ひとは一人では生きていけない、それはあたりまえ。 生まれるときも死ぬときもひとは一人、それもあたりまえ。 ほんとうの意味で「ひとり」で居られることが 誰かとつながるための大前提だ、といつも思う。 孤であることは 個であること。 個がしっかりと成り立ってはじめて 全体があるのだ、と思う。 それは木々の姿にも似ていて。 互いに枝を絡みあわせるのではなく みずからの根を深く伸ばし、また広く根を張ることで 森は強くなるだろう。 となりの木と同じになろうとするので
あるときから、なるべく頭で判断するのではなく おなかで決断するようにしていたら いろんなことがうまくいくようになった気がする。 頭で考えて ジャッジするとき、 その視点と基準は「先」にあり「外」にある ・世の中の基準に照らし合わせて正しいかどうか ・これをするとどうなるだろう、あの人がどう思うだろう おなかで感じて 決めるとき、 その視点と基準は「いま」にあり「内」にある ・いまこの瞬間わたしはどう感じているか、どうしたいか ・理屈に合わないような 閃きや思いつき
はじめて聞いたのはいつ、どこでだったか忘れてしまったけど・・・ よく思い出す言葉で 大切にしたいことのひとつ。 いま このときだからこそ、 想像力の射程距離を うんと広く伸ばしておきたいなぁと思う。 すこし先の未来、豊かに展開してゆくシーンを描きながら 今この瞬間にできることをする。 ひろい宇宙に波及していくことを想いながら 自分の手の届く範囲のことをする。 そうやってとにかく一所懸命にやっていたら (むつかしい顔はしないで ゴキゲンにね) 必ずいつか 想像以上の景色
いま起きていることについて 毎日まいにち考える。 なんだか、どうやらこれは、もしかすると、 アップデートみたいなものなのでは? それじゃあ、 自分は するか / しないか 決めるだけ! 「アップデートしますか?」の問いに YES、を選択すれば 寝ているあいだにも それはちゃーんと行われるから大丈夫。 いま何より大切で、 ただひとつすべきことは ”自分がどうありたいか” をしっかりと定めておくことだけ。 それは必ずしも緻密な計画でなくていいし、 ストイッ
You receive what you give. 「あなたが放つものを あなたは受け取るんです」 うつくしい人はそう言った。 石を投げるか、花を投げるか ・ ・ ・ I always choose the attitude of LOVE.
色々あぶり出されてきたな、と驚く。 世界がこんなにも分かれてゆくなんて。 いまの状況に対して、わたしの周りでは みんなが「いま自分にできること」を考えていて、 ああ これからはやさしい世界になっていくんだなぁと思う。 わたしも そちらへ行こうって思う。 だけど、混乱はいつでも人間のネガティブな部分や 思考・感情のクセなんかを暴き出してしまうようで。 もうひとつの世界で吹き荒れているのは 不安、恐れ、猜疑心、誰かを批判・非難すること、 他人と自分を比べること
3年前の夏、 はじめて人前で自分のつくったものを販売させてもらうことになったとき。 展示の準備をしながら こんなことを書き残していた。 +++ 2017.08.07 最近強く思うのは 自分が何を好きで、どんなことに夢中になれて、 ちょっと得意で誰かに喜んでもらえることは何なのか、 そういうのを とことん突き詰めていきたいなぁということ。 こんな風に書くと すごく自分本位で独りよがりにも思われそうですが、 みんなが “好き” とか ”楽しい” とか ”得意”
不安にフォーカスすると、それは増幅する よろこびにフォーカスすると、それは増幅する うつくしさにフォーカスすると、それは増幅する 心地よさにフォーカスすると、それは増幅する うんと近くで見つめた花弁の あまりに精密な そのかさなり!
なんのために生まれてきたの、と問われたら 響きあうため、と答えたい じぶんの楽器を鳴らすために、 いま ただ いっしょけんめい生きている 毎日 めいっぱい 表現している あなたの楽器はどんな色?どんな形? どんな音が鳴るんだろ? みんなで持ち寄って、見せ合って、 かき鳴らそう! 大きいも小さいも ない 良いも悪いも ない 優れているも劣っているも ない 響きあうために わたしたち 生まれてきたよ この世はオーケストラ!だ!
じぶんを癒すことは じぶんをケアすること じぶんの機嫌は じぶんで取り、 じぶんの心とからだの面倒をよく見て それらが健やかであるよう努め、 じぶんをよろこばせる方法を なるべくたくさん知っていること じぶんを見つめる視点を獲得し、 それをけっして離さないこと じぶんの全部を信頼し、おもしろがること じぶんを大切にしていないひとが 誰かを愛することは むつかしい じぶんの足で立っていないひとが 誰かに手を差し伸べることは むつかしい だけれど じぶ
じぶんの井戸を 掘るんだよ うんと深く、うんと時間をかけて きみが井戸を掘っているあいだ、 周りのひとたちは心配するかもしれない あいつはどこ行った?なんて噂されるかもしれない だけど じぶんの足元をただしっかりと見つめて ときには孤独と友達になって どんどん掘ってゆくんだよ 一息ついて休んだっていい もうここまで!と思ったら 一度戻っておいで しばらく地上で暮らすうちに また ふと井戸を掘りたくなる日がくるだろう そうしてまた 何度でも 中へ中へと
突然、ふと思いたって。 きょうは緊急事態宣言が出された次の日。 スーパームーンの日。お釈迦様の誕生日。 四国のおばあちゃんが 一年前に旅立った日。 これまでinstagramで少しずつ自分を表現してきたのだけど、 いろいろな活動をさせてもらうにつれて まるでお知らせマシーンのようになってきてしまったこと、 シェアした投稿がものすごい速さで流れ去っていってしまうこと、 ちょっと気になっていました。 ときどき、とても個人的な体験だけど なんだか本質的なものにふ