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どんな人生にも美は宿っている。

今日、ちょっとした悟り体験が起きた。公園を歩いている時、鳩のつがいが建物の屋根から飛び立ったのだ。先に飛び立った一羽の鳩をもう一羽が追いかけていったのだけれど、その鳩が旋回しながら、大きく弧を描いた──その瞬間、世界が停止したように感じ、僕はその風景に神を見た。

言い換えると、鳩のなかに神性さが宿っていると感じた。全てが自然なかたちで、ありのまま存在していて、大きな一つのいのちがとどまることなく流れていると感じた。それも美しく流れている、と感じた。

鳩は目的地に移動するのに、一直線に向かえば良いものを、あえて、弧を描いて、飛ぶことを楽しんでいるように思えた。鳩は余白を楽しんでいる。

そして、鳩たちを観ていると、「全て順調でありのまま起こっている」ということを直感した。そして、「全てがゆるされている」ということも感じた。

誰もまちがっていないし、まちがうことなどありえないと思った。鳩のなかに神性さが宿っているのと同じように、人間にも神性さが宿っている。たしかに人間には動物とはちがって、多くの感情があり、思考がある。でも、その感情や思考でさえも、神にもたされているのだとしたら?

ひとはインナーチャイルドを癒そうとする。カルマを悪者扱いする。欠点を克服しようとする。あるひとは引っ込み思案で、あるひとはおせっかいな性格だ。でも、世界は真逆の人間がお互いを補完するように成り立っている。

もし、自分の欠点を克服しよう、自分を変えよう、治療しようとするのなら、時にそれはあなたのなかにいる神性さを損なうことになりはしないだろうか?すべてをちょうど良いように神さまは創造しているというのに……。

ぜんぶ、ピッタリになるようにできているとしたら?ほんとうの癒しはインナーチャイルドを癒すのではなくて、インナーチャイルドを抱きしめ、自分の運命を完全に受け入れることだと思う。

鳩は一直線に目的地に向かうのではなく、あえて弧を描いて、美しく飛ぶように創造された。神は美しさを知っている。鳩に美しさを与えておいて、人間に与えないことがあるだろうか?

どんな人生にも美が宿っている。美しさとは、インナーチャイルドの中にある。インナーチャイルドは言い換えると、あなたのなかの神だ。努力して他の何者かになろうとしたりしなくても、パートナーや特別な仕事を得ようとしなくても、ただ自分の中に神性さがあると気づけばいいのだ。

自分のなかに気づけないのなら、空を見上げてごらん。そして、鳩を見てごらん。鳩たちの空を飛ぶ姿を。もし、彼らのなかに美や神を見出したのなら、それらの感覚が自分の内側にあると感じてごらん。

神性はすべての存在のなかに満ちている。自分で決めていると思われている全てのことは、自分で決めていないのかもしれない。ただ我々のなかにいる神々たちのダンスだけがあるのかもしれない。

全ては今この瞬間にただ起こっているのではないだろうか?

幸福は我々のなかに神性さが寸分の狂いもなく存在していると気づくことだ。そして、その神性さはあなたのハートの奥深くに──静かに沈黙している。そして、あなたに気づかれることを待っている。

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