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イラストを描くことが楽しいと思えるようになるまで

うちの最寄りの駅は、サミットが駅近にあるのと医療機関、図書館、美容室、薬局、コンビニ、クリーニング屋さん、ブティック、パン屋さん、お弁当屋さんや飲食店がそこそこあるが、あまりお金がすぐなくなってしまうような賑やかな商店街ではない。残念なのは、本屋さん、文房具屋さん、雑貨屋さんがないことだ。

おととしの夏ごろに小さな雑貨屋さんができたので何度も足を運んで店長さんに描いたイラストを見せて感想を聞いていたのだが、最初は色鉛筆で描いたものを差し上げていたのだが、色鉛筆だとぼやけちゃうねと言われて考えたのがカラフルなボールペンで描くことだった。なんとなくおりてきたイメージのものを鉛筆で下書きをしてから、色を好きなように塗る、このやり方ができるようになるまで四年かかった。

子供の頃から絵を描くのは好きで高校の時には美術の時間に描いた絵が教室の壁に張り出されたこともあったのだが、美大に行きたいという選択肢はその時はなくて、英語を勉強したいと思って英検を毎年受けたり、大学では四つの海外の大学と提携しているクラブに入り、夏休みに交流プログラムで英語で異文化に触れることがとても楽しかった。2年生の時はカナダのバンクーバーに1ヶ月半滞在して10日間のキャンプに参加するなどとてもいい経験をさせてもらったと感謝している。それがのちのちロンドンの語学学校で1ヶ月勉強して日本語教師という仕事に興味を持ち、東京にある日本語学校で日本語教師養成講座の夏季集中コースで勉強して外国人の人達に日本語を教える機会を得られとても楽しい時間を過ごさせてもらった。

その後前夫の転勤でニューヨークの郊外に4年間過ごした時間は今振り返ると懐かしいことばかり思い出される。そこで1年間インテリアデザインの勉強をさせてもらったのだが、その時に私はいろいろな色を使って絵を描くのが好きなんだな、ということに気がついた。その後離婚を経て派遣社員として英語を生かした事務職についたが魂が喜んでいなかった。

精神科の病院に入退院したこともあったがその時に今の夫が献身的にお見舞いに来てくれたこと、愛犬のみきがいてくれたことが本当に心の支えになった。その頃からニューヨークにいた時に学んでいたカリグラフィーをまた書き始めていたのだがなんとなくこれじゃないんだな、と思って、色鉛筆を買って図書館でイラスト集を借りて見よう見まねでイラストを描き始めてそれを友達の誕生日に送ってあげたりした。

一年半前くらいからオリジナルのイラストが描きたいと思ってから1番最初に描いたのが工芸家だった亡き祖父のアトリエのイラストだった。今でも部屋の壁に貼ってあるがなんともたどたどしいというか何を伝えたいのか分からないようなイラストだな、と笑ってしまうのだがそこが私のイラストの原点だと思う。遠回りをしたがたくさん引き出しができたから描けるものを今描いているんだな、心が喜んでいるんだなと思って伯母や友達がが素敵なイラストよと言ってくれるのが嬉しくて今も描き続ける原動力になっている。夫が10年やればものになるよ、と言ってくれた言葉を励みにして今もこうしてつたないイラストを描いている次第だ。今はこのイラストが人を癒して励ましてあげられるようになったらいいなと思いながら描いている。おじいちゃんのような立派な作品ではないかもしれないが、これから自分がどんなイラストを描いていくのか楽しみでもある。


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