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妄想百人一首(22)

「迷子」


 狭く入り組んだ路地。四角く閉じられた空。右を見ても左を見ても家、家、家。スマホが示す現在地は、井の頭池のど真ん中。
 ボート漕いでんじゃねぇええ。
 落ち着け、落ち着くんだ、万が一のために余裕を持って出発している。実際、約束の時間まではあと三十分ある。地図を見ながら来ているんだし、そう遠く無いはずだ。表札を一つずつ見て回ればきっと辿り着く。大丈夫大丈夫。

 広くておしゃれな建物が軒を連ねる閑静な住宅街。人の気配の無い路地に午後の穏やかな陽が差し込む。スマホが示す現在地は、ずばり目的地。
 お前はもう着いている。ってかぁああ。
 まずい。非常にまずい。あと十分も無い。現在地は不明。無理、詰んだ、終わり。ああ、どうしよう。どうすればいいんだこれ。井上さんに連絡する?迷ってますって?無い無い無い。ここは素直に上長へ連絡しよう。チョー怒られそう。絶対怒られるって。やっぱり直接井上さ、いや上長だなぁ、嫌だぁ・・・。

 片影を風が通り抜ける。遠くからは蝉の声。汗を流して立ち尽くす。
 上司からは「動くな」と言われ、時間を過ぎた今、境地は諦めに達した。
 せめて誰か通りがかってくれたらなぁ、とその時、道の角から白いシャツを着た男性が現れた。すがるような思いで慌てて駆け寄る。
「あの、すみません。道に迷ってしまって、」
男性は微笑んで言う。
「道に迷うと云うことはありませんよ」
「・・・?」
「移動に於いても人生に於いても、ね」
話し掛ける人を間違えたらしい。今日はつくづくツいていない。
「大丈夫ですよ、全ての道は繋がっています。繋がっている以上、確かに最短経路と云うものこそ存在しますが、間違った経路と云うものは決して存在しません。どこに居ても、どんな道を辿っても、道は必ず目的地と繋がっています。そして、目的地に着きさえすれば、その経路は、例え遠回りだったとしても間違いにはならない。とすれば、あなたがどこに居ようが、どんな道を辿ろうが全ては道の途中と云うことになるし、それは迷ってなどいないと云うことになりませんか?」
男性はにっこりした。
 意味が分からない。ここは立ち去るべきだろう。
「あっ、ありがとうございます、わっ私はこれで、」
「加藤さんですね」
「えっ?」
んでわたしの名前?えっ?
 男性は微笑んで言った。
「わたくし、井上と申します」



ネタの種

大江山いくのの道の遠ければまだふみも見ず天の橋立

この歌について

 年少ながら歌が上手すぎるあまり、母・和泉式部の代作を疑われていた小式部内侍が歌合せに招かれて、藤原定頼から「母へ送った使いはまだ帰って来ないのかい?心配だねえ」と煽られた際に詠んだ歌で、
「大江山を越え、生野を行く道は遠いので、天橋立の地は踏んでおりませんし、母からの手紙もまだ見ておりません。」
という意味。
 きっちり定型な上に、生野と行く野、踏みと文の掛詞が用いられたこの歌を即興で詠んだらしい。定頼は絶句したらしい。

この妄想について

 自分が今何処にいるのか分からなくなったとき、人は「迷った」と言うんですよ、井上さん。

あとがき

「大丈夫、全ての道は繋がってるから」って昔に母が言ってました。

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