本的に朝の色々は義則の担当です。ということで「お腹が痛いです…」と言う私に義則は「寝てていいよ〜、湯たんぽ作るわ〜」と温かい湯たんぽを差し出してくれたのでした。

私はこういった「安心感」があることで、自分の身体の不調に関して、義則にオープンに話すことが出来るのですが、これが「女性としての人生」をとても楽にしてくれていると感じます。

「自分が楽に生きるためにはどうしたらいいか」と言うと、ちょっと自分勝手に聞こえるかもしれませんが、性別に関わらず誰もが「楽に生きる」ために、共に生きていく人、特にパートナーとは、とりわけ「身体的なことに関してオープンに話せる関係」でいられることが、歳を重ねてもなお安心して、支え合って生きていける礎になるのではないかと思うこの頃です。


女性にはなれない男性と、男性にはなれない女性

身体に関してLGBTQ+的な観点は置いておいて、私たち夫婦は生物学的に女性と男性として家族を構成しています。彼は男性で女性にはなれない(なりたいと思っていない)観点からすると、私の女性としての身体のことは彼にとっては「わからないもの」

だからこそ、私たちは付き合っている時から、私の身体に起こること(例えば生理痛とか)についてはことあるごとに「声に出して」話し合ってきました。

例えば、生理痛が酷い日にそのことを隠さないとか、そもそも自分の生理痛はこういうもので、それにはこう対処している(薬を飲むとか温める)とか。そうすることで、義則は「妻が困っている時に自分がしてあげられること」がわかり、その時がくると「これまでに話し合ってわかったこと」を参考にして行動してくれています。

私たち夫婦は(今ところ)どう頑張っても生物学的に相手の性別になることはできません(なりたいと思っていません)。じゃあどうするかといえば、話し合い「相手が楽になること」を知っておくことで、チームで対処できるようになれるのです。どう頑張ったって線を越えられないお互いを助け合うには、やっぱり数々の不自由を口に出しておくことが重要だと感じてきました。

「実感できない」から「想像する」ことが必要だけど、その「想像の種」は誰が与えるのか?

子どもを身籠った時の喜びと、それに伴う不安や疲労感。そういったことは、夫は自分の身体を使って実感することが出来ません。だからこそ、彼には「想像すること」が必要になりますが、一体どのような要素があって「想像すること」が可能になるのかといえば、やっぱり「想像するための種」のようなものが必要になると思います。

そして、その種は誰が与えることができるのかといえば、やっぱり当事者である私です。

幸運にも子どもを授かった時、私は自分の中に生まれる喜びと、不安と…その両方と戦っていました。それについて「パートナーにわかって欲しい」とか「理解してもらうのが可能である」と思えたのは、それまでに様々なことについてオープンに話を続けてきたからだと思いました。

「急に母親/父親になることが可能ではない」のと同様に、「急に女性/男性の立場になって想像する」ということは可能ではない…だとしたら、その種を与えることができるのは目の前のパートナーではないでしょうか。

経験したことのないものに「いや、わかってよ」で対処をお願いするのは難しい

時々、女性は繊細な話題(特に女性特有の身体の問題について)「話さずともわかってほしい」と言います。例えば、身近なことで言えば、体調が悪そうだったり、辛そうにしていたら「生理だとわかってよ」というような感じで。

同様に、男性に抜け毛の悩みがあって、パートナーにバレたくない….と、コソコソと育毛剤についてインターネットで調べている時の男性の不自由さを女性は理解できないかもしれません。それを見て「何かコソコソ調べやがって」と勝手に気分を害している女性には、男性の「その行為」が嫌悪感にさえ感じられることもあるでしょう。後で聞けば「あぁ、そんなことだったの!」と言えるようなことでも、当人にとってはとても重大な問題であることもあるのかもしれません。

だとしたら、身に起こる様々な不安はシェアできる関係性がある方が誤解も招きにくいし、相手に寄り添うことをもっと簡単にするのではないか?と思うのです。

義則から生理の話をされる娘

朝、自分の部屋から起きてきた娘は、私の様子を見て、
「お母さんどうしたん?」
と義則に聞きました。

「あ、お母さん生理痛でしんどいみたい。今日の朝お父さん1人で色々準備しなあかんから、自分でできることはお願いできる?」
と言う義則に、娘は、
「オッケー、了解!」
と、チームプレーに合意してくれました。

娘(7歳)はすでに生理とは何かということを知っています。そのきっかけも私が生理で体調不良だった時に義則が話をしてくれたからでした。

そして何より、私が生理の時に私を助ける義則を見て、パートナーにも(そして自分にも)協力できることがあるんだということを知っています。私たちとしては、娘にはそうやって女性特有の身体の異変に気遣いできる人とたくさん出会って欲しいなと思っています。

女性の生理(痛)は(多くの場合)月に1回でやってきます。冷え性やむくみ、もう少し年を重ねれば更年期なんかも女性にはやってきます。そういったものを周囲の理解なしに乗り越えていくことは難しいかもしれません。理由もわからずイライラされたと(周囲が)感じたりすると、それはそれで大きな誤解をも招きかねません。

そして、その始まりは(可能な限り)初期段階から、時間をかけて作られる関係の中で作り上げられていくことができたら、当人たちも、周囲も楽なのではないかと思うのです。

娘を学校に送って帰ってきた義則が言いました。

「どう?どんな感じ?何か必要なものある?」と。
「湯たんぽありがとう。ちょっとご飯食べたら薬飲んで楽になると思う!」
「そっか。無理せんでね、何かあったら言って」

ありのまま伝えて、それが受け入れられると感じられる関係は日々の積み重ねの中にある。だとしたら、私たちの人生はやっぱり「ゆったりした時間の中」で丁寧に紡がれていってほしい。

そういう社会、子育て、教育が必要だと考えた朝でした。

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