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妄想百人一首(28)

『隙間 (前)』


 電柱とブロック塀の隙間を通ると異次元に行ける。
 小学三年生のとき、そんな話を友達から聞いて何度も隙間を通ったことをよく覚えています。
 最初は学校の帰り道で友達と別れた後、緑の「文」の看板が括りつけられた電柱と誰も住んでいないボロ家を囲む自分より背の高いブロック塀の間を恐る恐る通りました。ランドセルとブロック塀が擦れる音がしましたが、異次元に入り込んだ感じはありませんでした。それでもここが異次元だったらどうしよう、と思って周りをよく見ましたが、いつもと同じ通学路でした。昼下がりのとても静かな時間だったので、世界中の人が消えて私一人になってしまったかもしれない、とも思いましたが、買い物袋を乗せた自転車が横を走ってゆきました。一歩進み回れ右をして、電柱とブロック塀の間をどれだけ見つめても何の変哲もありませんでしたが、諦めません。向きが逆だったのかも、と思って、もう一度通ってみました。今度はランドセルに付けていたキーホルダーが汚れてしまいました。
 その日から、何度も何度も隙間を通りました。
 通学路にある隙間はすべて試しました。もちろん両側からです。時間が決まっているかもしれないので、行きも帰りも試しました。少し遠回りをした日もありました。通り方があるのかも、と思って、目をつむって通ったり上を向いて通ったりもしました。荷物を持っているのが悪いんじゃないか、とも思ったのですが、ランドセルを道端に置き去りにするのは抵抗があったのでやめました。
 結局、異次元へ行かないまま私は四年生になり、隙間を通らなくなりました。

 私は中学二年生になりました。と、改めて書くと不思議な気分です。今は国語の授業中で感想文を書いています。教科書に載っている俳句の感想を書かないといけないのですが、授業中はずっと回想をしていたので、思ったことを書いたらこうなってしまいました。


今回の一首

みかの原わきて流るる泉川いつ見きとてか恋しかるらむ

この歌について

 堤中納言の名で知られた藤原兼輔が詠んだ歌で、
「瓶原から湧き出て、原を二分するように流れる泉川ではないが、いつ見たといって、こんなに恋しいのだろうか」
という意味。
 諸説あるが、平たく言えば「恋に恋している」ということらしい。
 掛詞や縁語を駆使し、若き恋心を泉川の流れる風景に託したこの歌は、三十六歌仙の名に相応しい一首と言われているらしい。

あとがき

 ファンタジーへの憧れ、ありましたよね。

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