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日本語教師が教えるキャリア科目

 私は大学で留学生に日本語を教える仕事をしていますが、私の担当科目の中で日本での就職を目指す留学生のためのキャリア教育の科目があります。このような留学生だけを対象としたキャリア科目があるのはおそらく全国的にも珍しいと思います。大学のキャリア支援の対象者は主に日本人学生(中でも新卒生)であり、留学生への支援は不十分であると指摘されています(寅丸、他2018)。また、私自身がこの科目を5年間担当してみて、大学も留学生自身も、留学生が必要とするキャリア支援やキャリア教育のあり方について十分に認識できていないと感じました。日本語教師の立場から、留学生に対するキャリア教育のあり方を私自身の実践例を踏まえて考えてみたいと思います。
 
1.   キャリア科目の内容と対象者
 私が担当している科目の中で留学生にキャリア教育を行う科目は2科目あり、一つは3年次の留学生を対象とした履歴書の書き方、面接試験を受ける際のマナーなど、具体的な就職活動の仕方を指導する科目で、もう一つは4年次の留学生を対象として日本人の労働観、日本の企業文化、日本で働く外国人労働者をめぐる問題などを学ぶ科目です。この2科目に共通して、ビジネス日本語教育も兼ねているので、大学としては語学科目に位置づけていますが、実は日本語教育よりも日本での就職に向けての動機づけのほうが必要性が高いことに私自身担当してみて気づきました。
 
2.   日本語教師が担当する難しさと大学の支援体制の未整備
 私自身は日本語の文法研究者であり、一般企業に就職した経験はあるものの、キャリア教育の専門家というわけではありませんので、すべてが手探り状態でスタートしました。そのような試行錯誤の中で、留学生に対するキャリア教育には様々なハードルがあることに気付きました。すなわち、日本における「シューカツ」文化の特殊性、それに対する留学生の知識不足、情報収集や応募書類作成における日本語の壁、留学生のキャリア意識の欠如、大学側の支援体制の弱さ、などなど問題が山積で、毎年受講生の反応を見ながら授業内容を改訂し、工夫していくことになりました。
 それでも私の20年以上の日本語教授経験から、留学生の気持ちを汲み取ることに長けている点は、キャリア教育においても活かせていると感じています。大学や日本企業は、外国人に対する就労支援の必要性や日本人に対する支援との違いにまだまだ気づけていないと思います。日本政府は留学生の日本国内就職の促進に取り組もうとしていますが、留学生数の少ない大学では、その必要性に気づけていませんし、また、ノウハウの蓄積も少ないため、十分な支援体制が整備されていない状態です。運よく個人的なつながりでアドバイスを受けられた留学生を除いて、多くは孤立してしまい、日本での就職をあきらめてしまいます。

3.   私のキャリア教育未満の実践例
 私がキャリア科目を教え始めてから現在までの間にも、留学生向け、あるいは外国人向けの就職活動のノウハウ本はどんどんと開発されており、内容が大変充実した良書も多いです。私自身それらを授業で使わせていただくことで、就職活動の準備という意味でのキャリア教育はある程度道筋が見えてきました。ただ、4年次に扱う内容は一つにまとまった書籍が見つかっておらず、また、大学生のレベルやニーズに合った内容はどのようなものか、現在も手探り状態を続けています。
 私がその4年次の授業を行う中で、意外にも本編に入る前の雑談セッションが受講生に大変好評だったので、それについて紹介したいと思います。
 日本語の授業でも冒頭で、「バレンタインデーが近いですね」「皆さんの国ではバレンタインデーに何をしますか」など、時節に合わせた雑談をする先生が多いと思います。これをキャリア科目でも取り入れてみようと思い、社会人になるために知っておいたほうが良い情報や最近のニュース、トピックを一つ取り上げて、受講生に意見を聞いたりする雑談セッションを設けました。
 たとえば、倹約生活で貯金9470万円を貯めた45歳男性のツイートが話題になったことを取り上げたり、最近の20代の貯蓄率などのデータを見せたり、副業に関するアンケート調査を紹介したりしました。そして、「節約するメリット、デメリット」「副業をするメリット・デメリット」「幸福とお金について」など、受講生に意見を言わせました。これが非常に好評で、本編の「日本人の労働観」や「日本の労働環境」よりも関心を持った人が多かったようです。
 一人の受講生がこんなことを言っていました。「私は就職についてあまり真面目に考えていなかったけど、この授業でお金のことを考えて、就職活動にもっと取り組んでいこうと思いました」という言葉です。「真面目に」という言葉に反映されているように、大学生は就職活動に取り組むべきであるというプレッシャーをその学生は感じていたようです。先生に言われてではなく、自分が主体的に自分のキャリアをどう築いていくかを考えようという気持ちになったきっかけが雑談セッションで取り上げたお金に関する話題だったようです。この雑談セッションはキャリア教育とは言えないかもしれませんが、意外にキャリア教育未満の内容を必要としている留学生も多いのかもしれません。
 
4.   本当に必要なキャリア教育とは?
 日本の「シューカツ」では、この時期までに何をするといったおおよそのスケジュールが決まっており、大学生はその流れに遅れないように活動を始め、周りに合わせて進めているように思います。留学生にとっては、就職活動のノウハウ以前に、なぜその型にはまった就職活動が必要なのかを理解し、納得しなければならない時点でモヤモヤするのかもしれません。しかし、日本で就職しようと思ったら、そんなことで立ち止まってはいられません。限られた時間で厳しい競争に備えなければならないのです。ただ、私が教えている留学生の現状からして、まずは日本での就職を目指すべき理由を明確にするという点においても支援が必要だと感じました。自分の人生や自分の幸福について深く考え、そのうえで日本での就職を選択するなら、そのために必要なノウハウや日本語の学習は乗り越えていけると思います。また、そのための支援は私のような日本語教師や大学のキャリアセンターの支援など、本人が求めれば利用できるリソースがあります。留学生自身が日本での就職を明確な目標に定め、そのために母国とは異なるシステムでの就職活動が必要となることに心から納得していることが重要だと思います。
 日本の大学側の問題ももちろんあると思いますし、私自身もキャリア科目を担当するための知識もスキルもまだまだ見習い程度です。しかし、他の日本語科目でもそうであるように、日本語教師は留学生と身近に接して、彼らの伴走者となることが時として求められます。そういう意味で、日本語教師が担当するキャリア教育は、留学生のニーズに敏感である点が強みだと思います。これからも留学生が必要とするキャリア支援、キャリア教育のあり方を試行錯誤しながら考えていきたいと思います。

<参考文献>
寅丸真澄、江森悦子、佐藤正則、重信三和子、松本明香、家根橋伸子(2018)「留学生のキャリア意識とキャリア支援の『ずれ』を考える―日本語学校・短大・大学(首都圏・地方)の留学生の語りから」『言語文化教育研究』第16巻、pp.240-248.


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