一文字書こう。一文書こう。話はそれからだ。
こんにちは。今日は「書くこと」について。
とにかく一文字書こう
note利用者の中には紙のノートを利用している人も少なからずいると思う今日このごろ。
反面、Webに存在するきれいな手帳・ノートを見て、「紙ノートは敷居が高い」と諦めている人もいると思っています。
もしも私が似たような状況……書きたいけど書けないことを友人から愚痴られたとしたら。
私は「とにかく一文字、一文でも書いてみれば?」と返すでしょう。
これに対し、「だからそれができないんだよ」とか「追加でノートやペンを買うのもったいない」とか「メモの取り方の本を読んでやり方を知ってから」などの返しも出てくるかと思います。
しかし、このように悩んでいる時間で私達はどれだけ文章を書いているでしょうか。
日本の大人であれば新しいノートやペンを買わずとも、ひらがなで「きょうはつかれた」と適当な紙に書くことはできるはずですし、なんならそこから連想が働き、書き進められるかもしれません。
そして上記を達成するためだけであれば本やネットの「理想のメモ書き手法」の情報に頼る必要もない、とは言えないでしょうか。
書かないとわからない・上達しない
本になっている手法・汎用的なものとして公開されているやり方に乗っかり、うまく回り始めればそれがベストかもしれません。
しかし、適当なA4用紙の左上に「きょうはつかれた」と書くことでも十分価値があることではないでしょうか。具体的には……
「きょうはつかれた」だけだとどう疲れたのかがわかりにくいが、それを表す言葉がパッと浮かばない
まず左上に数文字書いてみたけど、それ以外の余白が多く落ち着かない
近い将来この文字を見返すためには保存方法を考えなくてはならない
そもそも今は「きょうはつかれた」しか書くエネルギーがない
みたいな感覚を覚える可能性、つまり自分が「書く」ために必要な課題が見つかる可能性があるわけです。
語彙が不足して思うように表現ができないのがストレスなのか、一日に書ける量をあえて制限したほうがやりやすいのか、ある程度タフに使えるノートの方が良いのか、それらを考える前に書くためのエネルギーや時間を捻出するべきなのか。
これらは実際に試してみないとはっきりしない項目ですし、すでに書く習慣を持っている人でも似たようなことが起こると思います。
いずれにせよ「書けない」「書かない」ままでは課題が見えず、様々な工夫も身につかないのではないでしょうか。
「きれいなノート」の目的
個人的にはノートや手帳・メモ帳の裏には必ず何らかの思想・運用目的があると思うんです。
個人で使う目的であれば自分にしか読めない文字を書きなぐっても構いません。「自分が見返してわかるメモ書きノート」であればいいのですから。
これに対し、ノートの写真をWebにアップして多くの人の注目を集めたいのであれば、余白を十分に取り、マーカーやテープでデコるなど「一瞬で自分の世界に引き込むノート」である必要があります。
もちろん、少しの期間書き続けてみて、「より効率的に書くノート」「考えを深めるノート」がほしいのであれば、いわゆる世間のノート術を使っても良いと思います。
ですがもし現状で思った通りの文章が書けないのであれば、まずは適当な紙に一文書くことからスタートではないでしょうか。
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