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国際女性デーにキエフでキャリをを築いた女性振付家の話~ニジンスカ~

本日は国際女性デー、ということで…。

今でも日本はまだまだ男性優位の時代。
大学院時代の学会発表で、私は準備万端でOKも出ていたのに、準備もまだの男性学生がやりたいと後から言ってきたことがありました。
次回にするよう促すのが当然だと思っていましたが、まさかの教授発言は「君は女性なんだからこの先養っていかなくてはいけない男性に譲ってあげて」でした。結局私は発表できませんでしたし、この後馬鹿馬鹿しくなって発表に手をあげることもやめたのでした。
今だと完全アウト、当時もアウトだと思いますが、私が声をあげてもダメだったでしょう。
そんな忘れていたことを思い出しました。今は違っているといいな。

さて、前置きはこのくらいにして、女性振付家と聞いて真っ先に私が思い出すのはブロニスラワ・ニジンスカ。(1891年1月8日~1972年2月21日)
”あの”ニジンスキーの妹です。
彼女は本当に兄を慕っていましたし、芸術的にも唯一ニジンスキーの後を継いだところもあるのですが、不思議なほどまだまだ評価が低い存在です。

そんなニジンスカは今だったら『牧神の午後』の振付クレジットは兄と二人の名前になるのが妥当というほどの協力関係にありましたし、そのキャリアも華麗なる、といっていいものです。

ヘッダーはバレエ・リュスで『ペトルーシュカ』を踊った時のものですが、バレエ・リュスでもかなり重要な役を多く踊っています。

ニジンスキーと共に一座を離れた後も彼女の才能を高くかい、信用していたディアギレフは彼がどうしても上演したいと切望し、実現したバレエ・リュス唯一の全幕作品『眠れる森の美女』のために彼女を呼び戻しています。いわば、彼女あっての『眠れる森の美女』の再演実現だったのです。

バレエ・リュス以外にもイダ・ルビンシュテインのバレエ団で『ボレロ』を振付、バレエ・リュス・ド・モンテカルロでも多くの作品を手掛け、ポーランド国立バレエ団では芸術監督を務めています。(ポーランド国立バレエ団は国の分割によって自然消滅の形をたどりますが、戦争は色々なものを壊してしまう、と改めて‥)1960年代には英国ロイヤル・バレエ団に招かれて『牝鹿』『結婚』などの振り移しもしています。そろそろ上演もしてほしいなぁと思いますけれど、いつになるのかしら。
(そういえば、私が個人的に平野さんの魅力に気づいたのは『結婚』においてでした。3配役で見ましたが、彼が一番役を理解し、表現していてハッとしました。)

また、現在は戦火の中ですが、最初のキャリアを築いたのはキエフでした。
そのキエフで彼女が初めて開いたバレエ学校で教育を受けて後にロシア人初の(と言われることは少ないですが、実はヌレエフより前に居るのです‥)パリ・オペラ座芸術監督を務めたセルジュ・リファールも彼女の元から巣立ったのです。

ニジンスキーのために作られてバクストデザインの衣裳を後に二ジンスカが着用
これはロンドン、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館所蔵

今見る事のできる作品『牝鹿』(日本では以前NBAバレエ団が再演しています)、『結婚』(日本では東京バレエ団、新国立劇場バレエ団が再演しています)いずれも今見てもバレエへの新しいアプローチをしたニジンスカの手腕が伺えます。また見たいなぁ、と思う作品たちです。

映画『バレエ・リュス~踊る歓び、生きる歓び~』の映像が上がっています。登場している作品『ホーリー・エチュード』(1925)です。

ちょっと取り留めなくなりましたが、国際女性デーに二ジンスカをご紹介したい、と思いついたので‥。

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